陽の沈む国へ〜Paris,Casablanca

100ディルハム紙幣

この年の年末年始の休みは、思いもかけず長く取れることとなった。このチャンスを生かし、モロッコに行くことにする。冬にしては珍しく、2週間以上というものである。行き帰りは、エールフランスの深夜便を利用することにしたのは、前夜あるアーティストのライヴを見ることが決まっていたからであり、ゆっくりと支度できた。

2004/12/25(Sat:第1日)〜26(Sun:第2日)モロッコまでの長い道のり<東京 晴れ パリ 曇り時々雪 カサブランカ 曇り時々雨>

成田国際空港21:55-(AF277)-*4:35パリ・シャルル・ド・ゴール国際空港(*翌日着)9:35-(AF2196)-11:40カサブランカ・ムハンマド5世国際空港〜空港駅12:50-(ONCF)-13:23カサ・ヴォワヤジャー駅〜Hotel Ibis Mousafir
前口上
深夜成田を出発する便を選んだのは、その前の日(註1)かなり遅くなるということがわかっていたからだった。その通り、遅くなり、いつもならば睡眠もそこそこに慌ただしく準備に追われるところなのだが、今回はそれがない。ゆっくりと起きて、それから支度にかかることができた。(註1…横浜の佐野元春のライヴを見に行ったのである。)
やや早いと思われる時刻だったが、自宅を出て上野に向かう。成田に向かうのには、だいたい京成を使う。日暮里で乗り継げばいいのだが、確実に座っていきたかったのである。週末ではあるが、上野までの車内は適当に混雑していた。荷物は車内の床に置けるが、乗り換えのたびに持ち上げるとかなり堪える重量(註2)だ。旅が数ヶ月ぶりということもあるのだが。なんとか上野に着き、スカイライナーの指定券と乗車券を購入することができた。まだ時間があったので、旅行代理店でトラベラーズチェックを作る。なるべく持参の現金も少なめにしたかったのである。(註2…だいたい10〜11kgの範囲。その他、カメラなどの入ったサブバッグと小物を入れたトートバッグがある。メインだけは預けるが、あとは機内持参である。)
成田のクリスマス飾り成田はクリスマスの飾り付け<右>はあったがどちらかというと控えめな感じであった。こんな時間なので、人も少ない。今回もネット予約の旅行社で手配をする。それはいいのだが、まったく混雑していないにもかかわらず、航空券を渡すカウンターで、すでに搭乗券が発券されていたのには参った。シートリクエストができず、マイレージ(註3)もここでは計上できないという。しょうがないので、エールフランスのカウンターに行きマイルをつけてもらった。驚いたことは、この第一ターミナルに、ユニクロができたことであった。(註3…ワールドパークスがスカイチームと提携し、AFでも、マイルがつくことになった。だが、ふざけたことに、エールフランスの方にマイルがついていた。あとで郵送で手続きした方がいいかも。)
エールフランス
エールフランスに乗るのは、ずいぶんと久しぶりである。自分の席は、最後尾だったが、幸い、通路側であった。機材はボーイング777なのだが、自分の席の通路側の肘掛けが壊れていて、テープで補修してあった。なんか寂しい限りである。飲み物のサービスがようやく始まる。前に乗った時には、クローネンブルグというビールだったが、いつの間にか、1664<下左>というブランドのビールに変わっている。エールフランスは、食の国フランスらしく、酒類の提供はかなり寛容である。ただし、なぜかビールの容量(註4)が250mlという少なさである。メニューが配られる。機内食は2回。最初は、牛肉ご飯か白身魚<下中>で後者を選択。2回目の機内食<下右>は選択の余地のないクロワッサンとコールドミートという内容。同じヨーロッパ便でも、スキポール(註5)に行く時の方が、時間がかからない気がする。それにしても、パリで5時間待ちなので、あまり関係ないが。(註4…サベナ・ベルギー航空も、250mlの特製ビールであった。また、シンガポール航空などはワイン飲み放題だが、なぜかアテンダントが注いでくれるものの、ボトルをくれない。)(註5…アムステルダムにある、ワンターミナルの空港。免税品が充実していて、レストランやネットカフェ、さらには博物館やカジノまである。)

