陽の沈む国へ〜Ouarzazate to Taroudant

タルーダントまで82km

ワルザザートではモハメッドという男性の誘いで2日間を言われるままに、観光に費やした。ここからは砂漠へは向かわず、方向転換し、大西洋岸へ。その手前にあるタルーダントという古都がこの日の目的地である。

2004/12/24(Fri:第7日)モロッコ南部へ<ワルザザート 晴れ タルーダント 晴れ>

ワルザザート民営バスターミナル11:20-(SATAS)-17:30タルーダント民営バスターミナル〜Taroudant Hotel
まずは両替だ
静かなホテルだが、客は数組いるらしい。しかし、朝食<下左>に降りて行くと、見知らぬカップルが入ってきて朝食を食べている。この人たちはどうやら、移動の途中で立ち寄ったらしく、食べ終わると、フロントで精算をしてすぐに出て行った。。

前日とまったく同じ内容 モロッコでの最高額面

出発がほとんど昼なので、まだチェックアウトせずに、銀行に行く。前に3人ほど並ぶという状態で、10分程度で自分に番が回ってきた。ここでは、試しに、100USドルのT/Cを両替してみる。差し出された紙には、日本の居住地まで書くが、なぜかパスポートチェックはなしで、ディルハムに交換してくれた。記入事項に、滞在ホテルなどを書くためだろうか。ちなみに、モロッコで宿泊する場合は、パスポートチェックが必要で、パスポート番号から、入国時にスタンプに押された番号までを書く必要がある。気の利いたホテルでは、いったんパスポートを預かり、フロントの係が代筆してくれることが多い。戻ってきた金額は、799.8DH。本来の交換率は、1USD=8.105DHとなるが、その差額は、T/C1枚分の手数料らしい。モロッコでは、現金もT/Cも交換率は同じなので、手数料がいらない分現金の方が、得なのかも知れない。とりあえず、これで数日はしのげる。ここでは、200DH紙幣<上右>を渡された。
テレブティック
次には、テレブティック<下左>に行って、エールフランスにリコンファームである。テレブティックは、町のどこにでもあると考えてよいだろう。受付のようなところに、係の女性が一人いた。電話は、3台分くらいのボックスが並ぶ。一人が電話中で、その横の電話を使おうとすると、そこは使用できないという。今話している電話を待てとのこと。使えないというのはテレフォンカード専用なのかも知れない。ようやく電話が空く。電話をかける手順は、日本と同様で、コインを入れて発信音のあと、番号をプッシュする。エールフランスのカサブランカ・オフィスにかける。すぐにつながったが、テープが流れるのみで、2DH無駄にする。ではと、モハメッド5世空港の予約係にかけてみる。が、つながらない。どういうことかと思ったが、どうも市外通話には、2DH未満では、通話できない模様で、最初から2DH入れると、つながった。「アロー」という声。リコンファームのことをいうと、必要ないとのことであった。まったく、いい加減なガイドブックである。だが、これでかなり気が楽になった。そのあと、少し通り<下左中>をぶらつき、写真などを撮る。昼間のワルザザート市内は見るぺきものもないが、モスクにも立ち寄ってみた。ミナレット<下右中>はここでも四角柱である。

