景洪滞在4日目。この日も遠く足を伸ばし、モンフンまで行くことにする。折しも日曜日。モンフンにはシーサンパンナ最大のサンデーマーケットが開かれるということだが。
景洪9:30-(Yunnan Bus)-12:30モンフン14:00-(Mini Bus)-14:20モンハイ14:40-(Yunnan Bus)-15:40景洪〜建華賓館
蘭州ラーメン
起きると今日も雨。いい加減嫌になる。この日は昨夜のうちに行き場所を検討していた。折しも日曜日で、モンフン(註1)というところでシーサンパンナ最大の日曜市が開かれるという。そこに行くことにする。(註1…Menghun。モンハイ県に属する町。)
朝食はやはり曼聴路にある、蘭州拉麺に行く。従業員は回族(註2)らしく全員白い帽子を被っている。いわゆる清真(註3)の店で、豚肉は出さない。朝から重いと思ったが、牛肉拉麺をオーダー。手打ちの麺で、生地を取りだし、こねたあとに、左右に引き延ばし、これを中程からたたみ、再び左右に引き延ばす。これを繰り返すと、かなり細めの麺ができあがる。そのまま鍋に投入し、茹でられた。麺のパフォーマンス<上左>である。できあがった牛肉拉麺<上右>はとびきり美味いものではなかった。麺はあのような作り方なので、太さは均一ではないようだ。それでも、いいものを見せてもらった。5.0元。(註2…Hui Zu。ルーツは唐から元の時代に通商を求めてやってきたアラブ・ペルシア系のムスリムと彼らと通婚し、改宗した中国人といわれている。長い年月のうちに風貌などは中国化してしまった。男性は白い帽子をかぶっている。各地に自治区・自治県があるが、主な居住地は寧夏回族自治区や甘粛省である。)(註3…中国ではこの文字があることでハラル食品を扱う店であることがわかる。いわゆるムスリム料理を出す店。)
時間のかかるバス
やはりタクシーで景洪客運站<下左>へ。5.0元。今日はモンフン行きを簡単に購入できた。21元。保険料は含まれていない。乗り場へ移動。その手前では手荷物チェックがあるが、ショルダーバッグのみなので、そのまま行ってよい。まだ、発車まで時間があり、ベンチに腰を下ろす。その前には中国各地で起きた交通事故の写真<下左中>が並ぶ。かなりリアルなものだ。バスはイヴェコのワゴン<下右中>だった。隣には、昆明からやって来た、寝台バス<下右>が止まっている。乗車。どういうことか女性の車掌が乗り込んでいた。しかし、時間通りに出発したものの、景洪市内を巡り、別のターミナルにも立ち寄る。バスの行き先はミャンマー国境近くの打洛(註4)というところで、かなり時間がかかりそうである。景洪を出たのは10:00くらいになってしまい、モンハイ到着も11:30という始末。さらにモンハイではバスの乗降を巡り、女性の車掌と乗客との間で一悶着あったもので、さらに30分停車した。(註4…ミャンマー国境近くにある村。)
モンフンまでは突然道がよくなり、あっという間である。高速道なのか、料金所があり、ここで国境警備の人民解放軍がバスに乗り込んできた。身分証明書のチェック。こちらもパスポートを差し出す。最初中国語で話しかけられたが、英語のできる兵士を連れてきて、「ミャンマーに行っては行けない」と告げられる。パスポートはしばらく預かられ、番号や氏名などが控えられた模様。やがてパスポートは戻ってきた。バスは料金所を過ぎて右折。そこがモンフンの町であった。
少数民族だらけ
激しい雨は変わらない。さて、どうしようか。まずは腹ごしらえ。手近な麺の店に入り、オーダー。できるものはただのスープ麺<上左>である。3.0元。美味しくない。唐辛子を投入したが、ただ辛くなっただけであった。店のおばさん<上左中>に市場の位置をきき、そちらに行ってみる。1本しかないメインストリートには、様々な屋台<上右中>が出ている。通りの両側には一般の商店があり、明らかに少数民族<上右>とわかる人たちが買い物をしていた。
市場は水浸しであった。手前の道路<上左>も浸水している。膝近くまで水がたまっていて、ものを売っているところまでたどり着こうとすると、この水の中を歩かねばならない。しばらく躊躇し、市場手前をうろついてみる。入り口近くでは雑多なものを売る少数民族のおばあさん<上左中>がいた。そのそばでは生きたままの鳥の雛<上右中>を売っていた。外に戻ると、近所で漁をしている人たち<上右中>が仕掛けを担ぎ、歩いてきた。オレンジの袈裟を着た僧侶たち<下左>もいる。また戻ると、豆腐<下左中>を売っていた。売り子のおばさん<下右中>は、「タオフー」とこちらの仕草を見守りつつ呟く。市場の入り口には閑そうな若者がビリヤード<下右>で遊んでいた。いよいよ市場に突入する。ジーンズの裾をまくり上げ、意を決して水に入る。
