陽の沈む国へ〜Safi

サフィは陶器の町である

このあたりから、どの町でも1泊ということになり、移動と観光を繰り返すことになる。この日は、午前をサフィの観光にあて、午後からはアル・ジャディーダへと移動である。

2005/01/06(Thu:第13日)陶器の町と霧のアル・ジャディーダ<サフィ 晴れ アル・ジャディーダ 霧>

サフィ・バスターミナル14:45-(CTM)-16:55アル・ジャディーダ・バスターミナル〜Hotel Royal
サフィ式の朝食
薬のせいかよく眠った。窓の外を眺めると、ちょっと霧<下左>が出ていた。路面も心なしか湿っているようだ。ホテルの朝食は、36DHである。モロッコの値段からするとずいぶんと高い。あまり客はいなかったが、朝食セット<下中>を提供される。バゲットと甘い餡の入ったクロワッサン風のパンが籠に盛られ、オレンジジュースと茶かコーヒーが付く。カフェ・オ・レ<下右>にしてもらったが、ここ独特なのは、コーヒーカップに注がれるのは、ミルクであり、コーヒーは別の陶器のカップで運ばれることか。また、近くにモロッコ人のビジネスマン風の宿泊者が朝食を食べていたが、その人はオレンジジュースにも、さらに砂糖を投入していた。

窓の外は霧模様 ホテルの朝食 コーヒーは陶器に入って出てくる

チェックアウトする。朝食料金は自己申告だった。合わせて、226DHのカード払い。荷物は預かってもらう。朝も外国人旅行者にはフランス語しか話さない品の良さそうな女性がフロントにいたが、これは仕草でわかってもらえた。ただし、昨日のパスポートチェックでは、自分の職業を伝えるのにずいぶんと苦労したが。
海の城にて
また、坂を下り旧市街<下左>へ。例のホームレス風には遭遇しなかった。サフィには、ダル・エル・バハール<下左中>(註1)という海に面した城がある。ちょっと入口がわかりにくいが、人に訊いて判明する。入っていくと、門は鍵がかかっていたが、どうしようかととどまっていたら、管理人が姿を現した。入場料、10DHだが、チケットはない。(註1…Dar el Bahar。フランス語ではChateau de la Mer。歩道に面しているが、鉄柵に囲まれていて、歩道にある地下道から入場する。)

サフィの旧市街 海の城 大砲の並ぶ中庭 記念に一枚

かなり風格のありそうな感じだが、見所は少なかった。それでも、管理人は順路の概略などを教えてくれる。入ってすぐは、中庭<上右中>のようなところに大砲が並んでいた。大砲の並ぶ城壁内という感じである。ここで記念撮影<上右>。順路に従って歩くが、進入禁止のようなところもあった。塔に登る。途中にあった窓から覗くと海<下左>が見えた。螺旋階段のようなところで、たまたま懐中電灯を持っていたので、照らしながら登るが、海鳥の羽根などがたまっている。コウモリなどもいるかも知れない。苦労して、屋上に出る。眼下には線路<下左中>が見え、旧市街<下右中、下右>などをカメラに収める。

海が見えた 海沿いに線路 屋上からの風景 旧市街を望む

続いて来る者があった。観光客かと思ったら、管理人であった。「ここは危ない」とのことである。「写真を撮るだけだ」と応じるが、ついてくるように言われる。管理人がいうには、崩落の危険性があるとのことである。下の階に降りて、ここは安全だという。そこで指さすと、天井は支えが何もなく、やはり落ちる危険があるという。さらに下に降りて、ちょっとした隙間から上を覗くようにすると、あるところから、かつては床があった箇所が見えた。そこに通じる扉が残っていることから、ここはすでに崩落したらしい。この海の城は、外から眺めるに限るか知れない。
陶器販売所

メディナのメインストリート シャーバ門 陶器販売所 窯

旧市街のメディナ<上左>へ。昨日入口で踏みとどまったところである。メインの通りは人通りがかなりあった。しかし、すぐに反対側の、シャーバ門<上左中>に出てしまった。その城外は、陶器の販売所<上右中>となっていて、その背後の丘には、陶器の工房や窯元<上右>ががずらりと並ぶ。ここでは、焼きの入る前に絵付けされた皿<下左、下左中>などが乾かされていたりする。ここをそぞろ歩いていると、つかず離れずの男性<下右中>がいて、「陶器を作っているところや、窯などを見ないか」とのことであった。これはお断りし、近くの窯などを眺めて、販売所で小物を購入。20DHで、ディスカウントは効かなかった。サフィは良質の粘土が取れ、フェズ(註2)の職人が移り住んだことから、陶器生産が盛んである。ホテルの調度などにも、陶器が多用されていた。また、このあたりはどこからともなく煙<下右>が立ち上っているのがわかる。(註2…Fez。モロッコの古都で世界遺産に登録されている。良質の粘土が産出し、陶器生産が有名。ここの職人がサフィにも移り住み、サフィも陶器生産が盛んになっている。)

