陽の沈む国へ〜Ouarzazate Outskirts

ミント茶を作るベルベル人の男性

ワルザザート到着後にガイドのモハメッドに遭遇。タウリルトのカスバを案内され、この日は世界遺産アイト・ベン・ハッドゥに導かれることとなる。

2004/12/30(Thu:第6日)モハメッドのお導き<ワルザザート 晴れ>

ワルザザート郊外観光
ワルザザート9:00-(Taxi)-9:35アイト・ベン・ハッドゥ11:30-(Taxi)-11:45タムダクハ12:10-(Taxi)-12:40ティフルトゥト13:00-(Taxi)-13:30フィント14:45-(Taxi)-ワルザザート〜Hotel Amlal
*アイト・ベン・ハッドゥが世界遺産に登録されています。
モハメッド登場
このホテルには暖房がない。ベッドにはシーツの上に毛布が掛けられていたくらいである。眠る時にはさらに毛布を掛けた。やはり冷え込む。砂漠の一歩手前で、ものすごく乾燥しているらしく、放置していた石けん<下左>が見事に割れてしまっていた。寒々しく感じたのは、それだけではなく、隣の部屋に泊まっていたらしい子連れのフランス人夫婦が、怒鳴り合う声を聞いていたからかも知れない。ホテルは朝食料金込みではないが、面倒なので、ここで食べる。コンチネンタルスタイルの朝食<下中>で、モロッコらしく、オレンジジュースが付くが、茶を選ぶとここのはミント茶ではなく普通の紅茶であった。食べている間に、モハメッドが現れる。

1晩で割れてしまった石けん ホテルの朝食セット グランタクシーの後部座席から

すでに、タクシー<上右>をチャーターしているとのことで、ホテル前にやってきたのは、かなり古い型のメルセデスだった。これは、グランタクシー(註1)といい、都市間の移動などに使われる。チャーターするのも可能であるが、料金が高い。ちなみに、市内を流しているのは、プチタクシーと呼ばれ、日本でいうと、ヴィッツやマーチくらいの大きさのプジョーなどが使用される。こちらは、市外には出て行かないようである。(註1…基本的には、都市間移動で料金を人数割りして使う。運転手を含めて後ろ4人前3人は乗せるという。ほとんどは20年以上前のメルセデスだが、大型のシトロエンなどの場合もある。都市によって車体の色が塗り分けられている。グランタクシーの元締めのような人物がいて、その人に料金を払う。)
アイト・ベン・ハッドゥ
メルセデスは、マラケシュ方面に向けて出発。途中で右折し、川沿いに進むと、意外にもホテルなどが建ち並ぶところが見えてきた。この駐車場でタクシーはストップ。ここが、アイト・ベン・ハッドゥ<下左>の入口であった。アイト・ベン・ハッドゥは川を渡ったところにある。かつては川に人が渡れる石が置かれていたそうだが、撤去されていて、その代わりなんだろう、ロバや馬を引いた大人と子供がいた。

アイト・ベン・ハッドゥに到着 我々が乗った馬と持ち主 アイト・ベン・ハッドゥをバックに 城塞

自分のに乗れと、誰もがアピールする。モハメッドはその中から、丈夫そうな馬<上左中>を選び、その持ち主と合わせて3人乗りすることになった。渡るのはあっという間である。モハメッドが金を払っていたので、もちろん有料である。馬は乗って渡るが、ロバの場合は、客は背に乗るものの、持ち主はそのまま川に入り、ロバを引くことになる。川は茶色く泥の色に濁っていたが、靴を脱いで徒歩で渡りきれないこともなさそうだ。ただし、水はかなり冷たそうである。ちなみに、夏になると、川は枯れてしまうそうだが。河原を渡りきると、いよいよアイト・ベン・ハッドゥへの入口である。ここでモハメッドが記念撮影<上右中>をしてくれる。ガイドブックによると、この要塞化されたカスバ(クサル)には、数家族が住むだけとのことだったが、中にはきちんと土産物屋が軒を並べていた。中には、整備された通りがあり、これを上がっていくと、城塞<上右、下左>などがあり、絵はがきに出てきそうな光景となる。途中、ヨーロッパ系の女性が休んでいて、モハメッドが声をかけた。フランス語であった。

