ひどい体調不良。前夜は最悪で何度もトイレに行くことになる。それでも早起きして托鉢を見に行った。その帰り、さらに静かなゲストハウスを見つけ、そちらに移動し、ここを拠点として町歩きを続けた。
ルアンパバーン市内観光〜Chitlatda Guest House
* ルアンパバーン旧市街が世界遺産に登録されています。
1回目の托鉢
相変わらずの体調であるが、6:30頃托鉢を見に行く。宿は昨夜の喧噪とうってかわり、静まりかえっていた。自分のサンダルを探し、外へ。まだ太陽は昇っていないものの、すでに明るい。郵便局のあたりに向かう。以前来たときにいくつもの寺院から出てきた僧侶たちが托鉢の列を作っていたあたりである。すでに、ルアンパバーンの住民たち<上左、上左中>は活動していた。食べ物を持って托鉢に向かう人たちも見かける。着いてみると、托鉢<上右中、上右、下左、下左中、下右中、下右>も終わりかけていたが、僧衣をまとった列を見つけ、あとをついていく。まあ何とか撮影はしたという感じ。
宿替え
宿に戻る途中、別のゲストハウスの従業員に話しかけられた。しかも日本語である。「どこに泊まっているの?」という話からである。近くには日本人宿泊客もいて、托鉢帰りのようでもある。なんか雰囲気はよさそう。
さらに戻る途中で朝食<右>とした。どうということのないバゲットと目玉焼き。ここで頼もうとしたとき、あまり金を持っていないことに気づき、出ていこうとするが、「大丈夫、これだけあれば」とのことで、再び座る。30,000キープと高い。
食べながら考えた。体調がよければ、コールドリバーもまったく問題なく、日本人旅行者たちと情報の交換などもできるだろうが、こんな調子では迷惑をかけるだけである。あの話しかけられた宿に部屋を代わろう。引き返す。先ほどの日本語を話す従業員が部屋を見せてくれた。部屋の状況はチェックアウトしたばかりなので、掃除がされていないが、9:30までには片づけるとのこと。何より、ざわざわと話し声がしないのがいい。予約金10,000キープを取られたが。
宿に戻り、荷物整理。時間近くなり、チェックアウト。「これからどこに行くか」とも話しかけられたが、適当なことをいっておく。歩いて5分。案内された部屋<下左、下左中、下右中、下右>は、先ほどのところではなく、別の建物の二階にあった。なぜかダブルベッドとシングルベッドが並び、清潔。ちょっとしたテラスもあり、ここに洗濯物を干すことができる。そしてカビくさくない。話し声もない。しかも、エアコンとテレビまであった。
このゲストハウスは本館の他、近くの建物をいくつかリニューアル中であった。確かにルアンパバーンは新しいゲストハウスやレストラン、カフェなどが続々とできているように感じる。
メコンの流れ
体調の悪い中、あまり無理せず観光することにする。再び托鉢を見たあたりへ。タラート・ダーラー<下左>という新しい市場ができていた。ただの市場ではなく、建物の一部にはこぎれいなカフェやレストランも入るというところであった。この角を曲がり、郵便局方面へ。その途中では、きれいな魚を瓶に入れて、売っていた。闘魚(註1)である。売り子<下左中>は子供だったが、闘魚を真剣に選ぶ買い手<下右中>は大人である。その傍らでは、トゥクトゥクのドライバー<下右>が客席でくつろぎ、客待ちしていた。(註1…Betta。メコン流域に生息する淡水魚でとても生命力が強く、空気呼吸もできる。オスはメスを守るため縄張り内に入る他の個体を攻撃する特徴があり、それを利用して観賞用の他闘魚として楽しむのが、タイなどでの大人の遊びである。)
まずは昨日と同じように、プーシーの丘の麓から歩く。今日は、寺院にも入ってみることにする。プーシーの麓、郵便局前あたりには、モン族のマーケットがあり、いろいろなものを売っている。刺繍された布<下左>、各種雑貨<下左中>、そして、フルーツシェイクの屋台<下右中>などがある。
次にはメコン<上右>を見に行く。対岸には小さな村があり、渡し船<下左>が行き来しているようだ。たくさんの荷物と客を乗せ、今まさに出航しようとしている。また、ラオスの船<下左中>は細長い形が特徴である。
メコンから引き返し、メコンと平行するひとつ奥の通りを歩く。この通りは食べ物の屋台や、簡単な市場になっていた。その近くの寺院<上右中>には、境内でごろ寝する人が多い。どうやら、ホームレス<上右>が住み着いているようだ。托鉢の残り物なのか、ざるに入れたご飯を境内に並べる老いた僧侶<下左>がいた。近くでは猫がそれをねらっている。本堂<下左中>には、ルアンパバーン様式なのか、見事な絵が描かれているのだが、あまりに汚くて、入るにはためらわれた。
寺院を出て、通りの屋台群を観察。新鮮な野菜<上右中、上右>が並ぶ。ルアンパバーンにももちろん大きな市場があるが、場所がやや離れているため、中心部に住む人たちはここで用を済ますのではなかろうか。
シーサワンウォン通り〜サッカリン通り
ワット・マイ<上左>(註2)に行く。ここでは黄金のレリーフ<上左中>が本堂にあるのだが、入場料を払い中を覗くことはしなかった。境内を歩くとボートレース用の船を塗り直す作業<上右中、上右、下左、下左中>を行っていた。その近くでは、サンダルとトランプを使い、遊んでいた少年たち<下右中>がいた。(註2…Wat Mai。正式名称はもっと長い。本堂の壁には黄金のレリーフがあり、ラーマーヤナをモチーフにしている。本堂内だけは入場料が必要。)
