バンビエンからヴィエンチャンへ。何もない首都と呼ばれたところだが、この2年あまりの間には、わずかながらも変化があった。
バンビエン8:45-(Mini Bus)-13:15ヴィエンチャン〜Phonepaseuth Guest House
首都へ
バンビエンの朝は雨の時間帯なのだろうか。この日もスコールのような激しい雨が降る。傘を差して、数軒先の朝食をやっている店へ。一番安いパンだけが10,000キープ。飲み物を頼むと、後ろの冷蔵庫を指さし、好きなものを選ぶらしい。ネスレのペスカ缶にする。合わせて16,000キープ。味気ない朝食<下左>であった。特に、昨日と比べるとなおさらである。
ピックアップがやってくる前にチェックアウト。80,000キープ。雨はまだ降り続けていて、中で休ませてもらう。到着したのは、やはりワゴン車<上右>で、まだ誰も乗っていない。荷物は後ろへ。ワゴンは少し走り、別のゲストハウスで旅行者としては年のいった女性をピックアップ。この人は見覚えがあり、前日、郊外ですれ違ったのである。そのことを話すと思い出したようで、オーストラリアから来たなどと話してくれた。
さらにワゴンは少し進み、明らかにラオス人と思える女性を助手席に乗せた。その後、韓国人の男性二人組と足を怪我している男性と女性のカップルを乗せた。何でも、ヴィエンチャンに到着したら、病院に直行するらしい。カップルのためにいいと思った座席を明け渡す。そして、最後と思われたが、アメリカ人男性をピックアップ。
ワゴンは、なんと北向きに走り、バスターミナルでフランス人カップルを乗せた。そこで荷物は屋根に載せられることとなる。まあ、乗り換えがなくてよかった。総勢、10名。ようやく南へ走り出す。
道はバンビエン近くではやや悪路であったが、しばらくすると凹凸がなくなり、かなりのスピードで走ることができる。おそらく中間点あたりの、ポーンホンあたりで休憩<右>となる。缶コーヒー、5,000キープ。
ナンプの宿
ヴィエンチャンにはワッタイ国際空港(註1)方面から入ることになった。しばらくぶりの信号に、誰もが目を見張る。オーストラリアの女性は「おお、信号があるわ。感動した」と言っていた。ワゴンは、メコン沿いにある駐車場で止まる。ここからトゥクトゥクで目指す宿に行こうとするが、韓国人の二人組が、連れて行ってくれとのことで、歩く。トゥクトゥクの言い値もかなり高いのである。韓国人は太った眼鏡の男性とやせた長髪の男性で、太った方は立派な社会人に見えるが、やせた方は学生にしか見えない。太った方が片言の日本語を話した。彼らのガイドブックを見せてもらったが、ヴィエンチャンの地図は10年以上前の地球の歩き方以上に簡素なものであった。(註1…Wattay International Airport。ヴィエンチャンの空の玄関口。)
ナンプを目指す。このあたりに安い宿が集まっているのである。初めの宿では満室。次の宿は少々高かったが、決めた。韓国人たちは他を探すとのことだが、「このあたりには安い宿がいくらもある」とアドバイスする。
ポーンパスート・ゲストハウス<上左>。部屋は1泊200,000キープと今までで一番高い。部屋をチェックしようと上に向かいかけると、オーストラリアのおばさんが顔を出した。まだ、宿が決まらず探している途中らしい。料金はともかく、部屋<上左中、上右中>はテレビ、エアコン完備で、最上階の4階と眺め<上右>もよい。しかも、部屋の外から出ることになるが、目前にテラスがある。眺めがよいのだが、テラスからも覗かれてしまう。外出時にはカーテンを閉めることにする。ゲストハウスというよりもちょっとしたホテル並みではある。料金も。荷物を置き、すぐさま昼食へ。近くには、ナンプ・コーヒーという店があり、カオマンガイ<下左>とアイスコーヒー<下左中>を頼む。シンマイ(註2)というスープがあり、これが美味そうだったので、頼んだところ、すでに売り切れ。ただし、カオマンガイもなかなかのレベルであった。もちろん、コーヒーの味もいうことはない。20,000キープ。(註2…肉団子のスープ。朝食の定番らしい。)
タラート・サオの変化
