サウダーデ&ラビリンス〜Lisbon(2)

発見のモニュメント

リスボン2日目。日曜フリーのベレン地区観光とチケット街や時刻調べなどに奔走。

2007/08/05(Sun:第3日)ベレン観光<リスボン 曇り>

リスボン市内観光(ジェロニモス修道院、発見のモニュメント、ベレンの塔)〜Holiday Inn Lisbon★★★★
* ジェロニモス修道院とベレンの塔が世界遺産に登録されています。
ベレンへ
朝食<下左>はビュフェだが、宿泊費に含まれているのはありがたい。かなり盛大に食べた。コーヒーや紅茶は係が持ってきてくれる。ただのビュフェなのだが、やはりポルトガルはパン(註1)が美味しいので嬉しくなる。(註1…Pao。「パン」はポルトガル語から入った言葉である。ポルトガルのパンは未だに薪で焼かれるというため、かなり美味しい。隣国スペインに行くとぐっとレベルが落ちるのが残念。)

ビュフェの朝食 サルダーニャ 地下鉄車内 市電15番の新型車両

まずは、サルダーニャ<上左中>でセッテ・コリナーシュに1日分をチャージする。これは自動券売機で行える。昨日大量にもらってしまったコインを使ったので、財布をだいぶ軽くすることが出来た。3.35ユーロ車内<上右中>は日曜ということもあり、空いていた。乗り換え2回。マルケス・デ・ポンバルとバイシャ・シアード(註2)で、最終的にはカイス・ド・ソドレ(註3)へ。ここは、ポルトガル国鉄(註4)の始発駅とも接続しているが、道路を渡り、新型市電<上右>に乗り、ベレン地区(註5)へ。(註2…Baixa-Chiado。Azul線の終点。Verde線に接続。)(註3…Cais do Sodre。Verde線の終点。ポルトガル国鉄に接続。)(註4…Comboios de Portugal。略称CP。)(註5…Belem。)
ジェロニモス修道院
この日曜日、ジェロニモス修道院<下左>(註6)が14:00までのフリー入場となるため、狙ってやって来たのである。市電の停留所を降りると、すぐ前がジェロニモス修道院。リスボンを訪れるのはこれで4回目となるのだが、初めて来た時以来なので、凄くブランクがある。2回目のリスボンの時にも訪れて入口まで来たのだが、やはりフリーの日曜日で凄い人出のため断念した覚えがある。(註6…Mosteiro dos Jeronimos。エンリケ航海王子の偉業を讃え、かつヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を記念し、マヌエル1世が1502年に着工。ベレンの塔とともに世界遺産に登録されている。)

ジェロニモス修道院南門 回廊と中庭 アズレージョの部屋 回廊越しに見える教会

まずは、中庭を囲む回廊<上左中>へ。入口の左の部屋<上右中>アズレージョ(註7)でできているといってよいほどである。上の階に上がり、中庭を見下ろしつつ、教会<上右>のアーチなどが屋根越しに見える。ここは記憶がないので、前回は省略されたのだろう。ツアーだったし。(註7…Azulejo。タイルに絵を描き、それを集めたもの。ポルトガルやマカオでたくさん見ることができる。)

ヴァスコ・ダ・ガマの石棺 カモンエスの石棺 教会内部 静粛を呼びかける神父

次に教会部分へ。ただし、かなりの行列が出来ていて、30分くらいは並んだと思う。ようやく入場。入口近くに並ぶ2つの石棺。入口から見て左側がヴァスコ・ダ・ガマ<上左>(註8)、右側が、ルイス・デ・カモンエス<上左中>(註9)のものである。石棺の上には本人たちの像が横たわっている。特に、ヴァスコ・ダ・ガマの足元には花が添えられていた。かなりの人が入っているため、教会<上右中>の奥まで行ってポイントのみ写真を撮り、ここをあとにする。神父<上右>が出てきて静粛を呼びかけたほどであった。(註8…Vasco da Gama。1469頃-1524。ポルトガルの航海者でインド航路を開拓した。後にインド総督。ポルトガル大航海時代の立役者のひとり。)(註9…Luis de Camoes。1524頃-1580。ポルトガルの詩人で詩の一節がヨーロッパ最西端のロカ岬に石碑として立っている。軍人としてセウタ遠征をしその時に右眼の視力を失う。後にゴア・マカオに勤務。帰国後「ウス・ルジアダス」を刊行。彼の名前はマカオなどにも残るほどである。)
発見のモニュメント
次は道路と線路をくぐるように出来た地下道を通って、発見のモニュメント<下左>(註10)へ。といって、入場するのではなく、外観のみ。写真を撮るのが目的なので、入らなくてもいいところには敢えて入らないようにしている。モニュメントの前の世界地図<下左中>はやはり大きい。種子島、マカオ<下右中>(註11)マラッカ<下右>(註12)ゴア(註13)、喜望峰、そして、ポルトガルあたりをどんどん撮影していく。(註10…Padrao dos Descobrimentos。エンリケ航海王子の500回忌を記念して作られた。高さ52mでエレベーターで上ることが出来る。)(註11…Macau。1513年にポルトガル人が渡来し、1557年に明から居留権を得ることになる。アヘン戦争後の1887年、正式に植民地となり、1999年中国に返還される。)(註12…Melaka/Malacca。1511年ポルトガルのインド総督が占領した後、1641年オランダ東インド会社が占領。)(註13…Goa。1510年ポルトガルが占領し、1961年まで植民地支配。その後インド領に。)

