陽の沈む国へ〜Marrakeche(2)

マラケシュの街角

マラケシュに到着し、寒い夜が明ける。この日は本格的にマラケシュをうろつくこととなった。

2004/12/28(Tue:第4日)マラケシュをさまよう<マラケシュ 晴れ>

マラケシュ市内観光〜Hotel Central Palace
喫茶で朝食
サロン・ド・テの朝食セット寒い一夜が明けた。腹も減っているが、まずは屋上に上がってみる。この日もよい天気である。このホテルは朝食(註1)を有料で提供するが、まだ準備ができていないようだったので、外に出て、朝食をやっている店を探す。ホテルは路地の奥にあるが、路地から出た車の入らない通りに、サロン・ド・テ(註2)があり、メニューを見ていると、20DH朝食<右>を食べられることがわかった。メニューはフランス語だけでなく、英語も併記されていた。(註1…Petit Dejjeuner。モロッコではフランス語もよく通じる。)(註2…Salon de The。フランス語で茶を飲ませる店。カフェとかバールとはまた違い、喫茶店のような感じである。)
ここでは、カットされたバゲット(註3)にバターとジャムが付き、オレンジジュースとお茶かコーヒーが付く。飲み物は、お茶を選んだ。もちろん、モロッコなので、ミント茶(註4)である。その他に、おかずとしてちょっとしたものが頼める。卵とあったので、これを焼いてもらった。出てきたものは、一応プレーンな卵焼きなのだが、油の加減なのか、白と黄色がまだらになったものであった。夜が寒かったので、熱いお茶はありがたい。たとえ甘すぎるミント茶であっても、よいものはよい。(註3…モロッコはスペインとフランスに分割統治されていたため、フランス文化が数多く残っている。ここでのバゲットはもちろん、フランスパンであるが、やや小型。味も受け継いでいてかなり美味い。)(註4…中国茶にミントの葉と砂糖を入れたもの。これをポットから注ぐが、泡立つように高い位置から注ぐのがよいとされている。砂糖の量は半端じゃないが、慣れると美味しい。モロッコは陶器が有名だが、ミント茶に限ってはグラスに注ぐことが普通である。)
宿に戻り、シャワーを浴びる。ノズルからお湯が出るまでしばらくかかったが、さっぱりとする。ただし、シャワーを浴びていないと寒い。
アラベスクなバイア宮殿
マラケシュのあとは、砂漠の入口、ワルザザート(註5)に行く予定でいた。この時点ではかなり不便なところかもという感じがあり、手持ちに余裕があったが、T/Cで\20000を両替する。フナ広場には、いくつかの銀行があり、そのうち空いているところに入る。モロッコに到着して3日目であるが、すでにレートが変わっていた。1563DHとなるが、トラベラーズチェックの場合、21.40DHの手数料(註6)が加わり、1541.60DHとなる。半端な数字だが、20サンチーム(註7)という補助貨幣もあり、きっちりと支払われた。(註5…Ouarzazate。アトラスを越えた砂漠への中継点の町。とはいえ、近郊には世界遺産に指定されたアイト・ベン・ハッドゥなどもある。)(註6…モロッコでは、トラベラーズチェックには手数料がかかることが多い。ちなみに、現金でもトラベラーズチェックでも、レートは同じであることが普通である。)(註7…ディルハムの下の単位で、100サンチーム=1DH。)
まずは、昨日たどり着けなかったバイア宮殿へ。フナ広場から回り込むようにして、裏の通り<下左、下左中>を歩いていくのだ。通りは狭く、クルマの通行はない。ただし、自転車やバイクはお構いなしなので、注意が必要かも知れない。この通りの両側には、商店となっていて、昨日まであまり見かけなかった生活感があふれていた。

