雨とメコンと少数民族〜Jinghong(1)

景洪

ラオスを2日で切り上げ、2度目の国境越え。一気に景洪を目指すが、乗ったバスからすでに中国が始まっていた。

2008/08/07(Thu:第8日)シーサンパンナへ<ルアンナムター 曇り ボーテン 曇り  モンラー 晴れ 景洪 晴れ>

ルアンナムター7:45-(International Bus)-12:10モンラー12:30-(Yunnan Bus 0020)-14:40景洪〜建華賓館
* Yunnan Bus:西双版納昆曼公司(公共バスはすべてこれ)
バスの中はいきなり中国
朝起きるとゲストハウスは静まりかえっていた。鍵を返さず、そのまま外へ。出ると昨日乗ったソンテウのドライバーと出会う。まだ朝早く、朝食を食べられるところは限られている。よって、昨夜麺を食べた店に行く。今度はカオピャック<下左>(註1)である。とろみのついた米の麺。やはり大量の生ハーブ<下左中>がつく。料金はカオソーイと同じく、8,000キープ。こちらも美味かった。(註1…Khao Piyak Seng。米の麺にとろみのついたスープの料理。ラオスの代表的な麺料理である。Khao Piyak Khaoとなると、同じスープで作ったお粥ということになる。)

カオピャック 生ハーブ バス内部 いったんバスターミナルへ

チェックアウト。そのままチケットを購入した旅行会社へ。チケットを販売した男性が電話をかける。トゥクトゥクでバスターミナルへと思ったら、バス<上右中、上右>が横付けされた。荷物は後部のトランクルームへ。バスは、イヴェコ(註2)の大型ワゴンだが、列は多く、すでにかなりの中国人が乗り込んでいた。バスの中はすでに中国が始まっていた。座席は左側二人掛け、右側一人掛けとなっていた。自分の座った席は最後尾からひとつ前の一人用の席であった。狭い通路を挟んで隣に座り、ティアドロップ型レイバンのサングラスを終始かけた男性が、タバコを吸い出す。と、思うと、前にいた男性は窓を開けて、見事な手洟を飛ばしてくれた。もう少し前にいた男性は5分おきくらいに、床に直接痰を吐き出す。バスの中には年齢も様々、もちろん女性もいるのだが、彼らにとってはなんでもないことらしく、平然としている。もちろん、ドライバーも飽きるほど、中国との間を往復しているためか、何も注意はない。バスは少しずつ客をピックアップしながら、バスターミナルに到着する。ここで、初めて外国人旅行者が乗り込んだ。フランス人カップルとギリシア人のおじさん二人組である。これでとうとう満席となる。(註2…Iveco。1975年フィアットが中心になりヨーロッパのトラックメーカーが合併してできた企業。中国には工場があるため、よく走っているのを見かける。)
二つのイミグレーション
バスは北に向けて出発。フアイサイから続く道だが、引き続き状態はよい。バスターミナルから1時間ほどでボーテン<下左、下右>(註3)へ到着。ここが、ラオス出国地点となる。一度、手前でパスポートチェックがあり、数分後イミグレーション到着。中国人たちは中華人民共和国のパスポートともう一つのパスポートサイズの書類を所持している人も多い。もしかすると、二重国籍者なのかもしれない。(註3…Boten。ラオスの中国側イミグレーションがあるだけの町。外国人旅行者に対しては、中国への出入国地点として唯一開かれている。)

ラオス側 中国側

この間を利用して、フランス人と少し話す。何でも、モンラーからは寝台バスを使い、昆明(註4)まで行くそうである。一方、ギリシア人は中国のビザを持っていないとのこと。彼らの話によると、その他の国でも何とかなったと自信満々なのである。ちなみに、中国人たちはこのイミグレーションを越えるときに、係に金を渡していた。ギリシア人も、ラオスを出国できたようである。(註4…Kunming。中国雲南省の省都で、人口600万人。)
モーハンボーテンからは未舗装の上り坂となる。時計を1時間進め、中国のモーハン<右>(註5)には、11:00に到着。イミグレーションの手前で公安の係が乗り込んできてパスポートチェック。最初中国語で話しかけられた。中国人と間違われたらしいが、「日本人」というと、英語に切り替えてきた。その後、収納していた荷物を出して、しっかり中身までチェック。その際に天気もよくなってきているので、ザックカバーを外し、バッグにしまった。これはちょっとした失敗であった。(註5…Mohan。中国のラオス側イミグレーションのある町。国境貿易で発展中。宿やレストラン、商店もあり、ボーテンとはがらっと異なる。フォントがないのでカタカナ表記とする。)
この手続きが終わり、ようやくイミグレーションへ。まずは写真を撮り、入国審査である。ここでも、日本人は出入国カードに記入しパスポートを差し出すだけなので、楽である。一方、くだんのギリシア人はもちろんここで足止めとなった。ボーテンへ逆戻りである。また、このあたりには闇両替の女性が現れ、堂々と公安のいる中で両替を勧めてくる。こちらは、日本でいくらかの人民元(註6)を手に入れてきているので当面必要ないが。(註6…Renminbi/RMB。中国の通貨で、1994年まではこれと別に外貨兌換元/FECが発行されていた。補助貨幣として角と分があり、1.0元:10角:100分。)
モーハンはボーテンと違い、新しい町並みが続く。ここでかなりの人が降りたので、いささか楽になる。すばらしい道がさらに北に延びているが、バスはなぜか料金所の手前でガードレールの切れ目から未舗装の道におり、しばらくは近辺の集落をかすめるようにして走る。ここが終わり、再びガードレールの切れ目から高速道に復帰する。もっとも、高速道といっても、対面交通で中央分離帯もなく、追い越しには対向車線に出るというちょっと怖いものであったが。
中国の洗礼
モンラーのバスターミナルそれでも何とか1時間ほどでモンラーに到着。荷物を出してもらうと未舗装の道のためか埃がたっぷり付いていた。到着したのは、モンラーのバスターミナル<左>でここから直接景洪(註7)や昆明までのバスが出る。近づいてきた男がいて、「ホテル?両替?」などと英語で話しかける。「チケット売り場はこちら」との案内も。だが、まずはトイレに行く。料金徴収係に荷物を見ていてもらい、用を足す。1回0.5元で、これはどこでもその値段であった。(註7…Jinghong。中国雲南省西双版納タイ族自治州の州都。人口38万人。以前はかなり少数民族がいたと思うが、現在はかなりの数の漢民族が進出してきている。)
景洪までのチケットを購入するが、ここでも中国人の洗礼である。まったく並ばずに平気で横入りする。言葉が相手に通じるので、並んでいなくても、そのまま金を差し出すのである。いやあ、まだこんな中国が残っていたのだなあ。20年ほどタイムスリップしたかと思った。
景洪までは38元だったが、1元余計に取られた。これは保険料が入っているようである。合計39元。案内されたバス<下左、下中>は、ミニバスであった。チケットはコンピュータ管理され、指定席制。荷物を収納してもらい、席に着くとなんと前にタバコのサングラス男、横に痰吐き男がいた。運転席横に大きく禁煙を示す言葉が書かれていたためか、サングラス男は決して喫煙しなかったものの、横のおじさんはひっきりなしに痰を吐き出していた。車内持ち込みの荷物もあったが、これでは床にものを置きたくなくなる。