天日干しの皿 窯の下あたり 窯に案内をするといった男 窯から立ち上る煙

メディナのさまよい
再びメディナへ<下左、下左中>。陶器博物館となっている、ケシュラというものを目指す。すでに、陶器の販売所のあたりから見上げるようにしてそれはあった。もともとは、要塞であり、刑務所であった時代もあった。メディナの途中に、博物館の矢印があったが、不確かに思える。たたずんだ中年の男性に道を聞くが、ついてくるようにいわれる。家が左右に迫る坂道<下右中>である。先を歩く、二人の男性。それに従う自分であるが、さらに暇そうな子供も続く。歩く先は、ケシュラとは別の方向だった。何か請求されるかなとも思ったが、そんなことはなく、この先だと示される。そこで男性たちは自分の家に入っていった。

メディナから垣間見えるモスクのミナレット メディナ内の陶器スーク 狭い坂道 陶器地区

そのまま歩いていくが、博物館はわからなかった。もう一方の門である。再び、陶器の販売所のあたりに出てしまう。再び、窯を見ていかないかの誘いがかかる。このあたりは、旧市街から独立してはいるが、城壁<上右>のようなものがつながっている。今度は自力でケシュラ(註3)を目指す。またしても、暇そうな男性が歩いてくる。今度は英語を話せる人物だ。それによると、ケシュラ<下左、下左中>は6ヶ月間修復が続いているとのことである。また、子供もついてくる。暇なんだろう。が、途中に犬がいて、その子供はこちらの影に隠れてびくびくしていた。なんとか、ケシュラに出るが、やはり改装中で中には入れなかった。(註3…Kechla。18世紀に建てられた要塞。ここが改装中なので、陶器博物館はその間別のところに移動したようである。)

陶器地区から見たケシュラ 改装中だったケシュラ サフィのメディナはアーチ状になったところが目立つ 路地で遊ぶ子供、ここなら安全

今度は、ポルトガル時代の礼拝所を探す。再び城外に出て、別の門からアプローチしようと思った。再び顔を出す英語を話す男。よほど暇なんだろう。世間話をしたくらいで、しつこくつきまとうことはなかった。だが、礼拝所はわからない。メディナのいろいろな路地<上右中、上右、下左、下左中>に入り、アプローチを試みるがことごとく失敗する。中には、住民が出てきて、親切心か警戒心か「この先には行けない」などと言ってくるが、人々の生活も見ることができた。ようやく礼拝所<下右中>を見つける。ここは、一応カテドラルと呼ぶらしい。ようやく見つけ出したところは、全景がわからないくらいのところで、ほとんど入口のみ。ここも今は閉まっているらしい。時間は無駄に下がなかなか面白い路地裏<下右>歩きであった。

珍しい緑のドア 再びアーチ状の路地 どうということのないポルトガル時代の礼拝所 両側が迫り来る壁

さらばサフィ
それでも、メディナをたくさん歩いた。人々の生活にも触れたような気がする。最後に、再び海を見下ろす展望台<下左>に行き、海を見る。ここには、目つきの鋭い男が暇そうにしていた。あまり関わりたくないので、知らん顔で通す。デジカメを出すのが心配だったが、さっとセルフタイマーを使って記念撮影<下左中>した。

展望台からの眺め 展望台での記念撮影 羊の放牧 新市街のモスク

そろそろ昼である。例のホームレスに遭遇したくないので、来た時とはまた異なった道を通り、新市街に戻る。都市のど真ん中なのに、羊の放牧<上右中>が見られた。新市街には高いミナレットを持つ大きいモスク<上右>がある。昨日夕食を取ったのとは別の店で、ケフタ<下左>とコーラを注文。ケフタには、炒められた野菜と、またもやどっさりのポテト(註4)が付いた。小さな椀に盛られた、ハリラとハリサも同様についた。これが、サフィの流儀なのかも知れない。料金は、30DHだった。(註4…これにマスタードをつけて食べるとなかなかいける。マスタードが通常のものとは違うようである。)