土壁の城塞 アイト・ベン・ハッドゥ全体を俯瞰する アイト・ベン・ハッドゥ最上部の砦 遙か遠くにオート・アトラスの山並み

ここから振り返ると、アイト・ベン・ハッドゥ全体<上左中>を俯瞰できるところだった。さらに上り詰めていくと、砦<上右中>のようなところに出て、アイト・ベン・ハッドゥの全貌が見下ろすことができる。ここが最上部だった。この反対側には、遠くオート・アトラス<上右>の山並みが見えた。ここでモハメッドの提案があった。
「この向こうには、別のカスバがある。ここアイト・ベン・ハッドゥは観光的で土産物屋なども多いが、そちらのカスバは決してそんなことはない。自然のままだ。そのカスバと、午後フィント(註2)のオアシスを回ってみないか。食事付きで」とのことである。ここで気になる料金だが、「アイト・ベン・ハッドゥと合わせて1000DH」とのこと。しばらく考えた。今そんなに持っていないかも知れない。まあ、両替すればどうということはない。グランタクシーのチャーターだけでも、アイト・ベン・ハッドゥまでだけで300DHくらいするらしい。また、フィントのオアシスも、同様の値段らしい。その他、プチタクシーとか、入場料とか、考えていくと、モハメッドの取り分もそれほど阿漕なものではなさそうなので、OKする。
こうして再び、遠くを眺めると、もう一つのカスバ<下左>の方をモハメッドが指さした。アイト・ベン・ハッドゥの周りは、何とも険しい地形<下左中>だった。(註2…Fint。ベルベル人の村。)

タムダクハのカスバ方面 アイト・ベン・ハッドゥ周辺 テラスでの記念撮影 土産物屋のテラスからの眺め

帰りは別の道を通り河原に出る。その途中、モハメッドはまたしても、土産物屋に入り、テラスで写真を撮れという。もちろん、何も購入はしていない。ここでも記念撮影<上右中>をしてくれるモハメッドであった。自分もテラスから建物群<上右>を撮影する。河原に出る手前に、やはり土産物屋があった。もちろんここには入らなかったが、モハメッドは知り合いと挨拶をはじめ、こちらも握手を求められた。この土産物屋は、やはり土壁の家屋<下左>で、正面には何かのシンボル<下左中>を示してあった。これもベルベルの象徴のひとつだろうか。ここを降りていくと、生地の店があり、色鮮やかな服<下右中>が展示してあった。川を同じ馬で渡り、先ほどのタクシーは帰してしまったので、別の車を呼ぶまでお茶でも飲んでいてくれとのことで、レストランのテラスで休憩のようになる。モハメッドは、大判のノート<下右>を取り出し、ツアーのことを書いてくれという。しかも、日本語で。「わたしは、土産物屋に連れて行って、買わせたりしないだろう。いい人なんだと書いてくれ」オッサン、自分で「いい人」って言うか(苦笑)。これを日本人の旅行者に見せるのだろう。

土産物屋 壁に刻まれたシンボル 色とりどりの服 このノートにモハメッドへの謝辞がびっしりである

この時は、まだいささか懐疑的だったので、モハメッドに出会ってからこれまでの行動とこれからの行動を具体的に値段も交えて記述した。どうせ彼は読むことはできない。ただし数字は漢字にした。ノートには、英語、フランス語、おそらくスペイン語の感想文もあった。中には、どこの文字かわからないものまであった。署名は「ヒョウちゃん」としてあるので、それを見たら、モハメッドなのだと思って頂きたい。それにしても、天気がよく、アイト・ベン・ハッドゥを歩き回っただけで、汗ばんでいた。思わず上着を脱ぐ。
タムダクハのカスバ
モハメッドの呼んだのは、別のグランタクシーだった。フィントのオアシスへは、ピステ(註3)と呼ばれる先の尖った石のごろごろする道を行くらしいので、4WDでも呼ぶのかと思ったが、朝と同じような、メルセデスだった。ドライバーは、レイバンのサングラスをした、髭を蓄えた渋い中年男性だった。(註3…やや黒みのある岩の広がる地域。岩は、先が尖っているために、クルマはパンクしやすいという。)