狭い路地だが、バイア宮殿まで続く 後ろからの追い越しに注意が必要 オレンジの木が生い茂る中庭 暖炉

今度は、迷うことなくたどり着けた。バイア宮殿の入場料は、10DH。門を入ると、チケット売り場があるのだが、通り過ぎてしまいそうになるくらい、それは小さい。事実、通り過ぎそうになって声をかけられたほどである。広めの通路を歩き、建物の入り口に入る。そこは、やや小さめの中庭<上右中>となっていて、オレンジの木には実が付いていた。そこから次の建物に入る。ここは、アラベスク模様のタイル<上右>細かい透かし彫り<下左>で飾られたいくつかの部屋があった。まだ朝早い時間だというのに、サアード朝の墳墓群と同じように、ツアー客がいたが。

部屋の入口の透かし彫り 奇麗なパティオである パティオの水盆 天井も美しい

部屋を抜けると、中央に水盆のあるパティオ<上左中>を持つ回廊となった。水盆<上右中>には今でも水が流れている。回廊の周りにはもちろん部屋がある。パティオの床は、大理石造りで、象眼による模様が施されていた。小ぶりだが美しいと感じる。それぞれの部屋の天井<上右>にも、見事な細工が施されていた。ここを抜けると、さらに大きな中庭<下左>となった。ここにも中央に水盆<下左中>と泉がある。ここで他の観光客に記念写真<下右中>を撮ってもらった。この周りにも、部屋と回廊があり、部屋の方には、透かし彫り<下右>の壁面飾りもある。

最も大きいパティオ 水盆 水盆の前で 透かし彫りの壁面飾り

各部屋も、タイルだけでなく、大理石、象眼の施された木製のドア<下左、下左中>などの飾り付けがなされている。重要な部屋では、ミフラーブ<下右中>(註8)があり、これも細かな象眼で細工がなされていた。これで昨日と同じ値段の入場料なのかと思うと、得した気分である。大きなパティオから順路に沿って歩くと、木々の茂るパティオに出た。オレンジ<下右>が見事な実をつけている。やはりここの周りにも、部屋があるのだ。このバイア宮殿は、モロッコ国王が滞在することもあるらしい。バイア宮殿は見所が多く、かなりの時間滞在したように思う。(註8…Mihrab。メッカの方角を示す窪み。)

木のドア さらに細かな飾り付けのなされた窓 象眼細工のミフラーブ 実をつけたオレンジ

新旧スーク
バイア宮殿を見たあとは、スーク(註9)に行きたくなってきた。今度は別の道を通って、フナ広場まで戻る形となる。マラケシュのスークは、職種別に構成されているが、いずれもフナ広場の先にある。また、地元の人向けとして、新しいスークもあるらしく、こちらはフナ広場に接するような形であった。(註9…市。というよりも、同じようなものを売る店の集合体という感じである。必然的に商店街でもある。マラケシュでは新旧のスークがある。)

新スーク入口付近 二階建ての建物中心 かなり雑然としている 生活用品が多い

まずは、新スーク<上左、上左中、上右中、上右>に行く。ここは、二階建ての建物があり、ここに各種の店が集まっている。こちらはこちらでそれなりの雰囲気がある。ただし、かなり買っていかないかというたぐいの声がかかる。生活用品が多いようで、どことなく雑然としている。
今度は従来のスーク。ガイドブックによると、スマリン門<下左>から入っていくことになるが、まあどこでも良さそうである。道は至るところで接していて、地図を見ていても迷うこと請け合いであった。また、かなりの人混みとなり、そんな中を自転車やバイク、時にはロバの荷車なども通っていく。路地<下左中>の奥に消えていく、ネズミ男(註10)オバQ女(註11)たち。屋根のある部分<下右中>では射し込む光も少ない。あまりカメラを構えて写真を撮っている余裕もないようなところだ。ここでも、かなりの声がかかり、さらに日本人ということがわかると、簡単な日本語の挨拶や英語フランス語の挨拶も飛び交ってくる。(註10…モロッコの伝統的な外出着として、ジュラバというものがあり、フードがついている。これを被るものが非常に多いので、くすんだ色合いのものはまるでネズミ男なのである。ジュラバの下は、民族衣装でもなんでもなく、ごく普通であることが多い。)(註11…スカーフで頭を覆うだけでなく、眼だけを出した以外顔も覆ってしまう女性。後ろから見ると、布ですっぽりと覆われた、オバQなのである。顔を覆うものは薄手の生地であり、近づくとかなりはっきりと顔がわかることもある。)

