雨とメコンと少数民族〜Vang Vieng(2)

ソン川に架かる橋

何もないバンビエンだが、ゆっくりと過ごすことにする。午前中は悪天候の中、田舎道を歩き、午後は思いつくままぶらぶら。

2008/08/19(Tue:第20日)田舎道を徒歩で<バンビエン 雨のち晴れ>

バンビエン市内観光〜Dokkhoun Guest House
朝のスコール
早めに起きるが、まもなく凄い雨が降ってきた。しばらく様子を見るが、止みそうもなく、意を決して宿の向かいのルアンプラバン・ベーカリー(註1)へ。しかし、朝食にしては値段設定が高めである。コンチネンタル・ブレックファストが25,000キープ。要するにパン<下左>と飲み物のみなのだが、コーヒー<下右>を選ぶ。(註1…Luang Prabang Bakery。ルアンパバーンに本店がある。一般的にフランスの植民地だったところはパンが美味いことになっているが、ラオスではそれが完全に当てはまるわけではない。だが、おいしいパンはたまに当たると嬉しい。)

もちもちのパン コーヒー

しばらくしてパンが運ばれてくる。ジャムとバターが2つずつ付く。パンはかなり長いバゲット1本だが、半分に切ってある。しかし、パンはフランスパンそのもので、しかも作りたて。中はモチモチである。これはものすごく食べがいがあった。値段が高いことを忘れ、また食べたいなとも思った。本当にこれはおかずが入らない。強いて言えば、コーヒーがお代わりできればいうことはない。
宿に戻り、翌日のヴィエンチャン(註2)行きのミニバスを手配。この宿は旅行代理店も兼ねているのである。8:45ピックアップで75,000キープである。(註2…Vientiane。ラオスの首都。人口70万人。それでも、ラオス最大の都市である。ラオス語ではVの音はワ行となるらしいので実際の表記はウィエンチャンに近いらしいがヴィエンチャンで行かせていただく。)
有料の橋から対岸へ
やがて雨が上がり、外出する。青空床屋<下左>があった。いや、屋根があるのでこれでもちゃんとした店なのだろう。ワット・カーン<下左中>へ。もちろん誰もいない。そのあと、ソン川にかかる有料の橋<下右中>へ。徒歩の場合の通行料金は4,000キープだが、戻りは無料になる。要するに、バンビエン方向からのクルマなどからしか料金を徴収しないということである。渡ったところは、川の中州で、子供たちが水遊びをしていた。男子たちは水着で遊んでいたが、少数ながらも女子<下右>もいて、うち捨てられたクルマで遊んでいた。

床屋 ワット・カーン 有料の橋 中州で遊ぶ女子

中州には廃車<下左>が置き去り状態で、子供たちの絶好の遊び場になっているようだった。ラオスでもこの時期は夏休みらしく、毎日たくさんの子供たちを見かける。橋はさらに続き、ようやく対岸に到着する。橋の欄干<下左中>はなくても良さそうなものだが、砲弾の空砲を使っていた。これもベトナム戦争(註3)の名残である。(註3…Vietnam War。1959-1975。インドシナ戦争後、ベトナムの南北統一を巡って行われた。ベトナムのみならず、カンボジアとラオスもその影響下にあった。)

置き去りの廃車 欄干に砲弾 トラクター 子供たち

ここにどこに行くともなく、村を抜け一本道をひたすら歩く。たまにトラクター<上右中>とすれ違う。奥の村からバンビエンに向かう乗り合いの交通機関となっているのではないだろうか。すでに足下は水たまりができていて、トラクターはぐっと速度を緩めてくれる。途中から雨。村を抜けたあたりから、少年がついてくる。この一本道で出会うものといったら、子供たち<上右>牛<下左>くらいである。あとは、かすかに桂林(註4)を彷彿とさせる岩山<下左中>くらいだろうか。4kmほど歩いただろうか。雨は止まず、引き返すことにする。(註4…Guilin。中国の広西チワン族自治州にある都市。人口74万人。カルスト地形による景観が見事。)

