サウダーデ&ラビリンス〜Rabat(2)

サレの稜堡

ラバト2日目は、サレに足を伸ばし、残ったラバトを回ることにした。夕食はまたしても大衆食堂で。

2007/08/19(Sun:第17日)ラバトとサレ<ラバト 曇り サレ 曇り>

サレ市内観光(メディナ、稜堡)、ラバト市内観光(シェラ遺跡)〜Hotel Splendid★
サレへ
宿は朝食がついていないので、外に食べに行く。ラバトはカフェがたくさんあるというよりも、パティスリーに付属のカフェが多い。菓子パンやケーキが非常に目につくし、これを持ち帰る人の姿が多い。というわけで、宿から少し離れたパティスリーに行き、クロワッサンとカフェオレの朝食<下左>11DH。その後、外出するが、まずは駅へ。次はマラケシュに行くつもりである。だが、昨日の二等席で嫌気がさしてきたため、一等にする。明日の7:45のマラケシュ(註1)行きで、170DHした。(註1…Marrakech。人口110万人。11世紀ごろから南方の交易により発達した都市。ジャマ・エル・フナ広場をはじめとするメディナが世界遺産に登録されている。)

カフェの朝食 朝の遊園地

これからサレに行くつもりだが、ネットカフェを見つけ、少しやってみる。が、まったく日本語フォントは入っていない。店を出ると移動式の遊園地<上右>があった。そのあたりがグランタクシー乗り場らしい。サレへはグランタクシーが頻発しているというが、乗り場がまったくわからなかった。ロンリー・プラネットにある乗り場近くまで行ってみたものの、相乗りということがどうしてもわかってもらえない。サレへは渡し船もあるとのことだったが、護岸工事で今はやっていないようだった。
仕方なく、交渉。サレのメディナの入口あたりまでで60DH。ぼったくりもいいところである。これなら歩けば良かった。
メディナと稜堡

サレのムリサ門 メディナの露店 垣間見たミナレット スークの野菜

ムリサ門<上左>を入っていくとメディナへ通じる。しばらくは露店<上左中>などがあり、モスクのミナレット<上右中>が見えた。人の流れに任せて狭い通りへ。内部は野菜<上右>魚<下左>のスークが続く。足元が泥だらけであまり良い気分ではない。ただし、魚を売っている男性は、「どんどん写真を撮ってくれ」といってくれた。だが、足元が悪いのと、前からも後ろからも人や荷車がやってくるため、あまり立ち止まっていられない。急き立てられるようにここは抜け出てしまった。スークを抜けるとメディナも終わる。ちょうど城壁<下左中>があるところである。いったんそのまま北へ向かう。海が見られるかと思ったのである。かなり歩いたが、たどり着きそうにない。アーチのようなものがあったが、水道橋<下右中>なのかどうか。が、果てしなさそうだったので、引き返し、城壁沿いに歩く。

スークの魚 メディナの末端 新市街にある水道橋 サレの稜堡

しばらく行き、門をくぐると、草サッカー場の向こうに城塞<上右>が見えた。いわゆる稜堡と呼ぶものだろう。ここに登ると大砲<下左>があり、海が見える。大西洋<下左中>である。やはり荒波だ。稜堡<下右中>はかなりの長さがあり、果てしなく続きそうに見える。しばらく写真を撮っていたが、子供の集団<下右>が現れ、「フォト」などという。ならば撮らせてもらおう。それはいいのだが、ここを去りかけると、石が飛んできた。またかよ。

海を向く砲門 荒波 稜堡 石を投げた子供たち

日本食のはずが…
そのまま、この道沿いに歩き、墓地<下左>海水浴場<下左中>を横目にムリサ門を目指す。かなり距離があり、最後は住宅地<下右中>のようなところを通る。ブーレグレグ川<下右>にかかる橋を渡り、ラバトまで戻る。プチタクシーをつかまえ、レストラン富士に行ってもらうことにする。この店は、初めてツアーでモロッコに来た時、利用したことのある日本食レストランである。なんと未だに、モロッコ唯一の日本食レストランらしい。