スマリン門 いったいどこに続いているのか アーケードとなっているところがマラケシュでは普通 広場は開放的

スークには、時にちょっとした広場<上右>に出ることもあり、そこでも物が商われていた。こうしたところは、あまり息苦しくなく、マラケシュの太陽を思う存分に浴びることができてよい。スークの奥には、マラケシュ博物館、ベン・ユーセフ神学校などもあり、ありがたいことに矢印なども付いている。それに従っていくと、博物館に出た。
かつての宮殿を利用したマラケシュ博物館
ここの博物館はかつての宮殿を利用されていて、展示物を見るというより建物自体に雰囲気があるのだ。チケットを求めようとすると、貼り紙があり、ベン・ユーセフ神学校(註12)クッバ・バアディン(註13)という霊廟を合わせたチケットも販売していることがわかった。3箇所チケットは50DHだったが、こちらを求めた。(註12…Madersa Ben Youssef。ベン・ユーセフというのは、モロッコの主権を主張したスルタンで、独立後ハッサン5世となる。)(註13…Koubba Ba'Adiyn。クッパとはドーム状の意味。)

屋内にあるパティオ 中央の水盆 水盆の上にはシャンデリア シャンデリア

展示物は美術品なのだろうが、観光客にとっては見なくても良さそうなものであった。それよりも、建物自体に価値がある。博物館の中央には、半透明の屋根のあるパティオ<上左>があった。あまり光は射し込まないものの、大口径レンズを使うと、ノーフラッシュで十分に撮影ができるほどである。ここも、大理石造りの美しいものであった。やはり、中央には水盆<上左中、上右中>がある。水盆の上にはシャンデリア<上右>がある。とにかくここは床の象眼細工も素晴らしかった。

骨董品の箱 骨董品のランプ ハマム内部 ハマムの入口

その奥には、ハマム(註14)だったところもあった。ハマムのサロンには、骨董品然とした家具<上左、上左中>が並べられていた。ハマム<上右中、上右>に入っていくと、ここも展示物が並んでいた。(註14…Hammam。スチームサウナ式の公衆浴場。イスラム教では礼拝時に身体を清める習慣があるため、モスクの周辺にあることが多い。トルコにもあるがこちらの方が有名か。)
ベン・ユーセフ神学校

ベン・ユーセフ神学校の看板 ベン・ユーセフ神学校のパティオ パティオ 透かし彫りのアラベスク模様

博物館を出て、ベン・ユーセフ神学校へ。入口にツアー客がたまっていて、なかなかわかりづらかった。が、アラビア文字とアルファベットで看板<上左>が出ていた。ここは、1956年まで使用されていたらしい。ここにも、池のあるパティオ<上左中、上右中>があり、それを囲んで、寄宿していた学生たちの部屋がある。パティオからは、囲んでいる建物の細かいアラベスク模様<上右>が見物である。

吹き抜けから見上げる 吹き抜けから見下ろす 雰囲気のある窓 パティオを見下ろす

中庭も美しいが、部屋を巡り歩くのも楽しかった。建物は吹き抜け<上左>になっている部分がある。ここから上を見上げると、寄宿学生の部屋が見える。これまた、建物内のパティオといえよう。上から見下ろすと、アラベスク模様の床<上左中>が見える。部屋の窓<上右中>からは、パティオの池<上右>が見えた。部屋の作りは、光の射し込む部屋射さない部屋と、ひとつひとつが微妙に違うのである。寄宿学生の部屋<下左>は、パティオを囲む建物内にあり、これが無数にある感じだ。吹き抜け<下左中>を中心に部屋が並んでいて、これがいくつもある。ひとつの吹き抜けから見下ろすと、美しいタイル<下右中>が見えた。吹き抜けの天蓋<下右>からはかなりの光が射し込むようになっている。しかし部屋には、窓のあるところとないところがあり、どういう待遇の差があったのだろうか。ここで生活するのも、寒いだろうなあと思った。

