雨とメコンと少数民族〜Mengla

モンラーの街角にて

いよいよ景洪に別れを告げ、モンラーへ。皮肉なことに、雨続きだったシーサンパンナで唯一晴れたのが、旅立つ日であった。

2008/08/11(Mon:第12日)旅立つ日にピーカン<景洪 晴れ モンラー 晴れ>

景洪10:30-(Yunnan Bus)-13:30モンラー〜天奕大酒店
モンラーへ
朝食は昨日と同じく、蘭州拉麺へ。メニューにある牛肉刀削麺を指さしでオーダーしたつもりだが、出てきたのは、牛肉の冷麺。ひとつ下と見なされたのだろう。それでも、生地を金属片ではじき飛ばす刀削麺<下左>(註1)を作る過程も見ることができ、まあよかった。牛肉冷麺<下右>はかなりのボリュームがあり、それでも6.0元であった。味も日本の冷やし中華によく似ていて、馴染みのあるものであった。(註1…山西省で生まれた麺料理。小麦粉を練った生地を金属片ではじき飛ばし、直接鍋に投入してゆでるもの。)

刀削麺作り 冷やし中華そっくり

今日はモンラーまで戻る。モンラーからウドムサイ(註2)行きの国際バスが出ているということなので、できたらそれを捕まえたい。ただし、早朝の便なので、今日はモンラーで泊まることになる。(註2…Oudom Xay。ラオス北部、ウドムサイ県の県都、ムアンサイが正式な名称。観光的な要素は何もないが、交通の要所として発達している。)
チェックアウト。合計145元。この宿では初日にデポジットを取り、3日目くらいにまた請求されたのである。いろいろ差額が出て、20元請求された。1泊35元としては5.0元多いが、格安なのでまあいいことにする。
タクシーで景洪客運へ。5.0元。版納客運でもよかったのだが、あちらは小さなバスでまた、高速の料金所を迂回して、未舗装路を走るかと思うと、荷物の汚れを心配した。大きいバスなら、あの狭い未舗装路を走ることもないだろうと考えたのである。モンラーまで38元だが、保険料はなし。バス<下左、下左中>はミニバスよりもやや大きいくらいで、しかもノンエアコンであった。フロントグラスに書かれた文字から判断すると、モンハイ始発でモンラーまで行くものであった。

モンラー行きバス 車内、ノンエアコンである メコンを渡る 料金所

指定の席にはすでに親子連れが乗り込んでいた。もう、このあたりには慣れてきてしまった。空いた席に移り、出発を待つ。かなり空席があり、発車後に二人掛けの席に移る。メコン<上右中>を横切りこの川ともしばらくお別れかと思ったが、バスは景洪市内の別の乗り場に停車。ここからも数名乗り込んでくる。実質景洪を出たのは11:00くらいであった。高速道の料金所<上右>を通る。このあたりではまだETCのようなシステムは導入されていないようである。すべて手渡しで金を払っている。しばらくは高速を走る。その後、高速を降りてモンロン<下左>という町に立ち寄る。ここで休憩30分。よくわからないので、バスの近くを離れず。せいぜい、バスターミナル内の果物売り<下左中>などを撮ったくらいである。再スタート。1時間ほどでモンラーに到着。荷物は何事もなかった。バスを降り、荷物を受け取るとホテルの客引きが群がる。闇両替も。
ウドムサイ行きバス、アウト

30分休憩 フルーツ売り 客室 テレビ

バスターミナル向かいの宿にチェックイン。2タイプの部屋を見せてくれたが、2ベッドの方を選ぶ。100元のデポジット。部屋<上右中>は、かなり綺麗。ここも、かなりのチャンネルを見ることのできるテレビ<上右>があった。また、日差しが直接入り込まない部屋だが、エアコンがついていた。トイレ<下左>は中国式だが、シャワーを浴びるスペースがトイレとは離れているので、気分的には悪くない。テーブルの片隅には缶飲料やインスタントラーメン<下左中>などが置いてあったが、これは有料である。また、電気ポット<下右中>があり、お茶はフリーのようであった。だが、時間が惜しく、バスターミナルへ。

ここも中国式トイレ これは有料 中国茶はサービス 椰子の街路樹

バスターミナルで翌日のウドムサイ行きを希望したが、答えは「没有」。さあ、どうするか。ひとまず、モンラーにもう一つあるバスターミナルに行ってみて、手段を探ることにする。モンラーの町は椰子の木の街路樹<上右>が植えられ、辺境の町にしては綺麗なものだと思う。しばらく行くと川<下左>が流れていた。川の色も泥のような色合いだった。通りに面した商店は正面の仕切がなく素通しで中がよく見える。床屋<下左中>などは丸見えなのである。また、街頭で中国将棋<下右中>を指す人たちもいた。