1664というビール 1回目白身魚 2回目の機内食

シャルル・ド・ゴール(註6)では、どうやら同じFターミナル<下左>に到着して、そこからまたカサブランカに向かうことになるようだが、いったんパスポートを見せて手荷物検査もある。ここでは検査が主体のようで、特にEUのスタンプは押されない。それにしても暇である。こんな時間なので、ターミナル内もがらんとしている。まだ免税店なども開いていないので、2.4ユーロの高いダブルのコーヒーを飲んだ以外は、持参の文庫本を読んでひたすら時間つぶしである。(註6…Charles Andre Joseph Marie de Gaulle。フランスの軍人で、第五共和制初代大統領。パリの玄関口はその名前が取られている。前衛的なデザインが特徴であったが、今では古びているか。また、パリにはオルリーという空港もあるが、日本発着には、シャルル・ド・ゴールとなる。)

シャルル・ド・ゴールFターミナル 普通は機体と直結なのだが かなり小さいカサブランカ行き

ようやくカサブランカ(註7)行きの搭乗となった。しかし、面倒なことに機体が建物と直結されず、バスでの移動である。バスまで降りる階段<上中>が、半分凍りついている。雪もちらついていた。そのバスは、乗るべき飛行機までストレートに行ってくれず、不思議な動きを見せた。あるところにバックで入ったりし、乗客をやきもきさせる。カサブランカ行き<上右>はエアバスA321という小さい型であった。(註7…Casablanca。スペイン語で白い家の意味。モロッコの玄関口であるが、首都はラバトである。)
ムハンマド5世国際空港
成田から3食目の機内食ようやく乗り込んでいよいよカサブランカへ。ここでも機内食<左>が出たが、イスラム教徒に配慮してか、豚肉は使っていない旨の注意書きがある。内容は、ハーブ入りのチーズとクロワッサン、コールドミートであった。飛行は順調だった。ムハンマド5世国際空港(註8)は、雨上がりらしく空港の路面が濡れていた。モロッコ入国には、カードの記入が必要である。ガイドブックの見本とは様式が違い、かなり戸惑う。入国審査もかなり時間のかかるものだった。隣に日本人女性が並ぶ。おそらく、昨日の成田から一緒だった人である。この便では、自分以外唯一の日本人かも知れない。少し話をする。かなり時間がかかって、自分の番となる。入国審査では宗教のことを聞かれたようだったが、よく聞き取れなかったので、「えっ?」というと、そのまますんでしまった。(註8…モロッコ独立時の国王の名前を取った空港。)
入国審査が終わり、ターンテーブルに近づくと、ちょうど自分のザックが流れてきた。これをピックアップし、出口へ。免税のところに行くが、なぜか止められてしまい、係が荷物をチェックしようとしたところで、別の係が飛んできて、「日本人だから、OK」みたいに、制止してくれた。これは助かる。銀行があったので、両替をする。T/Cで\20000換えようとしたが、日曜日のため現金だけだという。まったくなんてことだ。しょうがないので、同額現金で両替。ちなみに、モロッコでは、通貨統制がかなり進み、どこで換えてもレートは同じである。この時は、1567ディルハム(以下DHと表記)となった。
鉄道で移動
鉄道の座席カサブランカまでは、鉄道(註9)が通じている。駅はすぐ下だという。2等のチケットが30DH。先ほどの女性が駅にいた。電車がやってきて、同じ車両に乗り込む。この人は、以前モロッコに来ていて、また来たのだという。今回は、知り合いがラバトにいて、そこまで行くとのことだ。ただし、鉄道利用は初めてらしい。そんな話をしていると、隣のボックスに座ったモロッコ人が、話しかけてくる。身分証明書も見せてくれ、ガルフ航空の職員らしい。車内はかなり暖かく、汗ばむくらいであった。車窓も、かなり緑が広がり、寒々しさはなかった。だが、時折雨が降る。この車両は対面する固定シートのボックス<右>が並ぶ。(註9…ONCF。Office National des Chemins de Fer。モロッコ鉄道。国内をカバーするものではなく、山岳地帯、砂漠地帯は未開通。)
カサブランカには駅が二つあり、カサ・ポール駅(註10)カサ・ヴォワヤジャー駅(註11)である。できたら、中心部に近いカサ・ポール駅まで行きたかったのだが、時刻表によると、この電車はカサ・ポール駅まで行かない。予定では、翌日マラケシュに行くつもりだったので、カサ・ヴォワヤジャーで降りてその近辺のホテルに泊まろうとこの時に決断する。向かいの席に座った女性は、ラバトまで行くが、ガルフ航空の男性によると、カサ・ヴォワヤジャーで降りて乗り換えるのだという。が、結局これは間違いであった。女性とはここでお別れ。(註10…Gare de Casa Port。港の近くにあり、カサブランカの中心に近い。ラバト方面へはこちらが始発である。ローマのテルミニのように、行き止まりの構造。)(註11…Gare de Casa Voyageurs。カサブランカの場末のような感じのところにある。マラケシュ方面へはこちらを利用する。)
飛び込みの三つ星ホテル
駅を出るとタクシーが声をかけてきた。が、これは無視して、駅の一番近くにある、イビス<下左>(註12)というスペインやポルトガルでよく見るチェーン展開しているホテルに泊まることにする。フロントに行くと、チェックイン手続きをしている日本人がいた。同じ便で来た人が、まだいたらしい。ここは、前金で443DH。朝食付きである。カード決済にした。部屋<下左中、下右中>は、やけにペンキ臭かった。ダブルベッドの部屋で、バスタブはない。部屋に落ち着くまで、成田から24時間以上かかっている。疲れているはずだが、不思議と眠気はなかった。外に出てみたいものだが、あいにくと天気が悪い。たまにぽつぽつと雨が降るようだ。しょうがないので、両替したディルハム<下右>を撮影したりする。(註12…Ibis。チェーン展開するホテルだが、フランス系らしい。モロッコでは街中にあるが、他の国では、主に自動車利用の客が対象のようで、町はずれにあることが多い。)