学生の部屋 吹き抜け 美しいタイル 吹き抜けの天蓋

クッバ・バアディン

クッバ・バアディン ドーム型の霊廟 クッバ・バアディンの墓石 ベン・ユーセフ・モスクのミナレット

クッバ・バアディン<上左、上左中>は、共通チケットで入場できるが、案内人がいない場合、無料で入ることもできるそうである。ここには、ドーム型の霊廟があり、その下には墓石<上右中>が残っていた。半地下式のところもあるが、ここにも墓がある。ただし、明かりはないので注意が必要である。向かいには、ベン・ユーセフ・モスクがあるのだが、モロッコでは、イスラム教徒以外は、ほとんどのモスクには入ることができない。このモスクには、四角柱型、つまりはクトゥビアの塔と同じ形のミナレット<上右>だけが顔を覗かし、あとは閉ざされていた。
あまり愉快でない昼食
スークを抜けて、フナ広場に戻る。やや、マラケシュの感じにも飽きてきた感じもする。

ハリラ ケフタのサンドイッチ

昼食は、フナ広場近くの、オテル・アリ(註15)のレストランにする。ハリラ(註16)というスープにケフタ(註17)のサンドイッチにコーラである。ケフタというのは、ミンチにした肉を固めたもので、ハンバーグと同じである。ただ、羊肉が使われているのだけが違う。このホテルは、ヨーロッパの旅行者に人気があり、けっこう混み合っているようだった。ハリラ<上左>はすぐに来たものの、ケフタのサンドイッチ<上右>がなかなか来なかった。ハリラには、パンが付き、オリーブも出されたのでこれで事足りてしまいそうである。だが、忙しく動き回るウェイターに一言言っておくが、それでもサンドイッチが出てきたのはかなり遅かった。味は、それなりに美味かったが、料金の40DHのみ払い、チップは置かなかった。これは抗議の意味である。(註15…Hotel Ali。値段の割には設備が充実しているため、人気の高いホテルである。が、トラブルも多いらしく、評判はいまいちである。)(註16…Harira。肉か魚のだしを取り野菜類を細かく刻んで煮込んだとろみのあるスープ。これとパンがあれば、とりあえずモロッコでは飢えることはない。トルコのスープと双璧かも知れない。)(註17…挽肉にした肉を固めたもの。ハンバーグ状態。トルコではキョフテ。コフタともいう。)
マラケシュ脱出を決意
マラケシュには当初3泊くらい必要だと思っていたが、宿も寒く、人もたくさんいてうるさいことから、マラケシュ脱出を決意する。先ほどの昼食が、そうさせたのかも知れない。そのために、バスターミナルまで行ってみることにする。もちろん徒歩である。
ところでモロッコの交通手段だが、鉄道と長距離バスであろう。バスの方は、国営のCTM(註18)と民営のバスがある。マラケシュではCTMのバスターミナルと民営のバスターミナルは違う場所にある。マラケシュの次には、砂漠の入口ワルザザートを考えていた。マラケシュからはCTMのバスだとかなりの早朝発らしく、民営バスで行くことになりそうだ。とりあえずは、城外にあるバスターミナルへ。(註18…Compagnie de Transport Marocains-Lignes Nationales。)