昼食のケフタ バスターミナルのチケット売り場 下が荷物用のチケット

荷物を受け取って、流しのプチタクシーを拾い、バスターミナル<上右中>へ。料金は6DH。運転手はかなり陽気な男で、なぜかIDカードまで見せてくれた。ターミナルではかなり時間待ちをすることとなった。CTMのカウンターで荷物を預ける。荷物を見せると、ブースに入ってくるように指示される。荷物代は5DH。ここでも、荷物用のチケット<上右>を発行され、荷物はかかりがバスまで運んでくれるという。
濃霧のアル・ジャディーダへ
身軽になり、暇なこともあってバスターミナルの周辺を歩いてみた。あまり面白いこともなかったが、バスに羊<下左>を生きたまま乗せようとする光景に遭遇した。さすがに、CTMだったら、こういうことはないだろう。バスはやや遅れて到着。サフィの民営バスも、かなり古い車体ばかりだが、CTMのバスが入ってくると、とても奇麗に見える。今度は、途中から乗ったためか、コンピュータ発券ではなかったため、座席番号は指定されていない。中に入って、乗客にカサブランカ方面に行くか確認する。2座席空いたシートがなかったので、片方が空いていると思われるシートに座る。発車間際、外で休んでいたヨーロッパ系の男性が現れ、隣にあった荷物を後ろに運んだ。結局、2座席独占となる。

バスで羊運搬 エメラルドブルーで統一されたとインテリア 結局二座席独占 農地が続く

今度のバスは、リクライニングもする。車内<上左中、上右中>も奇麗である。数日前、アガディールからエッサウィラまで乗ったバスよりも、新しいものだった。バスは、ノンストップでアル・ジャジーダへ。途中はやはりのんびりした農村の風景<上右>である。そこまでは快晴だったが、アル・ジャディーダ近郊では、工場が目立ちはじめ、その煙突からは煤煙と思われる煙がかなりたなびく。そこからは霧のようになった。煤煙がひどく、これではかつての公害の都市みたいだなと思っていたが、本当に霧らしい。バスターミナルに着いて、またしても、CTMの翌日のカサブランカ行きチケットを購入。37DH
ホテル探し
アル・ジャディーダのバスターミナルから、タクシーに乗ったが、反対方向(註5)のものをつかまえたようで、先客のルートを引き回されたあげく、目指したホテルは改装中というものであった。料金、12DH(註5…ガイドブックには、バスターミナルとアル・ジャディーダの中心部との位置関係があまり明確な記述がなかった。そのために、逆方向に乗ってしまったといえる。ただ、このあと歩いてホテルを探していたら、バスターミナルにいた外国人旅行者が荷物を担いで前から歩いてきたので、あまり大した距離ではない。歩けばよかった。また、ちなみに、引き回した運転手は、ブラックアフリカ系であった。)

ベッドとテーブル 木造のドア シャワールームと呼べるかどうか こういう形式のものは初めてである

どうしようかと思ったが、近くにホテルがないでもない。そこまで歩き、料金と部屋を確認して泊まる。見せてもらった部屋だが、そこまでの廊下はかなり重厚な感じでよさげであった。が、部屋<上左、上左中>はあまり大したことはなかった。シャワーとトイレ<上右中>も部屋にあるが、あとから付け足したように、磨りガラスで囲まれたブース<上右>状のものであった。。なぜか、ベッドはかなり低いものである。
ちょっとした散策と夕食
霧の海岸到着が遅く、明るいレンズで街を撮してもよかったが、すでに日が暮れていた。なんとか海岸<右>まで出るが、ここだけがライトで照らされ、なんとか撮影できた。適当なレストランを探したが、徒歩ではわからなかった。再び部屋に戻り、ガイドブックを確認する。海岸の近くに1軒ある。再び出向き、料金を確認してここに決める。Le Titという店。メニュー表を見ていると、店主が顔を出し、日本人は歓迎するみたいなことを言った。魚料理の店であるとともに、バーでもあるようだ。お勧めは、メロンという白身魚。サラダとそれにする。ビールと水も。
ビール<下左>はフラッグにする。パン<下左中>はモロッコ風で、オリーブが付いた。サラダ<下右中>はどっさりと来た。だが、食べきってしまう。メロンという魚<下右>は、なんだかわからない。持ってきたのは、フライにしたものだった。骨があるかと思ったが、これはきちんと抜いているようだった。また、頭は取ってあった。あまり美味しくない。料金は全部で76DHのはずだが、なぜかサービス料20DHというのが加算されていた。96DH。もちろんチップは置かなかった。ちょっと高いと感じたが、サフィではあまり金を使わなかったので、収支上ではとんとんか。

フラッグと水 モロッコ風のパンとオリーブ ツナ入りのサラダ メロンの唐揚げ

寒い夜
宿に帰り、シャワーを浴びるが、なかなか湯にならなかった。部屋もかなり寒く、風邪をひくかと思ったほどである。何しろ、部屋にいながらにして、吐く息が白いのであった。しかもシャワールームの明かりをつけておくと連動して換気扇が回ってしまい、うるさくて仕方がないので、こちらをオフにして、部屋の明かりをつけたまま眠る。サイドランプのようなものはない。<Next→思わぬ世界遺産を歩く

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