イスラム墓地 サレのビーチ サレの住宅地 ブーレグレグ川を徒歩で渡る

タクシーは、ラバトの新市街、アグダルへ。鉄道利用で1駅だが、駅からの道のりがわからず、タクシー利用が正解。ドライバーはガイドブックに載っている住所通りにこちらを降ろす。10DH。それにしてもまったく記憶がない。道行く人に聞いてみると、スコータイというタイ料理レストランを教えられた。ここで聞いてみると、レストラン富士は半年前に撤退して、このタイレストランが入ったとのこと。せっかく来たのだから、ここで昼食にしよう。

サンミゲルと前菜 トムヤムクン パッタイ

メニューにあったアジア的なビールはサンミゲル(註2)だけだった。せめてビアシン(註3)があるといいのに。サンミゲルとシディ・アリの大ボトル、トムヤムクン(註4)パッタイ(註5)をオーダー。ウェイターはモロッコ人だが、「タイ料理の説明はいいか?」などという。ビールとともに前菜<上左>が出た。トムヤムクン<上中>にはエビが入り、パッタイ<上右>はあまり辛くなかった。まあタイ料理という味。最後にコーヒーを頼んだが、210DHと、今までで一番の高額の食事となってしまう。(註2…San Miguel。フィリピン産のビール。香港を代表するビールでもある。)(註3…Beer Singha。タイのビール。いわゆるシンハーだが、発音はビアシン。)(註4…Tom Yam Kung。エビ入りのスパイシーなスープ。)(註5…Pat Thai。タイ風焼きそば。)
遺跡とコウノトリ

シェラの入り口 遺跡の残骸 メインとなる建物 建物の内部

次に行きたいところは、シェラという遺跡である。通りに出てプチタクシーをつかまえ、乗り込む。かなり遠いようだ。17DHかかる。入場料10DH。入り口はイスラム時代に作られたという城壁<上左>にある門である。内部はローマ時代の遺跡<上左中、上右中、上右>とその後イスラム化されたモスクやミナレット<下左>のようなものが残る。今は廃墟である。

後に付け加えられたミナレット コウノトリ

遺跡も面白いが、ここはコウノトリ<上右>のコロニーのようだった。近くの森の木の上にたくさんの巣がある。また、遺跡のミナレットの上にもコウノトリが飛来している。かつての日本もこうだったのだろうか。ただ、大型の鳥はかなりの匂いを発する。ちょっと臭い。
大衆食堂とケーキ

城壁をくぐり新市街 ラバトのモスク 緑地帯 夕刻の新市街

帰りは王宮脇<上左>を通り、歩いて戻る。かなりの規模のモスク<上左中>があった。かなり遠い。それでも新市街<上右中、上右>はなんとなく落ち着く。夕食は再びメディナに出て、Liberationというレストランで、モロカンサラダ<下左>ビーフステーキ<下中>。飲み物は水とスプライト。ここは、店内で飲み物を調達できる。メニューは昨日のところとあまり変わらない。ビーフはちょっと固かったが。48DH

サラダ ビーフステーキ カフェでデザートを

道行く人たちがほとんど抱えているラバトのケーキ<上右>はどんなものだろうと思い、宿の近くのパティスリーでコーヒーとともに味わう。そんなに悪くない。18DH。ただ、問題なのは夜であった。翌日が国王と国民の革命記念日という祝日に当たるためか、近くの公園でかなりの音量で音楽を流している。窓を閉めると暑くて仕方ない。悶々としながら朝を迎えることになったのである。<Next→暑いぞマラケシュ>

リスボン(1) リスボン(2) オビドス ラーゴス サグレス ファーロ アルヘシラス

ティトアン シャウエン(1) シャウエン(2) シャウエン(3) フェズ(1) フェズ近郊 フェズ(2)

ラバト(1) マラケシュ(1) マラケシュ(2) エッサウィラ(1) エッサウィラ(2) カサブランカ(1) カサブランカ(2)

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