雨とメコンと少数民族〜Chiang Mai(2)

ドイ・ステープ

午前中は、モン族の村とドイ・ステープへのツアー。午後は再び旧市街を歩く。チェンマイはミャンマー(ビルマ)の影響を強く受けた文化の残るところであった。

2008/08/03(Sun:第4日)ドイ・ステープにリベンジ<チェンマイ 雨のち晴れ>

チェンマイ市内観光(ドイ・プイ、ドイ・ステープ、ワット・プラ・シン)
チェンマイ8:30-(Tour Car)-9:20ドイ・プイ10:10-(Tour Car)-10:30ドイ・ステープ12:00-(Tour Car)-13:00チェンマイ〜Star Hotel Chiang Mai★★★
スープが絶品
宿は朝食<右>付き。例によってビュフェであるが、片隅にその場でよそってくれるスープがあり、これがなかなか美味しい。肉団子、レバーや血を固めたものが入り、いい味である。ビュフェでも美味しいお粥があったりすると、つい期待してしまう。あとのものはあまり大したことはなかったが。これで、明日の朝も楽しみである。
ホテルの入り口近くで待つ。かなり大型のワゴンが止まる。空席は最後尾のみ。その後、やや大型のゲストハウスに立ち寄り、ここで3名をピックアップ。これで満席となった。ワゴンは一路、チェンマイ郊外を目指す。13名というツアーである。ガイドが英語で説明するが、それほど難解な英語を使わないのが助かる。
モン族の村
ワゴンは徐々に高度を稼ぎ、ドイ・ステープを越える。道はかなり狭くなり、きついカーブが続く。どん詰まりに集落が見えてきて、ここが、モン族の村、ドイ・プイ(註1)であった。ほとんどを観光収入に頼り切った村のようで、駐車場<下左>には他のツアーのワゴンなども見える。駐車場イコール、村の中心かつ社交場みたいな感じで、民族衣装を付けた人もいれば、そこらのタイ人とあまり変わらない服装の人も。(註1…Doi Pui。)

村の中心地 モンの少年 タイ人のガイド 一人遊び

参加者の一人の女性は子供好きなのか、モンの少年<上左中>を従えてついてくる。ガイド<上右中>が説明を始める。中心から坂を上り、所々で説明を加えていく。耳を傾けつつも、近くにいた少年<上右>を撮影。道の両脇にある家屋はほとんどが土産物屋を兼ねていて、お茶<下左>モンの服<下左中>アクセサリー<下右中>、どこから手に入れたのか、漢方薬<下右>として虎のペニスまでが売られていた。あるところまで来ると、ガイドは「では、ワゴン車のところにこの時間までに集合してください」という。あとはフリーである。

高原茶のイメージか モン女性の民族衣装 色とりどりの小物 虎の…

この瞬間を待っていた。やはり、集団行動はいろいろ制約が多く、あまり楽しめない。村はずれに行ってみたものの、あまり面白くはなかった。それでも、人物中心に撮影してみる。走り回るモンの少女<下左>たち。家の前にたたずむ親子<下左中>。集まっている民族衣装を付けたモン族<下右中>。などである。最後には、有料トイレを借りる。3.0バーツ。ここにいた男性は、石を見せて「ミャンマーのものだ」と買うように迫るが、もちろん買わない。また、日本語で「モン族の人たちに満足な食事を」と書かれたものがあり、寄付を募っていた。そこに幾ばくかの金を入れ、近くにいたモン族の祖母と孫<下右>を撮らせてもらう。

遊ぶ少女 モンの母と子供 駐車場のモン族 硬い表情である

集合時間が近づき、参加者が集まってくる。あとで名簿を作成したが、それによると、オーストラリア、イスラエル、北欧、タイなどというメンバー構成であった。その間にガイドが話しかけてくる。「チェンマイのあとはどちらへ?」とのことで、「ラオスを経て中国まで行く」と答えておいた。
霧のドイ・ステープ
次がいよいよドイ・ステープ。2年半前の時も、ドイ・ステープを回るツアーに参加予定であったが、なんと寝坊し、キャンセルせざるを得なかったものである。なんと、ドイ・ステープへは、エレベーターのようなケーブルカー<下左>があり、乗ることになった。ツアー参加者にはかなりの高齢者がいて、これはやむを得ないであろう。上がりきると菩提樹があった。ミャンマーで見かけるような白塗りの仏像<下左中>があった。ここが待ち合わせ場所となる。

エレベーターのようなケーブルカー 待ち合わせ場所 絶え間なく踊りは続く 白い象

ドイ・ステープでも、軽くガイドについて一周。この間に簡単な説明がある。その後解放され、フリーとなる。ドイ・ステープは、中心に黄金に塗られた仏塔があり、そのレベルは靴を脱ぐことになる。その下のレベルでガイドに説明を受けていた。あまり時間もないが、下のレベルをざっと見て回る。奉納の舞踊<上右中>白い象<上右>の像、次々に打ち鳴らす鐘<下左>などがある。