丸見えの床屋 街頭の将棋 大腸麺

南站と呼ばれるもう一つのバスターミナルまではかなり距離があり、入ろうとすると、荷物チェックがあった。もちろん、景洪でもそれはあったが、手荷物に関しては調べられることがなかった。この日の朝、バックパックを調べられたのが、初めてのことであったが、モンラーのラオス方面へのバスターミナルでは、チェックが厳重なようである。ただし、終わると、係は「謝謝」と言ってくれた。この言葉を聞いたのは、中国で初めてだなと思った。ただし、バスはモンラー周辺と国境のモーハン行きだけ。仕方ないので、戻ることにする。これで、明日はバスを乗り継いでウドムサイに行くことになる。途中にあった、麺のファストフードのような店で大腸麺<上右>を食べる。7.0元。大腸は美味いが、スープに唐辛子がかなり入っていて、下手をするとむせる。
モンラー市場
宿の裏手には市場<下左>があることがわかっていた。すでにピーク時の賑わいは去っていたが、まだたくさんの店が営業していた。「四川」というのれんのある屋台<下左中、下右中>があり、四川省から移住した人のものなのだろうか。その傍らでは、子供<下右>が遊んでいる。

モンラー市場 四川味か 肉を扱う 台車で遊ぶ子供

市場に乗り付けたバイク<下左>があったが、なんと荷台付きである。こういうものにも興味があるので、シャッターを押す回数が自然と増えてくる。遊び回る子供たち<下左中、下右中>に声をかけて写真を撮らせてもらった。こんな辺境の地だが、デジカメのモニターというものはよく知っていて、撮ったあとに見せろとせがまれる。

荷台付きのバイク 三人組 遊び仲間 葬儀に使うグッズ

この市場の売り物は食品だけではなく、冥通銀行などと書かれた、葬儀用の紙幣<上右>(註3)などもあった。さすがは、少数民族だけでなく、漢民族の世界でもある。市場の裏手に行ってみる。古いミシン<下左>を並べたところは、縫い物を扱うのだろう。古い鍵<下左中>を並べたところは、金属の修繕をするのだろう。冬虫夏草(註4)などの漢方薬を売る屋台などもある。海から遙かに離れたこの雲南の辺境でも、ヒトデ<下右中>を干したものが並べられている。よく見ると、虎の生殖器や熊の掌などもあった。ミシンの並べられたところで、赤ん坊<下右中>がいて、写真を撮らせてもらったが、とうとう泣かれてしまった。(註3…漢民族は葬儀の際に紙でできた家やクルマ紙幣などを使用する。死者があの世でも幸福に暮らせるようにとの配慮である。これらは、すべて燃やされてしまう。)(註4…菌類の一つで蛾の幼虫に寄生する。原産地はチベット。)

足踏みミシン 修繕の屋台 漢方薬など 最後は泣き顔

ここも、場所ごとに扱うものが決まっているようである。おもちゃ<下左>売り場や下着<下左中>のコーナーがある。角を曲がり元の市場に戻ろうとしたら、着飾った少数民族のおばさんたち<下右中>が歩いてきた。市場では、中国酒<下右>を瓶で量り売りする人もいた。

レトロなおもちゃ 下着類 少数民族の女性たち 中国酒

市場をメインストリートに出るあたりには、果物売り<下左>がいた。別の市場もあるとのことでそちらに行ってみる。やはり荷台付きのバイク<下左中>や、ミリタリーグッズ<下右中>を売る店などを覗き、結局はたどり着けず。別の道から戻ろうとしたが、これも失敗。ただし、モンラーの町が見渡せる高台<下右>であった。

果物売り 荷台付きバイク 軍服 モンラー一の高台

モンラーの夜

冷えてない しゃきしゃきして美味い 最も美味い炒飯だった

夕食は、英語メニューがウィンドーに書いてある店を選ぶ。雪花ビール<上左>酸辣白菜<上中>鶏肉炒飯<上右>。ビールはまったく冷えていなかった。20年くらい前の中国と同じである。おかずは、ピリ辛でなかなか美味い。炒飯もこの旅でもっとも火の通ったしっかりしたものであった。しかし、全部を食べきることはできなかった。量が多いのだ。22元

射的屋台 しっかりと狙いを定める 空気銃を持って遊ぶ子供 食べ物の屋台

ストロボをつけて、市場あたりを撮る。射的<上左、上左中、上右中>が盛んなのか。また、ままごとのような小さなテーブルと椅子で食事を出す屋台<上右>もあった。遊園地風のものもあり、モンラーではローラースケートも盛んなようであった。乗り継ぎのために仕方なく泊まったモンラーだったが、結構面白いところであった。<Next→乗り継ぎでウドムサイ>

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