橋のない川を渡る カスバ方面を望む タムダクハのカスバ 日干し煉瓦造り

これからモハメッドの言っていた、観光化されていないカスバに行く。アイト・ベン・ハッドゥの先である。道を進むと、かつては橋が架かっていた場所らしいが、今は壊れてなくなっている箇所があった。これをどうするかというと、そのまま川<上左>を横切るのである。ルートが決まっているのだろうが、エンストなどせず、難なく渡りきるメルセデスであった。カスバに到着する手前の高台<上左中>で、写真を撮る。しばらく進むと、例のカスバに到着。ここは、タムダクハという村らしい。カスバ<上右中>に入っていくと、住人であろう若者が、日干し煉瓦<上右>を作っているところに遭遇した。その日干し煉瓦(註4)だけで、かなり高い建物まで作っている模様である。(註4…粘土質の土を乾燥させたもの。建材として使用される。もちろん、乾燥地域に限られる。ただし、ここの日干し煉瓦はかなり大きく、頑丈そうであった。日干し煉瓦でできた遺産なども世界各地にあるが、ここを地震が襲うと悲惨なことになる。イランのアルゲ・バムなどはその例。)

日干し煉瓦のツインタワー 畑の中で記念撮影 モスクらしい建物の門 カスバの内部

ここは、裏の方が絵になるところらしく、モハメッドはカスバを通り過ぎ、畑の中に入っていく。すると、ツインタワー<上左>のような日干し煉瓦造りの建物が目の前にあった。ここでモハメッドが気を利かせての記念撮影<上左中>。再び畑の中から表に回る。モハメッドが観光的ではないと言っただけあって、まったく観光客もいない。もちろん、土産物屋もなく、我々についてくるような住民もいなかった。モスクなのだろうか、大きな門<上右中>があるが、この中には入れないようである。壁に囲まれたところなどは、よく見えないので、階段のあるところに登って、内部<上右>を覗かせてくれたりする。
ティフルトゥトのカスバ
再びグランタクシーで、川を渡る。渡りきると、再びアイト・ベン・ハッドゥ近くになり、路上にいた男性が乗せてくれという身振りをしたが、これはチャーターしているからか、ドライバーはちょっとした合図を送り、断った模様。このように、バスの入らないところでは、グランタクシーなどは乗り合いバスのような使われ方もするようである。そのかわり、知り合いを見つけては車を止めて、ちょっとしたおしゃべりなどもしたりする。メルセデスはワルザザート方面に向かうが、途中からダート道に入り、その近くのカスバらしいところでまた止まる。ここは、ティフルトゥトのカスバ(註5)で、タウリルトのカスバ同様、グラウイが所有していたところである。現在はホテルとレストランになっている。入口には男性がいて、モハメッドが料金を払う。チケットをくれると、10DHと印刷されていた。このカスバには、モハメッドの顔は利かない模様である。(註5…公開されているのは、この建物のみ。こちらはカスバといっても、グラウイが居住していた要塞化した館なのではなかろうか。住民は周辺にはいるだろうが、この中には生活の匂いがしなかった。)

カスバの内部 レストランともなる模様 建物の屋上 要塞化したカスバ

入っていくと、外観からは想像もできないような、アラブ風の空間<上左>が目に入る。ここがレストラン<上左中>になっているようだ。昼食なのかなと思ったが、料理の匂いもしないし、客がいない。モハメッドは、階段を上がり、屋上<上右中、上右>に案内した。ここも、ひとつのオアシスなんだろうか、近くに川が流れ、奇麗な風景<下左、下左中>である。ここには、大きな鳥の巣があった。コウノトリだろうか。鳥の気配は全くなかったが、近づくと獣臭い匂いがした。下に降りて、門<下右中>を通りここをあとにする。