景洪行きミニバス 車内 景洪に到着

このバスも高速に入り、巧みに料金所をパスし出入りを繰り返す。それでも何とか景洪汽車客運站<上右>には2時間程度で到着。外に出るとかなり天気がよく暑い。すぐさまタクシーを捕まえ、旅行人ノート・メコンの国(註8)に載っていたホテル名を直接見せて、行ってもらう。料金は5.0元。尋ねると、5元紙幣を見せていた。景洪のタクシーはメーターが付いているが、市内は一律5元なのである。(註8…蔵前仁一の旅行人出版社から出ているガイドブックの一つ。メコンを中心とするインドシナ半島の国が大きくカバーされていて、雲南省もその範疇に入っている。国境越えを考えるときに必携と思ったが、地球の歩き方だけでも何とかなったと思う。ただ、シーサンパンナの情報が足りず、景洪の宿選びなどでは役に立った。)
中国式ホテル
それほど長い道のりではなかったが、時間はかかった。建華賓館のフロントに向かう。相手はまったく英語を理解しないが、泊まるという意志は理解したようである。部屋<下左、下左中>も見せてもらえた。残念ながらトイレ<下右中>は中国式であったが、シャワーとエアコン、大画面のテレビも付いていてここに決める。料金は1泊35元と電卓を見せてくれた。デポジットなのか、50元を差し出すことになった。

ツインのシングルユース 安宿に不相応なテレビ 中国式トイレ 高菜漬け付きチャーハン

荷物整理をし、軽く洗濯。その後外出だが、まずは遅くなった昼食。版納炒飯<上右>6.0元。グラスに水が注がれたが、ミネラルウォーターの給水器からであり、安心して飲めた。チャーハンの量はかなり多い。食べているうちに、雷鳴が響き瞬くうちに雨が落ちてきた。しかも、停電する。しょうがねえなあという顔をしていると、店の番をしていた女性も困ったもんだということを理解した模様。しばし、ここで雨宿りである。
雨の景洪
雨が小やみになり、宿に戻り傘を持参し再び外出。景洪では効率よく回るために、ツアーを利用したいのである。そのためはじめのうちは観光ではなく、旅行会社を見つけることに費やされそうである。ガイドブックによるとツアー料金もかなりするため、日本である程度両替してきたものの、さらに現金が必要となりそうである。宿のある通りの端まで行かないうちに再び雨。最初は雨宿りしていたものの、止まないので傘を開いて、歩く。

中国銀行ビル 少数民族のオブジェ 象のオブジェ 花屋

まずは、中国銀行<上左>へ。やや手続きがお役所めいていたが、日本で人民元を購入するよりも、レートがよい。しかし、旅行会社はあまり目立たず、いくつかあたってみたものの、一人ということもあってか、よい顔をされずだめである。すでに雨は上がっていて、町が少し輝いて見えた。公園のようなところにはシーサンパンナの少数民族や象のオブジェ<上左中、上右中>があった。花屋の花<上右>もきれいであった。以前はなかったと思われる、大型ホテルの入り口などにはエキゾチックな装飾<下左、下中>があった。曼聴路には、ラオスやタイと同じ上座部仏教の寺院<下右>があったが、あまり人もいず、面白くはなかった。

象の装飾 ホテル入り口 寺院の狛犬

夕食は通りを挟んで向かいにある、メイメイカフェ(註9)へ。ここは旅行会社も兼ねているので、何とかなるかもしれない。まずは、食事である。大理ビール<下左>、ご飯、トマト中心の野菜炒め<下中、下右>。カフェの店員はかなりあっさりしていて、もう1品どうかなというところで行ってしまった。味は悪くないが、やや物足りない。だが、中国に来ると油で腹をやられてしまうので、このくらいでもいいか。料金は18元であった。(註9…美美珈琲屋。宿のあるあたりには、カフェを名乗る店が多く、インターネットやツアーなどを扱う。)

度数10% 夕食 トマトとインゲンの野菜炒め

ツアーについてはパンフレットを見せてもらったが、トレッキングなどが主体で結局やめた。明日、市内の観光ついでに旅行会社をあたってみようとも思う。<Next→Have You Ever Seen The Rain?>

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