陽の沈む国へ〜Essaouira(1)

エッサウィラの漁港

大西洋岸のアガディールから、旧市街が世界遺産に登録されているエッサウィラへ。またもや美味しいシーフードが期待できる。

2005/01/03(Mon:第10日)港町エッサウィラ<アガディール 晴れ エッサウィラ 晴れ>

アガディール・バスターミナル8:10-(CTM)-11:15エッサウィラ・バスターミナル〜Hotel Souiri(エッサウィラ市内観光)
*エッサウィラ旧市街が世界遺産に登録されています。
快適CTMバス
まだ暗い中、自力で起きる。バスターミナルまでは、徒歩数分といったところなので、まったく焦る必要がないが、7時を過ぎても、モーニングコールの電話は鳴らなかった。15分を過ぎたあたりで、ようやく電話が鳴り、対応の声はひたすら謝っていた。フロントにいた英語のうまいオヤジ顔(註1)になりかけの青年だろう。人は良さそうだ。そのままチェックアウト。180DHの現金払いである。(註1…モロッコ人男性としては色白で髭がかなり濃かった。ヨーロッパ人種の血が入っているのかも知れない。アラブ顔ではなかった。)
荷物を持ってバス乗り場へ。CTMバスでも、荷物(註2)には料金がかかる。どうするのかなと思っていたら、あとからやって来た外国人旅行者が、窓口で荷物を預けて料金を支払っているので、これを真似た。料金は5DHかかり、荷物用のチケットをやはりプリンターで発行された。まだ朝食を食べていないが、近くのカフェで、袋入りの菓子パン<下左>2個を購入する。3DH。これはバスの中で食べた。バス<下左中>がやってくる。今までの民営バスに比べると、各段の奇麗さである。自分の荷物が車体に運ばれるのを確認して、席につくが、こちらも奇麗である。このバスにはもちろん空調設備もあるが、この時期は特に温風を効かせることはなかった。ただし、座席はリクライニングしなかった。また、乗務員は、運転手一人で、助手のたぐいはいない。(註2…CTMでは荷物は係がすべて扱う。身軽になれるので楽だ。)

朝食代わりの菓子パン CTMバス 大西洋沿岸 休憩した町は閑散としていた

バスは、10分遅くスタートし、大西洋岸<上右中>を北上する。席は空席が目立つが、これを埋めようとすることはない。やがて、海から離れ、丘陵地帯を走り出す。1時間おきくらいに、2箇所休憩があった。最初の休憩地<上右>(地名不明)では、カフェでモロッコ人は茶を飲んだり、軽食を食べたりしている。これを見ていると、ミント茶のポットには、石けんくらいの塊が添えられていて、どうやら砂糖(註3)のようだった。これが、人によっては3つくらいある。これをポットに入れ、溶かしつつ、少しグラスに入れては、味を見て、これをまたポットに戻すことを数回繰り返している。この人の砂糖はすべてポットに飲み込まれていった。(註3…フィントのオアシスでも卵形の砂糖の塊を入れられている。ミント茶には恐ろしいくらいの砂糖が含まれているが、慣れるとかなり美味い。)
港町エッサウィラ
丘陵地帯を下ると、開けた町が近づいてきた。エッサウィラである。バスターミナルに到着する。荷物を受け取るには、荷物用のチケットを提示してこれと交換することになる。バスを降りると、東洋顔の50代くらいの男性が「ジャパニーズ?」と尋ねる。「こんにちは」といっておく。どうやら日本人旅行者(註4)のようだった。荷物を受け取り歩き出すと、すかさず、宿の客引きが寄ってきた。だが、泊まるところはあらかじめ決めてあるので、そのまま歩き出す。が、バスターミナルの入口にはタクシーは待機していなかった。同じバスに乗っていたモロッコ人の女性に、メディナの位置を訊くが、あまり英語は話せなかったようである。大通りに出て、プチタクシーをつかまえる。(註4…カサブランカやマラケシュではかなり見かけるが、タルーダントとアガディールでは遭遇しなかった。エッサウィラではこの人を含め数名の日本人がいた。)
すでに先客が乗っていたが、エッサウィラでも、相乗りは普通のことらしい。運転手にホテル名を告げるが、結局は、ムハンマド5世通りのどん詰まりで車を止める。この中だという。料金は、5DH。なんのことはない、旧市街には、自動車が入れなかったのである。
ガイドブックを頼りに、オテル・スウィリを探す。旧市街は城壁で取り囲まれ、建物はほとんどが白い壁である。マラケシュ以上に雰囲気がよい。ここには何かあると感じさせるところである。ホテルは、歩いて10分もかからなかった。フロントには、スカーフを被った高校生くらいの女性がいたが、英語が話せる。泊まりたい旨を告げると、鍵を用意し、部屋を見せてくれた。多少古びていたが、OKする。ここも、1泊180DHとなるが、カード払いは、5%割増料金だそうである。

