サウダーデ&ラビリンス〜Rabat(1)

ムハンマド5世の霊廟を守る衛兵

フェズ4連泊の後、前に進むことにする。いよいよ南へ。まずは首都ラバトへ。

2007/08/18(Sat:第16日)大西洋に再び対面<フェズ 晴れ ラバト 晴れ>

ラバト市内観光(ハッサンの塔、ムハンマド5世の霊廟、ウダイヤのカスバ)
フェズ中央駅9:15-(ONCF114)-12:40ラバト・ヴィル駅〜Hotel Splendid★
* 時刻は実際の時間を記載しました。
列車でラバトへ
8:50のマラケシュ行き列車に乗るため、初めてホテルのレストランで朝食<下左>を取る。飲み物を含めてすべてがセルフサービスなので、ちょっと味気ない。パンとハムくらいがあるビュフェだが、何もチェックされなかった。そして、部屋に戻ろうとするが、またしても、キーを受け付けてくれない。レセプションで入力のやり直し。ここでは、2日ごとにカードキーが更新されるのだろうか。

宿の朝食 宿の裏手にある これから乗り込む列車 オープンサロン式の座席

チェックアウトし、フェズ中央駅<上左中>へ。窓口でラバト(註1)までの切符を購入。76DH。入線していた列車には行き先表示が何もなく、地元の人に聞く。こちらは、人がたくさん乗っていたが、空いたホームを示される。やがてマラケシュ行き列車<上右中、上右>がバックするように入線してきた。最後尾の車両に乗り込む。ここはコンパートメントではなかった。2席ずつ向かい合うボックスが通路を挟んであるオープンサロン式。左の窓側を確保。(註1…Rabat。人口170万人のモロッコの首都。)
出発時間が過ぎるが、ようやく車内の明かりがついた程度。暑くなってきて窓を開ける。窓は二分割されているが、上部のわずかな部分が内側に開くくらいである。それでも少し涼しくなった。乗客がどんどん乗り込んできて、ボックスは埋まる。やがて出発。約30分遅れ。
やがて車掌がやってきて検札。おまけに窓を閉めて去っていった。どうやら冷房が入ることらしい。この列車は時刻表に載っているほとんどの駅に停車する。この時期移動が多いのか、そのたびにたくさんの乗り降りがある。通路にも立つ人が出てくるほどであった。メクネスまではオリーブ畑<下左>がたまに見える程度であった。やがて小麦などの穀倉地帯<下中>となっていく。

オリーブ畑 小麦畑 ようやく到着

シディ・カセム(註2)は、タンジェ方面への乗換駅だが、列車もここから南へと方向を変える。ちょうど自分の乗っている側が太陽と向き合い、空調もほとんど効かなくなってくる。サレ(註3)というラバトの隣町に差し掛かり、荷物を降ろし、通路へ。そうしないと簡単には降りられそうになかった。ようやくラバト・ヴィル駅<上右>到着。約1時間の遅れである。(註2…Sidi Kacem。)(註3…Sale。人口40万人。ブーレグレグ川を挟み、ラバトの双子都市ともいわれる。もともとは、海賊の拠点として知られたが、現在はラバトのベッドタウンのようになっている。)
共同シャワー共同トイレの宿
駅を出て一瞬方向感覚をなくすが、地図を見てすぐに把握した。駅前の道をメディナの方向へ。目指す宿Hotel Splendidはすぐにわかり、シングルを確保。共同シャワーとトイレだが、清潔そうであった。大きな窓があり、ベッド<下左>が1つ。ベッドは衝立で遮られていた。また、デスク<下左中>もあり、洗面台とビデ<下右中>があった。きちんとお湯も出た。早速洗濯。また、メッカの方角を示す矢印<下右>もあり、必ずしも外国人旅行者相手の宿ではないことがわかる。

人型に窪むベッド デスク 洗面台とビデ こちらに向かって祈る

この宿は中庭があり、ここで食事も出来るようだったが、外出し、メディナの入口にあるハンバーガー屋でコーラとハンバーガーの昼食<下左>24DH
ハッサンの塔とムハンマド5世の霊廟

昼食 市内からはよく目立つ ハッサンの塔

ここからメディナには向かわず、ハッサンの塔<上中、上右>(註4)へ。NHKのキャラクターどーもくん(註5)のような形の塔である。ここは途中で建設を放棄したため中途半端な高さに終わってしまったが、それでもイスラム世界ではセビーリャのヒラルダの塔(註6)、マラケシュのクトゥビア(註7)に次ぐ規模である。(註4…Tour Hassan。モスク建築が放棄されたため、未完に終わったミナレット。12世紀のものである。高さ44mと、セビーリャのヒラルダの塔、マラケシュのクトゥビアと並び、世界最大級の規模を持つミナレットである。)(註5…NHKのマスコットキャラクター。)(註6…Giralda。高さ97mのセビーリャ大聖堂に付属する塔。この聖堂はもともとイスラム時代にモスクとして建てられたもので、ヒラルダの塔もモスクのミナレットであった。)(註7…Koutoubia。高さ77mのマラケシュのミナレット。もともとはモスクが存在したが、現在は塔のみが残る。)

ムハンマド5世の霊廟 1971年完成 白馬の衛兵 小さな柱とハッサンの塔

この敷地内にはムハンマド5世の霊廟<上左、上左中>がある。ムハンマド5世(註8)とはモロッコ独立の際の君主で、前国王ハッサン2世(註9)の父に当たる。ムハンマド5世を名乗る前はベン・ユーセフという名前であった。敷地の入口には馬に乗った衛兵<上右中>が2人入口を守っている。かなりサービス精神旺盛で、写真撮影にもポーズを取って応じてくれる。この敷地内には途中で折れてしまったような柱<上右>が林立している。かつて、ローマ時代の遺跡でもあったのかもしれない。(註8…Mohammed V。1909-1961。モロッコのスルタンおよび国王。国王在位は1957-1961。フランスから独立を勝ち取った英雄であり、カサブランカの国際空港はその名前を冠している。旧名、ベン・ユーセフ。)(註9…Hassan II。1929-1999。ムハンマド5世の息子。国王在位は1961-1999。)