確かに、少数民族が今まで訪れたところよりもたくさんいる。ただ、この豪雨ではマーケットも半分終わりかけているのかもしれない。あまり活気はなかった。何より、景洪からここまで時間がかかりすぎた。屋根付きの市場なので、雨に降られることはないが、薄暗く、写真を撮るにはあまり適していない。入り口に近いところでは、肉<下左、下左中>が売られていた。市場は一段高くなっていて、水の進入はない。売り手も買い手も少数民族のようである。
売り物は、いろいろとある。鯉のような魚<上右中>、明らかに食用のカエル<上右>、さらにはタウナギ、色鮮やかな野菜<下左>などである。また、その場で揚げる料理<下左中>も提供していた。その中を少数民族<下右中>が闊歩する。
昨日、予備のフィルムを忘れたこともあり、かなり撮影したなと感じ、戻ることにする。どうすればいいかよくわからないが、バスを降りたあたりに行ってみる。すると、軽自動車のキャブオーバー型ワゴン<上右>があり、フロントガラスにはモンフン−モンハイとある。運転手に確かめて乗り込む。助手席である。後部にはティーンエイジャーの女性が3名くらい乗っている。ドライバーはモンハイ方面への客をさらに乗せたがっていたが、結局これ以上集まらず、出発する。
帰りもやはり、身分証明書のチェックがあった。それでも、モンハイにはわずかな時間で到着する。料金は6.0元。少し歩くと、バスターミナルがあり、0.5元の有料トイレに立ち寄ったあと、景洪行きを購入。13元。ダイレクトに行く方が料金がかかるこの不条理。帰りのバスはかなり小さなワゴンだったが、1時間ほどで到着してしまう。ただし、到着したのは、版納客運站だった。ここには、ホテルの客引きがいる。
雲南名物過橋米線
雲南名物の米線<下左>(註5)を食べる。何しろ、簡単な麺しか食べていなかったので、腹が空いていたのである。米からできた麺だが、熱々のスープに、キノコやハーブが入り、雲南で食べた麺では一番美味かった。牛肉麺で5.0元。(註5…過橋米線というのが本来の名称。その昔科挙試験に備え池の小島という静かな環境で勉学に励んでいた男が、妻に食事を運ばせていたが、鶏の脂を抽出したこの料理を食べたところ、橋を渡ってきても冷めていなかったため、感激しそのおかげか科挙に合格したという逸話から来ている料理名。麺は乾麺ではなく、うどんのような食感がある。)
この近くに、民族風情園というものがあり、以前訪れたことがある。シーサンパンナに暮らす少数民族の家屋があり、内部には少数民族のガイドが待機しているというテーマパークである。日曜日のためか入場無料である。入ってすぐに記念の塔<上左中>があった。このあたりを現在の中国政府が解放した時の記念碑でもあるようで、功労者の名前が刻まれている。書かれている文字は漢字と丸っこいタイ族の文字のようである。しかし、内部はかなり荒れ果てていて、各民族の建物<上右中>は残っていたが、手入れをした形跡がなく、もちろんガイドもいなかった。ここはもう終わっている。おそらく、ガンランパのタイ族園などに客が流れているのだろう。それでも、うっそうとした熱帯林<上右>は残る。
宿まで歩いて戻る。何気ないオフィスビルの合間に独特の形をした祠<下左>のようなものがあった。タイ族のものだろうが、いっさいの説明書きもなく、まったくわからなかった。しばらく歩くと、大型ホテルが並ぶ一帯に出た。飾りを付けたクルマ<下左中>が並び、どうやら結婚披露宴<下右中>を行っているようである。またしばらく歩くと、茶芸館<下右中>の立ち並ぶエリアに入った。シーサンパンナはお茶の産地でもあるのだ。
Banna Cafeでコーヒー<下左>を飲み、宿へ。少し休み、タイレストランへ。青島ビールがなく、ビアシン<下左中>。中国産ビールは安いが、外国のビールはやや高め。空芯菜炒めと揚げ豚肉とキャベツの炒め物、ごはんをオーダー。ご飯と豚肉は、ぶっかけ飯<下右中>の状態で出てきた。だが美味かった。そのほかにスープも付いたが、これは中華料理の影響だろう。スープに関してはタイの味ではなかった。もっぱら空芯菜炒め<下右>はビールのつまみである。中華料理よりタイやラオスの料理の方が味が複雑で美味しいと感じる。早くラオスに戻りたいものだとこのとき感じた。36元。<Next→旅立つ日にピーカン>
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