雨とメコンと少数民族〜Nong Khai(2)

タイの郵便ポスト

ノーンカイの2日目。メコンと奇妙な寺院しかないここで、夜行バスが出るまでの果てしない時間つぶしと相成った。

2008/08/22(Fri:第23日)夜行バスまでの長い1日<ノーンカイ 晴れ>

ノーンカイ20:00-(999)-〜車内泊
* 999=バスの運営会社
最後のメコン
朝食<下左>は道路を挟んだ本館のレストランで。ちょっと歩いただけなのに汗だくである。どうということのないビュフェで、お粥とスクランブルエッグを作ってもらう。ノーンカイの人たちは世話焼きというか、昨日のレストランでもビールを客に注ぐようなことを当たり前のように行っている。この朝食の場面でも、卵はどうするなどといわれ、ゆっくり選ぶ暇がない。

パンタウィーのビュフェ このギャップは 地元専用イミグレ メコン沿い

チェックアウト時間は正午。それまで部屋に荷物を置き、午前中は観光しようと考える。部屋にパソコンの端末があるような宿だが、電話はダイヤル式の黒電話<上左中>であった。まずは、メコンの岸辺へ。相変わらずのいい天気である。ノーンカイの地域住民専用のイミグレーション<上右中>からは、段ボール箱に入った荷物がたくさん運ばれていく。川沿い<上右>に歩く。今日もいい天気である。ふと、この旅に出てまだ記念撮影<下左>をしていなかったことに気づき、セルフタイマーを使い撮す。やがて、遊歩道は途切れ、市場のようなところに出た。

この旅唯一の記念撮影 寺院の仏塔 ぴかぴかの墓地 ゲバラ像

市街地のようなところを渡ると、ガイドブックには載っていない寺院に出た。仏塔<上左中>墓地<上右中>が印象的であった。波打つトタン塀にはなぜか、チェ・ゲバラの肖像画<上右>が。ゲバラ(註1)とあまりタイの寺院とは似つかわしくない。(註1…Ernesto Rafael "Che" Guevara de la Serna。1928-1967。アルゼンチン生まれの革命家でキューバのゲリラ指導者。
観光資源に乏しいノーンカイ
そこからバスターミナル<下左、下左中>経由で歩く。バスターミナルはチェンラーイと同じような規模で、タイ語表記のみである。イサーンの都市を結ぶローカルバスばかりである。なかなか車体に味があり、こういうバスはなかなかバンコクなどではお目にかかることがない。自分の乗る予定の夜行バスも表示があるはずだが、よくわからない。まあ、これはあとで聞いてみればよい。

ローカルバス 味のあるバスばかり ポー・チャイ市場 ワット・ポーチャイ

道を横切り、ポーチャイ市場<上右中>へ。さらに進むと、ワット・ポーチャイ<上右、下左>(註2)という寺院があった。(註2…Wat Pho Chai。)

本堂入り口の狛犬 社会科見学か 高僧の座席 橋を渡っていく僧侶たち

この寺院はなかなか大きく、入り口のところではそろいのジャージを着た小学生くらいの集団<上左中>が見学に訪れていた。本堂の中はかなり広く、偉いと見える僧侶の写真が掲げられている近くに、高僧の座る玉座のようなもの<上右中>があった。また、壁画<上右>が描かれていたが、その一部は橋を渡っていくもので、あまり宗教画らしくなくカトゥーイや外国人旅行者まで描かれている。想像するとメコンに友好橋が架けられ、それを祝うもののようであった。
ただこれだけのことなのに、かなり時間がたってしまっていた。部屋に戻ると、もうすぐ正午であった。ゆっくりして、できればシャワーでも浴びたい気分だったがそれは無理であった。チェックアウト。200バーツが戻ってくる。荷物を預け、再び出る。歩いて、ホー族鎮圧記念碑<下左>へ。このあたりはガイドブックの地図もかなり曖昧である。ただの記念碑。ホー族(註3)というのは雲南の民族らしい。(註3…1875年ラオスがホー族を使いノーンカイに攻め入ったものの、タイ側はこれを撃退したとのこと。)