隣のルアンプラバン国立博物館(註3)へ。以前も訪れたが、そのときも中は入っていない。ここはかつての国王の住居なのである。入ってみても、撮影禁止なので、しょうがないと思った。そのかわり外から建物を中心に撮影する。入り口近くにあるのは、寺院のような建物<上右>で、内部には仏像が納められているはずだが、このときは、階段から上に上がることができなかった。その対面にある像はシーサワンウォン王<下左>(註4)である。そして、少し内部に入り、博物館の建物すなわちかつての王宮<下左中>を撮影した。(註3…Luang Prabang National Museum。かつては王宮であり、1909年シーサワンウォン王の住居として作られたものである。1975年、パテト・ラオのルアンパバーン掌握により王族は北部へ送られ、以降王宮としては使われなくなった。)(註4…King Sisavang Vong。1885-1959。ルアンパバーン王国最後の王でラオス王国最初の王。)
シーサワンウォン通り<上右中>からサッカリン通りそぞろ歩き。特に、国立博物館から少し先には、インターネットカフェや旅行会社が並んでいる。しばらく行くと、ブルーハウス<下左>というコロニアル様式の建物が現れた。その前には、古めかしいメルセデス<下左中>が駐車してあった。その向かいには、焼きバナナ<下右中>を売っていたりするミスマッチである。このあたりにある寺を出入りしつつ、ちょっとしたものを撮す。寺院では勉学の合間に、僧侶<下右>が知り合いのバイクに群がっていた。
干し肉<下左>とおこし<下左中>作りが目立ってきた。ワット・シェントーン(註5)が近づいてきた。だが、すぐには入らず、メコンとカーンの合流地点<下右中>まで歩いて迂回するような形となった。その前にはちょっとした碑があった。蒸し暑く、ちょっとしたカフェでマンゴー・シェイク<下右>を飲む。7,000キープ。絶妙な味である。(註5…Wat Xiengthong。1560年セーターティラート王によって建立された。黄金の木が描かれた本堂やシーサワンウォン王の葬儀に使われた霊柩車を納めた建物などがあり、その美しさはルアンパバーン随一である。)
ワット・シェントーン<下左>。入場料20,000キープ。以前の倍の料金設定である。まずは黄金の木<下左中>に対面する。本堂裏に描かれたモザイク模様である。ここで、韓国人女性にシャッター押しを頼まれた。この女性とは町のあちこちでたびたび出会うこととなる。また、コールドリバーにいた連中もあちこちで顔を合わせた。ルアンパバーンはその程度の広さなのである。
次にレッド・チャペル<上右中>へ。寝仏が納められた祠だが、ここもモザイク画が描かれている。そのあと、本堂に入り、仏像などを眺める。少し離れたところにあるのは、ホーラーサロット<上右>と呼ばれる、霊柩車庫である。内部には、シーサワンウォン王の葬儀に使われたヤマタノオロチを連想させる霊柩車<下左、下左中>が納められているほか、仏像<下右中>などもある。そのあと、カーン川沿いに戻り、宿近くの寺院<下右>を見て戻った。
すでに大幅に昼食時間を回っていたが、無理をせずにお茶だけ買い求め、部屋で休む。
坊さんとお話
夕方近くなり、クリーニング屋で洗濯物を引き取る。見事な乾き具合である。それを部屋に置き、また出かける。近くの、ワット・ビスンナラート<下左>(註6)では、僧侶が大挙して草刈り<下左中>を行っていた。(註6…Wat Visunnalat。通称すいか寺。)
ワット・マノー<上右中>へ。ここは入り口からちょっと覗いたくらい。次にワット・タートルアン<上右>(註7)へ。入場料10,000キープ。入り口近くの仏塔<下左>や透かし彫りの扉<下左中>などを見ていく。内部にも入ったあと、小坊主が集まっているところに目をつける。写真を撮っていいかと聞くとOKとなった。小坊主たち<下右中>はいずれもハイティーンで、片手には携帯電話で音楽を聴いている坊主もいた。以前はあまり坊さんとコミュニケーションを取らなかったので、わからなかったが、こういう連中もいる。この時期は特に僧侶が多いこともあるか。カオパンサーとオークパンサーの間、剃髪して仏門に入るラオス男性は多いのだ。(註7…Wat Thatluang。)
ここを辞してプーシーの丘に急ぐ。夕陽の時間が近づいてきたのである。その途中、大人たちが集まり、ペタンク<上右>(註8)という球技を行っているところがあった。(註8…Petanque。フランス発祥の球技。沢木耕太郎がバルセロナで老人たちに混じって競技したのもペタンクなのではないかと思われる。)
プーシーの丘
丘の麓ではすでにナイトマーケットの準備<上左中>が行われていた。プーシーの丘へは入場料20,000キープ。ここも値上がりしている。丘の上にはタート・チョムシー<上左中>という黄金の仏塔がある。そこから別方向に少し歩くと、ラオス内戦時のものと思われる高射砲<上右中>のなれの果てが野ざらしで置かれている。丘の上はさすがに眺めがよく、カーン川<上右>とメコンもよく見える。しかし、夕陽までは時間をもてあまし、歩いて戻る。すでにナイトマーケット<下左>の準備は整い、店も開店しようとしていた。まだ時間はあるので、いいことにしよう。途中の売店でビアラオの缶とサンドイッチ<下中、下右>を購入。16,000キープ。これを部屋で食べるのだ。昼食は抜き、夕食も簡素に。これで少しは回復していることであろう。<Next→さらにゆるい1日>
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