セミダブルのベッド 洋式トイレ シャワー ステンドグラス風の窓

ここには2泊する予定。セミダブルベッド<上左>がひとつ。洋式トイレ<上左中>シャワー<上右中>、洗面台はもちろん部屋付きである。色つきのガラスがはめ込まれた窓<上右>を開けると、通り<下左>が見えた。ここを開けておくと涼しくなる。早速荷物を整理し、たまっていた洗濯物も洗う。今までの宿には、初日のカサブランカを除いて、なぜかハンガーというものがなく、かなり苦労したが、ここには用意されているので、干すのに重宝した。そのまま荷物を取り出していると、出てきたのが、テレビのリモコンだった。アガディールのホテルのものをそのまま持ってきてしまったらしい。しばらく考えたが、観光優先にして、これは日本から送ってみようと思った。
港へ

部屋から眺めた通り 宿の前の通り 海に面した城壁 北側の通り

荷物を置いてすぐに町に出る。宿は、幅5メートル程度の路地<上左中>にあったが、この通りは、規模の割に賑やかである。通りに出た途端に、荷車に積まれた蟹を少年が運んでいるのを目撃した。これは海産物に期待できそうだ。適当なレストランがあったら、昼食にしたかったが、見つけられない。というか、すべてが物珍しいので、そのまま歩いてしまったという感じである。宿からは、町の北側の城壁<上右中>沿いに歩く。このあたりは、寄せ木細工の店が並ぶが通り<上右>はかなりの狭さである。3メートルもないだろう。

ムーレイ・エル・ハッサン広場 魚を選別する漁師たち 海門 漁船が待機している

結局港まで出てしまう。旧市街は、城壁に囲まれているが、港へはムーレイ・エル・ハッサン広場<上左>から行くことができ、この広場は城壁から解放されたような形である。その港へは、海門というものがあり、メディナからは必ずこの下を通っていかなければならない。このあたりですでに漁師たち<上左中>が、魚を選別している場面が見られる。海門<上右中>をくぐる。広がるのは漁港<上右>の風景。魚が腐ったような匂いも漂う。港は、Uの字型になっていて、Uの内側に船が並び、外側には造船所<下左、下左中>などがあった。このあたりでも、次々に魚が荷車で運び出されてくる。また、市場を通さずに、漁師が直接魚を売っている場面も目撃できた。もっとも、あまり大きな魚ではなかったが。

モロッコの漁船、修理中か建造中か かなり陸に上がった船がある 魚の屋台 魚を販売、さらに屋内の市場もあり

海門の手前に、魚を食べさせる屋台街<上右中>が並び、その先には魚市場<上右>があった。このあたりから、海鳥がかなり目立つ。海門手前のあたりでは、漁師たちが魚を選別しているようである。このあたりにも、レストランがあったが、あまりにも魚臭いので、違うところにしようと思い、再び旧市街へ。
やはりシーフードの昼食