タート・ダム<上右中>(註3)を通り、タラート・サオ<上右>(註4)へ。ここで、前にリバーサルフィルムを購入したことがある。しかし、タラート・サオはその時よりも改良され、一部はデパートのようになっていた。僧侶<下左>が携帯電話を眺めている。1階の広場のようになったところには、新車が展示してある。それがピックアップトラック<下左中>というところが、ラオスらしいが。ラオス初と思われるエスカレーター<下右中>やエレベーターもある。上階に行ってみると、プリクラ<下右>があり、かなりの人気であった。傍らには撮影用のカツラなども用意されていた。そして、古い方のタラート・サオは店が入れ替わっていて、とうとう、リバーサルフィルムは見つけられなかった。(註3…That Dam。現在は塔があるのみでそれも、ロータリー代わりになっている。)(註4…Talat Sao。意味は朝市だが、日中は営業している。以前は巨大な市場という感じだったが、新しくデパートのようなタラート・サオ・モールができた。ここには、空港以外ではラオス初と思われるエスカレーターがある。)
凱旋門とタートルアン
少し歩いたところからトゥクトゥク<上左>に乗る。パトゥーサイ(註5)に行こうとしたが、怪訝な表情をされる。すぐ気がついたが、かなり近くなのであった。それでも乗り込む。15,000キープ。パトゥーサイ<上左中、上右中>は3,000キープとかなり安い入場料。ここで見事なのはアーチの天井にあるモザイク<上右>である。相変わらずの汚い階段を上がり、屋上へ。晴れ渡り、メコン<下左>までよく見える。パトゥーサイ付近にはなぜかアマチュアらしいカメラマンがかなりいて、その機材<下左中>が何気なく置かれていた。(註5…Patousai。元々は戦没者慰霊塔。パリの凱旋門がモデル。以前はアーヌサワリーと呼ばれた。)
次は、タートルアン(註6)。またトゥクトゥクである。トゥクトゥクにはパウチした値段表があるが、交渉次第でわずかに安くなる。だが、高い乗り物といえよう。今度は、30,000キープ。また、タートルアン<上右中、上右>は入場時間は過ぎていた。近くまで行くことはできるが、ちょっとした無駄足である。手前にはセーターティラート王の像<下左>がある。前回は遠くから撮ってみたが、囲いの中に入って撮る。入場時間を過ぎていたタートルアンであるが、近くには簡易型の遊園地<下左中>が開かれている。暑かったので、屋台でミリンダを買って飲む。5,000キープ。(註6…That Luang。高さ45mの仏塔を持つ寺院。タートルアン祭りの時には各地から集まった僧侶がここに寝泊まりする。)
帰りは、ナンプまでトゥクトゥク<上右中>に。今度も交渉して40,000キープ。ただし、ドライバーは途中でフランス人の老夫婦を乗せた。夕刻前のナンプ<上右>であるが、まったく水が流れてなくて、ひときわ暑い感じがする。いったん、部屋で休み、切手と絵はがきを購入。日本までは2通で18,000キープであった。
メコンの夕陽とベトナム料理
その足で、メコン川に行き、夕陽を撮る。堤防<上左中>には土嚢が積まれ、メコンの水量はあふれんばかりである。事実、数日前にはあふれたらしい。メコンには船上レストラン<上左中、上右中>がいくつかあった。歩き回り、夕陽<上右>にふさわしい場所を探した。この時期は乾季と違い太陽の沈む位置が異なった。
ナンプ<上左>に戻ると水が出ていた。夕食はインドシンという、ベトナム料理の店に行き、ブンチャー<上左中>(註7)とビアラオ。焼き肉<上右中>の付いたそうめん<上右>のようなものである。45,000キープ。店を出ると、トゥクトゥクで同乗したフランス人(註8)がいた。道に迷っているとのこと。教えて分かれる。(註7…Bun Cha。ハノイの名物料理。どうやら肉は付け汁に入れて麺とともに食べるらしい。)(註8…よくよく考えてみると、ちょっと怪しげかも。彼らと話している途中ラオス人の若い女性が現れトラブルになりそうになった。こんなところで迷うわけがないし。)<Next→友好橋の国境越え>
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