ドゥカラ門 これが民営バスターミナルであった

ドゥカラ門<上左>を抜けると、外側からはあまりバスが発着するような感じがしない建物<上右>があった。まるでショッピングセンターのような感じでもある。とりあえず中に入ると、バス会社のブースが並ぶ。時刻表なども表示があるが、あまり正確なものではなさそうだ。あまりにも本数が少ないからだ。そんな中、バス会社のチケット売りたちが「どこに行く?」と言い寄ってくる。時間が判然としないので、ワルザザートと答えると、午前か午後かと訊かれた。朝と答えると、あるブースに連れて行かれ、チケットを切られる。10:00発で65DHとのこと。チケットは、すべてアラビア文字で書かれている。わずかに読めるのは、料金の数字くらいであった。
よくわからないが、おそらく客引きにマージン込みという感じがする。もらったチケットには、Trans Almou Draaという文字があり、これがバス会社のことのようである。チケット売りによると、「ただし、9:30までには来ること」とのことであった。
再び道に迷う
素直に元来た道を戻ればいいものを、バスターミナル近くの、ドゥカラ門からまっすぐ行けば、スーク街を通り、なんとかフナ広場まで出られるとタカをくくっていた。ここを歩いていると、英語で声をかけられ、勝手に付いてくる男がいた。マラケシュは好きかとかそんな会話をするが、結局はどこかの店の者であろう。まっすぐ行かずに横道に入ったところで、「ここはフナ広場に行かないのではないか?」と訊くと、男は何も言わずに離れていった。
元の道をまっすぐ歩く。が、途中でわからなくなってきた。なかなかフナ広場に到達しないのである。が、途中で小学生に話しかけ、道を聞こうとすると、毛糸の帽子を被った青年が現れ、自分が案内するという。彼はほとんど英語が話せない。そのかわりフランス語は話せるかなどという。実は、大学では第二外国語にフランス語を選んだのである。といっても、最初に担当した講師がいきなり産休に入ってしまい、その後は代理によるつまらない授業が続き、ほとんど学習意欲をなくした2年間なのであった。そのために、こちらが話せるフランス語は、「フランス語は話せない」というフレーズと簡単な挨拶くらいなのである。

製材所 ロバの荷車 赤い通り クトゥビアの塔

青年は、スーベニールなどといっていて、結局は土産物屋に連れて行くのかなと思っていた。このあたりも職人街らしい。製材所<上左>のようなものがあったり、金物細工の店があったりした。ロバの荷車<上右中>も走っていた。が、マラケシュの雑然さともまた違う、未整備の通りであった。途中、赤い壁<上右中>で塗りつぶされたところも通る。案内でクトゥビアの塔<上右>が見えるところにさしかかる。青年が、クトゥビアを指さし、「あれだろ?」というように言葉をかけた。自分で選んだ道は恐ろしく間違っていて、いったん引き返し、うねるような道を反対側に曲がるというものだった。青年には、使いかけであったがあげても惜しくないようなものを渡して、お引き取り願った。
フナの喧噪
フナ広場に出た。ひどく喉が渇く。1時間以上も歩き続けていたせいだろう。昨日のジュース屋台に行ってみる。フナ広場の屋台には、すべて番号が付けられている。それさえ覚えておけば、同じ店に行けるのである。