テレブティック ワルザザートのメインストリート モスクのミナレット Hotel Amlal

ホテル<上右>に戻り、チェックアウト。1泊100DH、朝食が21DHなので、242DH。その他になにがしかのサービス料などといわれ、250DH払う。ガイドブックによれば、VISAのクレジットカードが使えるとのことだったが、使えないとのこと。まったく、ガイドブックに振り回されたことになる。
荷物を持って、モスクの前で流しのタクシーを拾う。数台通り過ぎて、ようやく止まった。先客は2名で、向かう方面が同じだったので、乗せてくれた模様。バスターミナルまでは、5DHだった。運ちゃんは「どこに行くんだ?」と聞いてくる。
再びモハメッド登場
サタスのチケット売り場前で反応を待ったが、特に何も言われず、ここでも案内係が、声をかけてきた。行き先を告げると、バスまで案内される。モハメッドによると、「たぶんいいバスだ。インシャラー」とのことであった。が、2日前のバスとそれほどのかわりはなかった。荷物係に荷物を預ける。料金は5DHと、ぐっと安くなった。やはりマラケシュでは、観光客料金があるようだ。案内の男は、中程から右側の席に連れていく。ここでは料金の請求はなく、「タバコを1本くれ」といわれるだけですんだ。
バスの乗客は、まばらであった。そんな中、前から近づいてくる男があった。顔を上げると、それは今までと違う服を着たモハメッドであった。一瞬、このままタルーダントに行って、ガイドを続ける気なのかなとも思ってしまったが、やがて、ワルザザートの町で初日に見かけた日本人男性を連れてきた。通訳にさせられてしまったようだ。
その日本人男性によると、ザゴラまでのバスの時刻を知りたいとのことだった。それをモハメッドに伝えると、「今日か?」となってしまう。
「あまり通じないようですね」「そうなんですよ。英語はあまりできない(註1)けど」ということで、二人とはここでお別れ。(註1…モハメッドは、実は話すことはできても、アルファベットが書けないということが、前の日に判明していた。アドレスを教えてもらったのだが、宿のフロント氏に代筆してもらっていた。こういう人は、このあとにも登場してしまう。)
SATASのバス
バスの出発時間は、11:30のはずだったが、かなりの客が集まったらしく、10分早く出発(註2)した。意外と早く着くかも知れないなどと思っていたが、バスがターミナルから出て、次の角を曲がると、バス待ちの人がいた。またしばらく走ると、荷物を持った客がいて、これを丁寧に拾っていく。空席がなくても、止まっては乗せていくようである。いつの間にか自分の隣にも、若い男性が座っているほどである。(註2…民営バスは、乗客が集まると、時間前でも出発するというケース。やはり余裕を持って行動したい。出発の際には、運転手がクラクションを鳴らしつつ、徐行でエンジンを吹かしたりするので、これが合図となって、散らばっていた乗客も飛び乗る。)
モロッコの道路は、路肩が下がっているのか、右側通行のモロッコでは、バスは右側が傾いたようにして走っている。タイヤが方減りしないのかとも思うが。車体の方はいいとして、右窓側に座っている身としては、右側ばかりに荷重がかかり、長距離の疲れというよりも、身体的に負担がかかった。

砂礫の向こうにうっすらとオート・アトラス 軽い山道 タゼナクトで小休止 バス周辺をうろつく

やがてバスは、アイト・ベン・ハッドゥへの分岐を過ぎて、アガディール(註3)方面に。このあたりは平坦で、砂礫<上左>が広がる。しばらくして、アップダウンが続くがさほどの山道<上左中>ではなかった。雪深くもない。13:00頃、小休止<上右中>となり、30分間のストップ。近くの食堂に入り、トイレを借りた。南京錠がかかっていたが、快く開けてくれた。そこで、ミント茶を頼む。ポットではなく、大きめのグラスに注がれた茶は、3DHであった。ただ、茶を飲んだだけなのに、店の客はこちらの去り際に、手を振ったりしていた。かなり人当たりがいいと思った。バスがいつ出発するかわからないので、バスの周り<上右>にいた。一人の少年と、眼が合い、少し話をする。それによると、ここは、タゼナクト<下左>というところで、サフランが有名らしい。タルーダント(註4)までの所要時間を訊くと、3時間とのことだった。(註3…Agadir。南部モロッコ最大の都市。大西洋岸に面していて、リゾートホテルが展開する。1960年の地震で市街が壊滅したため、メディナがほとんどない。)(註4…Taroudant。アガディールから内陸部に80kmほど入った、人口3万の小都市。16世紀には、サアード朝の最初の首都となっている。)