発見のモニュメント モニュメント前の世界地図 広東と表記のマカオ マラッカ

モニュメントじたいはかなりの大きさで、テージョ側を向いた方向に立ち上がっているエンリケ航海王子<下左>(註14)の像を眺めて、少し離れて全体像を撮る。4月25日橋<下左中>(註15)もここからだとよく見える。(註14…Infante Dom Henrique。1394-1460。ジョアン1世の息子。ポルトガル大航海時代初期の重要人物で、サグレスに航海学校などを建設した。航海者に対してのパトロンである。)(註15…Ponte 23 de Abril。1966年に完成した全長2278mのテージョ川にかかる吊り橋。上段が自動車専用、下段が鉄道専用。かつては独裁者サラザールにちなみ、「サラザール橋」という名称だったが、1974年のカーネーション革命でこの名前に改められた。4月25日が革命記念日で祝日となっている。)
ベレンの塔

先頭の人物がエンリケ航海王子 4月25日橋と釣り人 ベレンの塔 ロマの女性たち

少し歩いて、ベレンの塔<上右中>(註16)へ。ここもかなりの行列が出来ていたので、周りから写真のみにとどめる。ここでは明らかにロマ<上右>(註17)の女性が多い。何かを手にしているので、物売りをやっているのかも知れない。(註16…Torre de Belem。マヌエル1世により船の出入りを監視する要塞として作られた。世界遺産に登録されている。)(註17…Roma。いわゆるジプシーのこと。)
新バスターミナル
このあと、再び市電に乗ってフィゲイラ広場<下左>まで行く。その後、ジャルディン・ズロジコ(註18)へ。ここに、新しいセッテ・リオス・バスターミナル<下右>が出来たのである。しかし、はじめよく場所がわからなかった。案内表示が少しわかりにくい。(註18…Jardin Zoologico。地下鉄Azul線の駅。この近くに動物園があり、「動物園」のポルトガル語名。CPのセッテ・リオス駅と接続。)

フィゲイラ広場 セッテ・リオス・バスターミナル

2日後、ラーゴス(註19)に行く予定で、下見とチケットの入手に立ち寄った。チケット売り場の横に、時刻調べの出来る機械があり、簡単にラーゴス行きの時刻表を手に入れることが出来た。窓口で時刻表に印を付け、2日後9:00発のラーゴス行きのチケットを確保。16.5ユーロ。ただし、窓口の係は釣り銭を多く渡してきた。これは後で気づく。(註19…Lagos。ポルトガル南部アルガルヴェ地方の都市。国際的リゾート地のひとつである。)
時刻調べ
このあと、翌日のオビドス(註20)行きの時刻を調べておこうと、再び地下鉄の人となり、マルケス・デ・ポンバル乗り換えでカンポ・グランデ(註21)へ。駅は地上に出ていて、出口からバスの発着所が見える。ただし、オビドス行きのテージョ社の乗り場をなかなか見つけられなかった。(註20…Obidos。人口1万人の小都市。古くからポルトガル王妃の直轄地であった。中世の雰囲気が残る。)(註21…Campo Grande。地下鉄Amarela線とVerde線の接続駅。大きな田園の意味。近くにカンポ・グランデという公園がある。)
それは、地下鉄の高架下にあり、時刻もわかった。本数は少ないものの、8:15と9:30と朝2本ある。しかし、それを逃すと次は昼になってしまうのであまり朝ゆっくりしてられない。結局外で昼食を食べるのはやめて、宿に戻ってスーパーの食材の残りをつまむ程度にした。
Casa do Alentejana
しばらく休み、夕刻にロシオ近辺へ。ここにアレンテージョ会館<下左>があり、ここのCasa do Alentejanaというレストランが良さそうだったので、あらかじめ目をつけておいたのである。かなり重厚な建物だが、階段を上がると瀟洒なパティオが現れる。レストランはその上である。ミネラルウォーターと赤ワイン<下左中>。Borbaというブランドで、ルドンド(註22)というアレンテージョ(註23)にある都市のワインである。レゲンゴス・デ・モンサラーシュというブランドもあったが、これは飛び抜けて高かった。(註22…Redondo。人口約7000人のアレンテージョ地方の町。陶器が有名。)(註23…Alentejo。テージョ川の向こうという意味で、エヴォラを中心とする。ただし、ポルトガルの行政単位は県のため、地方は概念的ではある。)

アレンテージョ会館への階段 飲み物 美味いパン オリーブとチーズ

パン<上右中>は見た目は悪いが美味い。前菜<上右>はオリーブと熟成させたチーズ。チーズは一見すると固そうな色合いだった。かまぼこのようにも見える。料理もアレンテージョ地方のものばかりで、定番だと思ったが、アソルダ・アレンテジャーナ<下左>(註24)という、パンと落とした卵入りのスープ、カルネ・デ・ポルコ・ア・アレンテジャーナ<下左中>(註25)という、豚肉とアサリの炒め物をオーダー。(註24…Acorda Alentejana。)(註25…Carne de Porco a Alentejana。)

アソルダ・アレンテジャーナ 豚肉とアサリの取り合わせ デザート アズレージョびっしりの店内

食後にはチョコレート・ムース<上右中>を頼む。ここの内装<上右>はアズレージョがびっしりである。ただし、ここはパンと前菜にチャージが発生しないのがよい。しかも、低料金。料理も大満足で、20.2ユーロをカード払い。出て、アレンテージョ会館内を少しだけ観察。やはり内部にパティオ<下左>があるのは凄い。

アレンテージョ会館のパティオ ロシオの夕景 ドナ・マリア2世国立劇場 ロシオ駅

帰りは、ロシオ広場<上左中>のトワイライトを撮して戻る。ドナ・マリア2世国立劇場<上右中>ロシオ駅<上右>もライトアップされていて奇麗である。なんといっても、この時期日没は20:00以降なのである。<Next→花咲くオビドス>

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