イビスの外観 ベッドルーム 洗面所 50ディルハム紙幣

が、ざっと様子見に駅の周りだけ歩いてみる。駅では翌日のマラケシュ行きの時刻を調べる。そのあと、周辺を歩いたが、ほとんど店がやっていない。日曜日だからか。様子見は終わり、ホテルに戻る。夕刻になり、メニューを外に貼り出してあったカフェに入って夕食とする。サラダ、チキンのタジン(註13)ミネラル水(註14)小ボトルを頼んだ。幸い、ここは英語がわかる様子である。ただし、メニューはフランス語表記だったが。サラダ<下左>はトマトやキュウリ、アボガドなどが盛り合わせてあった。タジンは、11年前に来たモロッコ(註15)で懲りていたのだが、運ばれたものは、思いもかけず美味かった。ツアーで出されたホテルのタジンは、疑問符の付く味だったということか。とにかく、ここのチキン・タジン<下右>は、小さめではあるが鶏の足が入り、それをジャガイモで隠すようにしてあり、微妙な香辛料の味付けがなされている。こういうものがあれば、食事には事欠かない。料金は49DHだった。(註13…Tajin。アラビア語表記不可能なので、アルファベット表記する<以下同様>。タジン鍋という独特の形をしたものを使った料理の総称。主に、肉と野菜を香辛料とともに煮込んだものである。味は地域や店によって千差万別である。)(註14…Sidi Aliなどが有名。ブランドは少ない。モロッコのレストランでは、アルコールを置いてある店が少ないので、やたらと注文することになるはず。)(註15…1993年暮れから1994年の正月という日程で、マラケシュ、フェズ、ラバト、カサブランカに泊まるツアーであった。参加者24名。他の旅行者と口を利くのが苦痛だった。)

モロッコ風サラダ チキン・タジン

駅の売店で1500mlの水、6DHを購入してこの日は終了。<Next→フェスティバル・シティ

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