霊廟の衛兵 栗毛の馬の衛兵

モハメッド5世の霊廟には4つの入口があり、ここにも衛兵<上左>がいる。この人にもカメラを見せてポーズを取ってもらった。霊廟の周りには古い一眼レフを抱えた写真屋が数名いたが、暇そうであった。麗廟内ではカメラは遠慮する。中央にムハンマド5世、その周りにハッサン2世の棺とハッサン2世の弟、アブダラー王子の棺もあるはずである。それらを見下ろす。あとでわかったことだが、この内部は撮影禁止ではなかったようだ。ブーレグレグ川に向かった入り口にも騎乗の衛兵<上右>がいる。こちらは栗毛の馬で、暇なのか衛兵同士が小声でおしゃべりをしていた。
ウダイヤのカスバを抜けると…
このエリアからは隣町サレがよく見える。ここは翌日訪れる予定である。ここからブーレグレグ川<下左>沿いに歩き、ウダイヤのカスバに到着。ウダイヤ門<下左中>らしい建物に入ると、20DHで城塞の案内をされた。ここからガイドがマンツーマンでつき、説明をしてくれるが、銃眼<下右中>のような窓を示し「ここから敵のパイロットを撃ち落とした」とか、「そのパイロットたちをこの斧で首切りした」などという。よくわからない。

対岸はサレ ウダイヤ門 要塞の銃眼 明るいカスバ

ウダイヤのカスバ<上右>は想像していたより明るく、家屋が白とブルーに塗り分けられていた。ミニシャウエンという感じだが、青は家屋のみで路地まで塗り分けられているシャウエンとはちょっと感じが違う。
道を奥に進むと、高台<下左>に出た。見晴台になっていて、何人もが海を見下ろしている。ここにはビーチ<下左中>が広がり、モロッコ人もこんなに開放的になるのかと思うほど、たくさんの水着姿の人たちがいる。川を挟んだサレ側にもビーチがあり、同じ光景なのであった。

釣竿を持った少年 ラバトのビーチ 大西洋の荒波 ウダイヤのカスバとビーチ

ビーチ<上右中、上右>に降りる。灯台などを撮影。波は大西洋から来ていてとても荒い。サグレス以来となる大西洋である。モロッコ人男性はごく普通の水着姿。若い女性はほとんど姿がなく、せいぜいティーンエイジャーくらいなら、水着姿も許されるようである。そんな中に、欧米からの旅行者らしい2人組のビキニ姿の女性がいたが、モロカン男性からかなり熱い視線を浴びていた。
防波堤の先まで行くと長いパイプでハシシを吸っている男性がいたり、釣り客がいたりという具合であった。

ラバトのメディナ 小さな国会議事堂 ムハンマド5世通り ラバト・ヴィル駅

高台に戻り、メディナ<上左>を通ってラバト・ヴィル駅方面へ。途中、銀行が開いていて、トラベラーズチェックを両替した。翌日は日曜日で銀行も開いていないが、月曜日も国王と国民の革命記念日という祝日なのである。にわかに大量のディルハムを持つことになった。駅前からまっすぐ伸びる通りはムハンマド5世通りで、コンパクトながらも国会議事堂<上左中>や中央郵便局などの瀟洒な建物がある。やはり首都なのである。ムハンマド5世通り<上右中>には中央に緑地帯があり、ここでたくさんの人々が憩っていた。ラバト・ヴィル駅<上右>では列車の時刻を調べた。案内所のようなブースでは行き先別の時刻表があり、これももらう。
大衆食堂の夕餉
宿で少し休み、メディナにある食堂、Cafe de la Jeunesseへ。入口にメニューが値段入りで大きく示されている。飲み物は店員が外に買いに走る。水を頼んだだけなのだが。しばらくして持ってこられたのは、シディ・ハラゼム<下左>(註10)というミネラルウォーターだった。フェズ近郊にある地名を名前にした水である。モロカンサラダ<下左中>メルゲズとブロシェット<下右中>をオーダー。あまりにも安いためだが、量も少なめである。サラダは作り置きらしく、頼むとすぐに出てきた。珍しく、ヨーロッパ風の白いドレッシングがかかっている。メルゲズ(註11)とはソーセージのことでもちろん豚肉ではない。メルゲズとブロシェッとはハリサ<下右>(註12)というソースにつけて食べる。ややピリ辛い。全部で46DH(註10…Sidi Harazem。)(註11…Merguez。)(註12…Harissa。唐辛子ペーストのソース。)

シディ・ハラゼム 作り置きのサラダ ポテトとライスつき ハリサソース

シャワーはレセプションでその旨をいうと鍵を貸してくれる。1回10DH。湯はよく出た。中庭ではフランス人パックパッカーの集団が飲み物を手にしてテーブルを囲む。フランス人は固まりやすい連中である。
部屋はやや暑かった。<Next→ラバトとサレ>

リスボン(1) リスボン(2) オビドス ラーゴス サグレス ファーロ アルヘシラス

ティトアン シャウエン(1) シャウエン(2) シャウエン(3) フェズ(1) フェズ近郊 フェズ(2)

ラバト(2) マラケシュ(1) マラケシュ(2) エッサウィラ(1) エッサウィラ(2) カサブランカ(1) カサブランカ(2)

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