屋台のグレープフルーツ・ジュース ジュース屋台の店主 準備中の屋台 猿回し

「やあ、俺を覚えているかい?」
「もちろん、今日は何を飲む?」
という会話で、ジュースを絞ってもらう。グレープフルーツを搾ってもらうが、こちらは料金は通常のオレンジジュースの倍の5DHとなる。マラケシュには町の至るところで、オレンジが実をつけているのだが、グレープフルーツ・ジュース<上左>となると珍しいのだろう。そのかわり、屋台の主人<上左中>の写真を撮る許可を得た。フナ広場の屋台<上右中>は、これから開店といったところであったが、大道芸人たちは大いに商売中であった。民族衣装を着けた男の後ろから回り込むと、彼は手に蛇を持っていたりする。子供の賭けボクシングを輪に入って覗く。ここで写真を撮るとモデル料(註19)を請求されてしまう。少し離れたところから、猿回し<上右>をこっそりと撮影する。この時は気づかれずにすんだ。(註19…モロッコで人物を撮す場合、モデル料の請求があると思った方がいいかも知れない。特に、フナ広場にいる、水売り、猿回し、蛇遣い、ボクシングなどは、このモデル料金で生活しているようなものなので、値段交渉して撮影した方が後腐れがないはず。観光化されたところでは、モデル料に注意である。また、モロッコの人たちは写真に撮られるのを嫌がる人も多数いることを付け加えておく。)
いったん宿に戻る。屋上に上がると相変わらずの晴天でオート・アトラス<下左>の山並みもくっきりと見えている。暗くなってから再びフナ広場へ。せっかくなので、屋台で昨日食べることのできなかったブロシェットでも試すこととしよう。ただし、バッグには一眼レフカメラを忍ばせてある。その前に、クトゥビアの塔<下左中、下右中>がライトアップされていたので、そちらに寄って、夜景を撮った。フナ広場に戻り駈けると、後ろから、たどたどしい日本語で「ハシシ、大麻、麻薬…」という声がかかった。こういうのはネパール以来(註20)だな。無視して適当な屋台選びとする。(註20…ネパールでは、政府公認?という、店があったり、「ハッパ、ハッパ」と声をかけてきた売人がやたらといた。もちろん、モロッコでも御法度のはずだが。ただし、このような声をかけられたのは、マラケシュだけであった。そのかわり、日本に帰国時にしっかりと検査させられてしまった。)

宿の屋上からオート・アトラスを望む ライトアップされたクトゥビアの塔 さらに近づいて 食事をした屋台

屋台は、業種ごとに店が固まっている。地元の人には味の違いがあるのだろうが、初めての者にはまるでわからない。声をかけてきた屋台<上右>は、すでに先客がいたのでまあ良しとしよう。ブロシェットだけが食べたかったのだが、パンがどかんと置かれ、サラダはどうだなどとやっているうちに、ここで夕食を済ませてしまってもいいかなという気になってきた。コーラも頼んで、皿<下左>が並ぶ。見た目は盛大だ。メインはブロシェット<下左中>。すでに金串に肉が刺されている。これを丹念に炭火であぶるのだ。串は6本来た。目の前には、各種ブロシェットが並び、その隣にはオリーブ、サラダの材料などが並んでいる。ブロシェットはミンチのケフタなどもあったのだが、普通の肉とする。炭火で焼かれているので、美味い。これに、ハリサ(註21)という唐辛子ベースの赤いソースにつけて食べるのである。ただし、この時間になると、フナ広場はかなり寒く、せっかく焼いた肉もみるみる冷えて来るような始末だった。ここの料金は、きちんと料金表が示されている。だが、精算の時に、「チップ」などといわれ、これはもちろん取り合わなかったものの、60DHという料金は高いと思う。(註21…Harissa。唐辛子ベースの甘辛いソース。)

パンとハリサ、サラダなど ブロシェットとオリーブ ゆで卵とジャガイモのサンドイッチ 夜のパティオ

別の屋台を覗く。茹でた卵を扱っているところでは、何かと思ったら、卵と茹でたジャガイモを挟んだモロッコパンによるサンドイッチ<上右中>なのであった。5DH払い、ひとつもらう。これは食べ歩いたが、最後はもてあまし、捨てた。冷えてきたので、宿に戻る前に、朝食のサロン・ド・テでミント茶を飲む。ポットだと、3杯以上はある。こちらは、6DHだった。宿に戻って、再び屋上から中庭<上右>を望む。明かりがついていて奇麗である。<Next→アトラス越えとガイドのモハメッド

カサブランカ入国 マラケシュ(1) アトラス越え ワルザザート郊外 タルーダントへ移動 タルーダント

アガディール エッサウィラ(1) エッサウィラ(2) サフィへ移動 サフィ アル・ジャディーダ カサブランカ帰国

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