鐘 ドイ・ステープの大仏塔 仏像も金色 晴れていたらまぶしいだろうが

サンダルを脱いで上のレベルへ。天気がよければ、チェンマイ市街が見えるはずだが、霧の中であった。大仏塔<上左中>も霧でかすんでいる。ここは仏塔を中心にほとんどのものが金色に輝いている。きらめきの世界<上右中、上右>。その中を、高僧<下左>の話を聞いたり、ろうそく<下左中>に火をともしたりと、観光客とはいえ、タイ人は信心深いことがわかる。かなりの観光客がいて、ほとんどは自力でここまで来た人たちであるが、ソンテウで来たわけではなさそうだ。レンタカーやマイカー、ソンテウを使うにせよ、どうやらチャーターのようである。まあ、この旅で初めて訪れるところなので、時間を惜しむようにして、撮影して回る。かなり絵になる寺院である。

最後には糸を巻き付けてくれる 火をともす 宝石工場 少し降りるとチェンマイが見えた

帰りは集合場所でガイドが待っていて、階段を下りるようにいわれた。ただ、どうということのない石段であった。そのまま、宝石などを扱う土産物屋へ。お茶をいただき、トイレを利用したあと、石を加工する作業<上右中>を撮影させてもらう。ツアーのメンバーは比較的財布の紐の堅い人たちばかりのようで、土産を買った人はいなかったようである。駐車場でガイドが豚の皮を揚げたものを食べさせてくれた。酒のつまみに良さそうな味であった。あとは戻るだけだが、途中チェンマイ市街<上右>が見えるところで、写真休憩となった。ツアーのメンバーを空港やホテルに送り届ける。自分が一番最後であった。
本場のカオソーイ
撮影済みフィルムと未使用のフィルムを取り替え、外出。すでに昼過ぎである。The Gallery of Thapeという店で、カオソーイを食べられることがわかった。ここはギャラリーの中にあるカフェのようなところであった。チキンのカオソーイとミネラルウォーター。カオソーイ<下左、下左中>には高菜漬けのようなものとタマネギが付きこれとともにナムプリック(註2)を加えて食べる。麺は小麦の平たいもので、バンコクの高額カオソーイよりも断然美味い。飲み物と合わせて70バーツ(註2…Namphrik。唐辛子味噌。)

カオソーイ ナムプリックと野菜 マーケット組み立て中 本堂

ターペー門<上右中>に達すると、屋台の骨組みをくみ上げていた。チェンマイはナイトバザールとは別に日曜日に露店街ができるとのことである。これから、チェンマイの城壁に囲まれた旧市街にある、最後の寺ワット・プラ・シン<上右>(註3)へ。ただ、所々にある旅行会社で次に訪れる、チェンラーイへのバスチケットを確保しようと思っていた。だが、旅行会社が扱うのは、メーホーソンなどへのミニバスやツアーバスであり、都市間のチケットはバスターミナルで購入したらとのことである。チェンマイのアーケードバスターミナルは、中心部からかなり離れているので、旅行会社で確保してしまいたかったのであるが。(註3…Wat Phra Sing。1345年の建造。内部にはプラ・シン仏が納められている。)
ワット・プラ・シン

本尊でもあるプラ・シン仏 チェディにある白い象 水瓶 寝釈迦

ワット・プラ・シンはその名前の由来となった、プラ・シン仏<上左>がライカム礼拝堂に納められている。ここにもチェディがあり、ワット・チェン・マンと異なり白い象<上左中>が並ぶ。チェディの近くには、水瓶<上右中>が置かれていたが、ミャンマーでよく見かける、誰でも飲んでいい水なのではなかろうか。その裏手あたりには、建物の中に小さな寝釈迦<上右>が横たわっていた。寝釈迦は金箔が貼られ、部分的には不格好である。別の礼拝堂もあり、ここは建物内の壁画<下左>が見事である。これは、ラーンナー王朝(註4)の古い物語を再現したものである。入り口近くにある経蔵<下左中>は表面を金属などで装飾してある。ルアンパバーンのワット・シェントーンにも、これをさらに細密にしたようなものがあるのだが、ワット・シェントーン(註5)を建設したセーターティラート王(註6)ランサーン王国(註7)の国王だけでなく、ラーンナー王国の国王も兼ねていたという事実があるのだが、果たして影響があったのかどうか。サンデーマーケット<下右中>の屋台が完成しつつあり、歩道は屋台が組み上がり実に歩きにくい。(註4…Lanna Kingdom。メンラーイ王により1259年に成立したとされる、タイ北部の王朝。1558年以降はビルマの占領下にあったが、タクシーン王に寝返り、その後もチャクリー王朝への朝貢国となった。)(註5…Wat Xiengthong。ルアンパバーンにある寺院で、1560年セーターティラート王により建設される。)(註6…King Setthathirath。1534-72。ランサーン王国とラーンナー王国の国王。ラーンナー王国がビルマに占領された際、捕らえられて殺された。)(註7…Lanexang Kingdom。ラオ族の統一国家。ビルマに占領された後、再び独立したが、分裂した。)

サントーン王子の物語 経蔵 旧市街のサンデーマーケット 夕食…これだけ

途中インターネットカフェで日本語環境であることを確かめてから入店したが、無理矢理Vistaにアップグレードしたようなマシンで、遅い。日本語も出し方がわからず、閲覧だけにとどめる。1本裏の通りを歩いて夕食の店をチェックしたが、どうも今ひとつ。宿で休んでいたら、次に起きたのはなんと、21:30であった。タイ国際航空で出されたあられ<上右>を夕食代わりとする。<Next→なごみのチェンラーイ>

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