いくつかの建物が点在する 川が流れ潤う カスバの出入り口 ピステの途中からフィント方面を望む

フィントのオアシス
ティフルトゥトのカスバからフィントのオアシスに向かう。ピステ<上右>の道は、確かに、大きめの砂利という感じだが、4WDとか、堅牢なメルセデスでもなくても、ゆっくりであれば走れるように思う。事実、フィントの方からも、おそらくはレンタカーか、ヨーロッパ本国からはるばるやってきたと思われる、旅行者の小型セダンがすれ違ったほどである。出しているスピードは、はっきりとはわからなかったが、30Km/h未満ではなかったか。
フィントのオアシスへは、小さな川を越えていく。もちろん、橋は架かってなく、ここでも直接乗り入れるのであった。オアシスの手前で、ここの住人らしい男たちが数名、車を追うように歩いてきた。メルセデスを降り、集落に向かって歩いていくが、その中の一人が何をするわけでもなく、あとを追ってきていた。あたりは荒涼とした山<下左>が迫る。

フィント近くの山 集落に向かう川に置かれた石 洗濯をする女性 記念撮影

集落の手前で浅い川となるが、ここには渡るための置き石<上左中>があった。50mほど離れたあたりでは、女性たちが洗濯<上右中>をしていた。集落に入る。待たしても適当なところで、モハメッドがカメラを構え記念撮影<上右>である。ここも、土壁の家ばかりである。そういう家の前で、男性<下左、下左中>が粘土をこねて、素焼きの器を作っていた。すかさず写真に収めると、モハメッドは5DHを取り出し、こちらにチップとして渡すように指示した。ここはベルベル人の村らしいが、ベルベル人の中には、写真を嫌う人もかなり多いらしい。男性が作っていたのは、瓶のようなものだったが、土産用の小物も作るらしく、すでにできあがった作品の中から、モハメッドがひとつ選ぶようにいう。タジン鍋のミニチュアを選ぶ。これも有料のようだが、モハメッドが払い、新聞にくるまれた土産をバッグにしまう。

瓶を天日干しする男性 粘土をこねる男性 ミント茶を沸かすベルベルの男性 ベルベル男性と記念撮影

次に訪れたのは、おそらく観光用の食堂のようなところだった。モハメッドがここで食事にするか、ワルザザートに戻って食事にするか訊くが、ここでよいとする。青い民族衣装(註6)に身を包んだ男性<上右中>が現れ、茶を沸かす。もちろんミント茶である。男性はこぶし大くらいの白い塊を手にしていた。砂糖である。こんなものをポットに入れ込むのである。ここでもすかさず、モハメッドがカメラを渡せとアピールし、記念撮影<上右>をしてくれた。ここではチップは不要である。男性は、ミント茶を「ベルベル・ウィスキー」と表現した。(註6…藍染めの青い民族衣装は、トゥアレグ族のものといわれている。モロッコにもトゥアレグはいて、南モロッコに多い。ただし、この男性は自らをトゥアレグといったわけではなかった。)
簡単な昼食

ベルベルのパン デーツ初体験 塩がまぶされたピーナッツ

ここでの食事は、すでに昼食時間を過ぎてしまったらしく、ベルベルのパン<上左>と乾燥させたナツメヤシの実<上中>(註7)皮付きのピーナッツ<上右>と茶である。パンは、インドのチャパティのように薄く、直径が50cmもあるような丸いものだった。これをちぎりながら、ナッツやデーツをつまむ。モロッコもイスラム圏なので、右手だけで食事(註8)をするのかと思っていたが、けっこうモロッコ人は不浄なはずの左手もよく使っていることがわかった。ナッツは、塩がまぶされ薄皮も付いていたが、滋味があるというか美味い。デーツは初めて食べたが、ほんのりと甘く、けっこう癖になりそうな味である。種があり、その周囲を食べることになる。茶を飲みつつ、食べていると、ドライバーが顔を出して、食事に加わった。(註7…Dates。デーツと呼ばれる。甘みがあり美味い。かつては乾燥地域の主食の座であったらしい。ちなみに、ナツメヤシの和名としては棕櫚となる。)(註8…左手は排泄後に使用するため。基本的にものを素手で食べるヒンドゥ文化圏では、厳格に守られていると思う。)