タゼナクトの町 タルーダントまで220km わずかに雪が残る斜面 荒涼とした道が続く

だが、実際には、4時間かかった。何しろ、頻繁に止まるのである。町の中心にもちろんバスは止まるが、そこから100m行ったくらいのところでも、客があれば乗せるのである。ある町では、町の中心に行くまでに、1回乗降があり、中心でまた乗降し、引き返してまた同じところでも、乗降するほどである。ひとつの小さな町でも、3〜4回は、乗降があるのだ。正確に数えたわけではないが、タルーダントまで合計すると、少なくとも、50回は、乗降があったはずだ。もしかすると、100回を越えていたのかも知れない。また、都市の間にも、バスを待つ人がいて、これも丁寧に拾っていく。タゼナクトを出発すると、再び山道となる。キロポスト<上左中>によると、まだタルーダントまでは200km以上あることになる。アンチ・アトラス越え<上右中、上右>となる。だが、低いところを進んでいるのだろうか、さほどのアップダウンもなく、雪などもわずかに残る程度であった。
また、通路を挟んだ隣の席では、幼児連れの家族が乗り込んでいたが、気分が悪くなったらしく、戻していた。すかさず助手が薄手の黒いエチケット袋(ビニール製)を渡す。外に目をやると、乾いた風景だったが、ところどころにバスで配られる、エチケット袋が吹きだまっているではないか。
ようやく到着、ホテルにチェックイン
ようやくのことで、タルーダントに到着。まだ幸い、日は暮れていなかった。タルーダントのバスターミナルは、旧市街を出たすぐのところにある。中心部には、徒歩で向かった。あたりをつけておいたのは、タルーダント・オテルである。途中で、年配の男性に道を聞くと、もう少し行ったところだと、フランス語ながら、身振りをつけて教えてもらった。
タルーダント・オテルに到着。1泊100DHであるという。部屋を見せてもらい、ここに決定。ここも、中庭のあるホテルで、それを囲むように客室が作られている。自分の部屋は、日本風にいうと二階である。部屋は、ダブルベッド<下左>洋式トイレ<下左中>シャワー<下右中>という標準的なシングルである。ただし、今までと違うところは、ライティングデスク<下右>があり、ここで書き物ができるというメリットがあった。適当に荷物整理をして、夕食に出る。

ダブルベッド 洋式トイレ お湯はふんだんに出た 使用しなかったタンスとライティングデスク

ホテルのすぐ前が、アッサラーグ広場となる。タルーダントの中心部であり、レストランやカフェが並んでいた。だが、ほとんど観光客向けの店はなく、地元の男性が輪になって、茶を飲んでいるようなところだった。その中のひとつRoudaniというホテル兼業のレストランに入る。
フランス語のメニューを持ってきたが、なぜか値段が書かれていない。それほどのことはないだろうと、ほとんど定番化してしまった、ミックスサラダ<下左>チキンタジン<下中>、水のボトルを頼む。水は、大きなボトルしかないそうで、これは残りを持ち帰ることにしよう。サラダは至って普通だったが、タジンは、かなりスパイスが効いていた。とはいえ、さほど刺激があるわけでもなかった。ここで苦労するのは、猫がやってくることで、うっかりしていると、食べ物をかっさらわれてしまいそうである。タジンを食べ終わると、コーヒーを注文する。それと入れ替わりに、ミニバナナ、大小のオレンジという、フルーツの皿<下右>が持ってこられる。注文をしていないと尋ねると、タジンに付くのだそうである。これで、50DHであった。残った水のボトルと食べ残しのフルーツを部屋に持ち帰る。

ミックスサラダ チキンタジン コーヒーとフルーツ

部屋に戻る。破綻の見られない部屋だと思ったが、シャワーのノズルが一部割れていて、お湯がとんでもない方向に噴き出した。幸い、床が重厚な石造りなので、水があふれても、下の階に水漏れするということはなさそうである。
この日は大晦日である。成田で買ってきた免税のスコッチは、昨日で切れてしまっていた。イスラム圏に大晦日(註5)もないようなものだと思い、そのまま横になって眠る。下の階のバーでは、大変賑わっている模様。我々が使っている太陽暦ではこの日で年が変わるため、もしかすると、旅行者が羽を伸ばしているのかも知れないと思った。(註5…イスラム暦では、もちろん、12月31日も1月1日も特別な日ではない。)Next→古都タルーダント

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