ホー族鎮圧記念碑 軽い昼食 酸っぱいソーセージ 冷たいミロ味

昼食<上左中>は再びメコンを望むレストランで、カオニャオとイサーン・ソーセージ<上右中>(註4)アイス・オバルティン<上右>という組み合わせにする。オバルティン(註5)というのは、ミロのような飲み物である。ココアの味がするが、ちょっと濃厚である。カオニャオは炊きたてで今まででもっとも美味かった。あまり味に期待しなかったのだが、ソーセージも美味い。ただ、昨日の激辛料理がいくぶん腹に来ている。これで、65バーツ(註4…Saigrok Esan。イサーン地方の酸味のあるソーセージ。)(註5…Ovaltine。スイスの麦芽飲料。成分は、麦芽、ココア、乳清などで、ミロと同様のものらしい。なんと、モスクワオリンピックの公式飲料であった。)
それにしても、暑い。まったく雨の降る様子はない。旅の終盤になってしまったが、帽子を購入することにする。なぜかノーンカイには米軍の放出品のようなものがたくさん売られている。これはかつて近くに米軍基地があったということに起因することだろうか。メコン沿いの市場で200バーツのキャップを購入。その場で被る。
脱力系寺院
次は、ワット・ケーク(註6)へ。市場を出るとトゥクトゥクのドライバーが近づき、どこへ行くと尋ねる。ワット・ケークというが通じず、ガイドブックの写真を見せる。「おお、サーラー・ケーク」とのことである。また交渉の結果、往復で150バーツで成立。(註6…Wat Khaek/Sala Keo Kou。ラオスから亡命してきたルアンプーが建てた寺院。対岸のラオスにもブッダパークと呼ばれるよく似た建物を作っている。)
しかし、トゥクトゥク<下左>はかなりの老体であった。スピードは出ず、ウィンカーも壊れていて、国道ではかなり怖い思いをする。ノーンカイのトゥクトゥクも後ろ横座りするタイプである。

ワット・ケークへ ヤマタノオロチのような石像 巨大な頭部から手が生えている 仲むつまじくとも…

ワット・ケーク。対岸のタドゥアにもブッダパークと呼ばれる奇妙な石像<上左中、上右中、上右、下左、下左中、下右中、下右>が並ぶところがあるが、作ったのは同じ人物である。そのルアンプーという人は、ラオスからタイに亡命し、ここノーンカイにも同じようなものを作ったのであった。入場料20バーツ

やがてこうなる おどろおどろしい入り口 こういったものがごろごろと並ぶ ワット・ケーク

いずれも脱力するような奇妙な像が林立する。半ば写真を撮るのがあほらしくなってきた。ルアンプーという人は既に亡くなっているのだが、この人の頭に描かれた設計図はまだ生きていて、ここは未完成なのだそうだ。ノーンカイに戻る。
暇すぎる
歩きながら、ネットカフェを探す。ガイドブックの地図では宿の近くにあるはずだが、見あたらず、再び町中へ。白バイ警官のヘルメット<下左>が置いてあり、これを撮ると本人たちは苦笑していた。町中では放水車<下左中>が水をまいている。コイン使用の端末があったが、日本語は打てない。

暑い昼下がりポリスもヘルメットを脱ぐ 確かに水をまかなくてはやっていられない暑さかも 川を眺めつつ 夕暮れのプロムナード

まだ時間がたっぷりあり、結局メコン沿いに行き、生ビールのビアチャーン<上右中>を2杯。80バーツプロムナード<上右>を僧侶が歩いていくのが見えた。そのまま陽の暮れるのを待つ。昨日と同じ場所で夕陽<下左>を撮影。近くでは、青年たち<下左中>が輪になってサッカーのパス回しの練習などを行っている。こうした夕陽を眺められる場所では、屋台<下右中>も出るようで、結構売れていた。

最後のメコンの夕陽 サッカー遊び メコンの屋台 パンタウィーのハンバーガー

コンビニで水を仕入れ、宿へ。ここでハンバーガー<上右>レモンジュース<下左>という夕食。120バーツのはずだが、125バーツ取られた。ハンバーガーは比較的まともな味で、ジュースはかなり酸味があった。荷物を受け取り、トゥクトゥクでバスターミナルへ。こちらは60バーツと高い。

レモンジュース VIPバス VIPバスの座席 もらったもの

VIPバス
バスターミナルではどうするか迷っていたが、VIPの表示のあるバス<上左中>に聞くと、これがバンコク行きだという。他の方面に向かうVIPバス(註7)は二階建てのものもあったが、このバスはごく普通である。荷物を預け、車内へ。自分の席は一人掛け。通路を挟んで二人掛けの席がある。座席<上右中>の間はかなり余裕があり、これならまあいいだろうと思った。派手な服を着た女性が現れるが、これがアテンダントであった。毛布ととともにコーラやミネラルウォーター、ビスケット<上右>を配り歩く。(註7…座席に余裕があるばかりでなく、180度近く座席がリクライニングする。しかしよく眠れなかった。)
有料トイレに行く。バスは発車間際に英語を話す外国人旅行者4人組が現れ、「夕食がまだなんだ」と言い残し、どこかへ仕入れに行く。これで出発が10分遅れる。<Next→ウィークエンドマーケットのパフォーマンス>

バンコク(1) バンコク(2) チェンマイ(1) チェンマイ(2) チェンラーイ フアイサイ

ルアンナムター 景洪(1) 景洪(2) モンハン モンフン モンラー

ウドムサイ(1) ウドムサイ(2) ノーンキャウ ルアンパバーン(1) ルアンパバーン(2) ルアンパバーン(3)

バンビエン(1) バンビエン(2) ヴィエンチャン ノーンカイ(1) バンコク(3) カンチャナブリー バンコク(4)

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