集落内の住居 土壁だらけの集落 家畜のロバ 絵になる集落

食事がすみ、再び集落内<上左、上左中、上右中、上右>を回る。もう十分だ。ワルザザートへ帰ろう。自分の翌日以降の予定だが、やはり砂漠ではなく、海岸部に出たくなった。次に考えているのは、タルーダントというところだが、そのことを伝えると、そちらへのバスをターミナルに寄って、調べるという。さすがに疲れたのか、ピステからワルザザートまではかなり眠気が強くなった。
精算とバス手配
ワルザザートのバスターミナルは、民営バスとCTMバスの二つがある。まずは、CTMに立ち寄る。自分はクルマに残って、モハメッドが調べてくる。モハメッドよりは英語がわかるドライバーによると、CTMバスでは、夜行となるらしい。やはりこちらでは、午前便がなかった。モハメッドによると、民営バスなら、午前便があり、自分はホテルで休んで、モハメッドがチケットを買ってくるということである。その言葉に甘える。
息せき切って戻ってきたモハメッドによると、バスの時間が違っていたようで、確かめに来て欲しいようだった。はじめは、ホテルのフロントを介して、説明するのかと思ったら、タクシーを呼び、これでバスターミナルまで行く。結局は、11:30という、昼の便となり、こちらは65DHであった。SATASという、モロッコの民営バスの中でも、大手の部類のようだ。「自分がここまで乗ってきたバスは、とても狭くて立っている人が何人もいた」と話す。モハメッドは、「いいバスだ」と言い、「インシャラー」(註9)と付け加えた。(註9…Inshallah。直訳すれば「神が望むならば」。「たぶん」「おそらく」に近いニュアンス。アラビア語では頻繁に使われる。)
モハメッドには、約束の金額プラス、翌日のバス代を払う。これで持っていたディルハムがあらかたなくなってしまった。翌日あらためて両替することになりそうだ。
幸福な夕食
かなり疲れていたが、夕食はまたしても、ムーニアに行く。トマト・サラダ<下左>と、ブロシェット、水のボトル。ブロシェットは、肉を指定できるが、「チキン?」と訊かれ、その通りにする。トマトはこのシーズンそれほど赤くない。が、味はよかった。サラダとともにパンが持ってこられる。もちろん、モロッコパン<下中>だが、ここでは気前よく2個。ここでのチキン・ブロシェット<下右>は、客に提供される時には、串を抜かれる。だが、これも大量の短冊形ポテトが付き、美味かった。店内なので、マラケシュの屋台のように、肉が極端に冷えるということもなく美味しく頂けた。また最後にコーヒーを頼み、料金は昨日と同じ、59DHであった。食事の間、日本語のできる主人はコーランを読んでいたようであった。料金を払い、「食事がとても美味しかった」「また来てくださいよ」「いつになるかわからないけどね」と、簡単な日本語の会話をして、戻る。

トマト・サラダ モロッコパン チキン・ブロシェット

まだ、エールフランスへのリコンファームをしていない。もともと、エールフランスは、リコンファーム不要といわれているが、日本・パリ間は不要であっても、カサブランカ・パリ間は、不意のストライキなどもあるらしく、ガイドブックによれば、リコンファームをすることとなっていた。今更、テレフォンカードを買うのも、後々の使いでが困るが、モロッコでは、各地でテレブティック(註10)というものを見かける。ここに行けば、コインで電話もできるのだろう。明日は金曜日なので、これを逃すと、エールフランスの営業所も閉まってしまい、リコンファームが当分先送りとなる。(註10…Teleboutique。モロッコには公衆電話もあるが、こちらの方が使い勝手がよいかも知れない。もちろん、モロッコでも携帯電話はかなり普及している。)
また手持ちの現金も、タルーダント滞在するにしてはちょっと寂しい状況である。幸い、バスの出発が昼近くなので、それまでに銀行に行けば、いいと思った。銀行はワルザザートのメインストリートだけでも、かなりの数があった。どこも、両替の表示がされていて、こちらは簡単にすみそうだ。<Next→モロッコ南部へ

カサブランカ入国 マラケシュ(1) マラケシュ(2) アトラス越え タルーダントへ移動 タルーダント

アガディール エッサウィラ(1) エッサウィラ(2) サフィへ移動 サフィ アル・ジャディーダ カサブランカ帰国

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