牛をつれたおじさん スー君 戻り道

少年の名前はスーといった。しばらくは、つかず離れずの状態だったが、そのうち意を決したのか、並んで歩き、簡単な英語で周囲のことを説明してくれた。スー君<上右中>によると、この道の周囲には、いくつかの洞窟があるらしい。それを目指して、外国人旅行者がやってくるのだが、サイクリングあり、バイクありといろいろなスタイルである。中には、バイクを飛ばしまくる狼藉者もいるのだが。雨はやみかかっていた。ずいぶんと遠くまで歩いたと思っていたが、帰り道<上右>はあっという間だった。
スー君は、村の入り口で別れるが、ガイド料金を要求された。
中州の風景
橋の近くの村落へはいるあたりで、興味深い光景を見かけた。岩海苔採り<下左>であった。また、このあたりでは手動ポンプによるガソリンスタンド<下左中>があった。クルマだけではなく、ボートにも給油するためらしい。ノーンキャウからルアンパバーンに向かうときのソンテウでもこのようなガソリンスタンドから給油している。

岩海苔採り ガソリンスタンド 近づくボート 木材の運搬

中州で眺めていると、ボート<上右中、上右>が近づいてきた。どうやら木材の運搬らしい。
竹の橋の向こう側

すいかシェイク パッタイ レストランの小上がり 夕方のおかず売り

気づくと昼食時間はかなり過ぎていた。再びソン川近くに行き、川を見渡せるレストランで、すいかシェイク<上左>パッタイ<上左中>(註5)を頼む。22,000キープ。眺めのよいところにはハンモックが設けられ、座敷<上右中>のようなものもあり、とことんだらだらと過ごせるところである。すいかシェイクはやや青臭かった。種も残っていたりして、チェンマイのあの味とはほど遠い。店を出ると、ちょっとした小売店のような露天<上右、下左>があった。近所の主婦が総出で店を商っているようでもある。売り物は野菜やカエル<下左中>などであった。(註5…Pat Thai。タイ風の焼きそば。)

商いの様子 食用蛙 竹の橋 バーが点在する

再び竹の橋<上右中>を渡る。この中州<上右>にはバーとレストランが点在している。その看板もかなり派手である。バーには立ち寄らず、ソン川<下左>を眺める。たまたま、タイヤチューブ下り<下左中>(註6)が通りかかる。子供たち<下右中、下右>は上流から水に飛び込み、どんどんと流されていく遊びを繰り返していた。かなりの流れの速さであった。(註6…Tire Tubing。大型車のタイヤのチューブを使って、川下りを楽しむ、バンビエンでのアクティビティ。帰ってくる人々はほとんどがドロドロ。)

ソン川 タイヤチュービング 水から上がる子供 水遊び

飛行場の夕陽
その後、飛行場跡<下左、下左中、下右中>に行き、夕陽を撮影する。ここは、米軍の滑走路だったところだが、たまにバスも立ち寄るらしく、トゥクトゥクなども待機している。さすがに軍の使う飛行場だけあって、舗装状況はかなりよかった。ちょうど国道13号線とバンビエンの町との間にあるため、いろいろな人と物がここを横断していく。バンビエンの西側はかなり山が迫っていて、あまりいい夕陽<下右>は撮ることができなかった。だが、ラオスに来て初めての夕陽撮影であった。

何もないだだっ広いところ 舗装状況は比較的よい 国道と町の中間にあり様々な人や物が横断する 山に隠れる夕陽

無国籍料理
夕食は生ビールがあることにつられて、日本食のSAKURA CAFEにする。しかし、生ビールはシンガポールのタイガー(註7)のみであった。とりあえず、タイガーの生<下左>をもらい、タムマークフン<下左中、下右中>(註8)オムライス<下右>にする。タムマークフンは辛さを選べ、辛い方にしてもらうが、それほどでもなかった。ちょっと物足りなかったので、ビアラオを追加。51,000キープ。オムライスはまあ合格。(註7…Tiger Beer。1932年より製造販売が開始された、シンガポールのビール。)(註8…Tam Makhung。タイのソムタム同様、未熟のパパイヤを使ったサラダ。)

タムマークフン 付け合わせの生野菜 オムライス

「地球の歩き方」では、この店は日本食レストランということになっていたが、入り口にバーがあり、奥にはビリヤード台があり、客のほとんどは欧米からのバックパッカーばかりであった。
この日の宿はちょっとうるさかった。どうやら、大学生くらいの旅行者がたくさんいるらしい。<Next→首都ヴィエンチャン>

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