猫の多い広場 飲み物とともに運ばれたもの オリーブ 野菜が埋め尽くしたイカのフライ

適当に歩いていると、ちょっとした広場<上左>があり、2軒のレストランのうちの1軒に入る。グリーンサラダとイカのフライにコーラ<上左中>。まずパンが運ばれ、つまみとしてオリーブ<上右中>も運ばれる。モロッコでも、南欧と同じように、オリーブを食べるのがありがたい。味はまったく変わらない。ただし、サラダとイカはひとつの皿で持ってこられた。野菜が埋め尽くし、イカのフライ<上右>が見えないくらいであった。イカ自体は、さくさくしていて柔らかかった。新鮮だからだろう。料金は71DH。テラスの席しかないレストランだったが、漂ってくるのは、羊臭い香りだった。また、ここにはたくさん猫がいるので、注意が必要だろう。
北稜堡のスカラ
エッサウィラの博物館の午後の開始までまだ時間があるので、メディナにある、スカラ(註5)と呼ばれる、城塞に行ってみる。スカラは海に面していて、海からの攻撃を防ぐものであった。スカラは二つあり、このメディナ北側と海門近くにある。まずは、近いところで、北稜堡のスカラである。(註5…Skala。)

スカラへと続くスロープ スカラの大砲 荒れた海 スカラでの記念撮影

ここはスロープ<上左>を上がっていく。その下は、倉庫街のようになっていたが、倉庫を利用して店舗なども並んでいた。スカラは、海に面して大砲<上左中>がずらりと並ぶ。昨年メキシコを旅し、スペイン軍の作った海沿いの砦を見たが、規模の違いに驚かされる。こちらの方が壮観である。考えてみれば、スペイン軍対先住民に対してよりも、アラブ同士の戦い、または、かつて大西洋岸を支配していたポルトガルなどに対しての守備がいっそう強固なものであることはわかる。ここから海<上右中>を眺めると、かなりの荒波であることがわかる。大砲のところに、デジカメを置きセルフの記念撮影<上右>をする。

スカラの展望台 海に向けられた大砲 もう一方のスロープ スカラの下の岩礁

この北稜堡のスカラは、かつてはポルトガル軍が作ったものであるが、その後、アラウィー朝によって、大砲などが設置されたらしい。スカラの隣には展望台<上左>がある。しかし、ここからの眺めもスカラからのものととあまり違いがない。大砲が置かれたところには、銃丸<上左中>があり、ここから海が見える。ここで写真を撮っていると、地元の青年が、「ここで写真を撮るのは素晴らしい」などと言ってつきまとうが、結局は旅行者相手のたかりのような感じだった。これを断ると、他の旅行者に近づいていたようだが、すれ違いざまに、「じゃあな、中国人」と聞き捨てならないことをいって去っていった。この男とは、その後数回すれ違ったが、それほどの悪意はないようだった。また、写真を褒めて、その後何かの交渉に入る手口は、土産物屋などでも、使われているようであった。スカラのもう一方の入口もスロープ<上右中>でできていた。こちらからは寄せ木細工の店が並ぶ通りとつながっている。それにしても、すさまじい大西洋の荒波である。スカラの下にあるのは、岩礁<上右>だった。
海門のスカラ
次には、海門近くのスカラに向かう。北稜堡のスカラからは、海沿いの道を歩くが、高い壁<下左>に囲まれ、まったく海は見えない。このあたりは、寄せ木細工の店が建ち並ぶ。寄せ木細工は、エッサウィラの工芸品なのである。幅、3メートルにも満たない通りで、寄せ木細工の店の入っている建物も、かなりの高さがあり、かなりの圧迫感である。そんな中、雰囲気のある水道<下左中>を見つけた。

壁に囲まれた通り 雰囲気たっぷりの水道 港のスカラ 港のスカラの大砲

海門を抜け、港のスカラ<上右中>へ。こちらは入場料を徴収される。10DH。チケットはなかった。こちらには、見張り台のような四角柱のずんぐりした塔がある。入口から塔に向かい、そこから直角に折れ曲がった回廊がある。ここにも、大砲<上右>がずらりと並ぶ。その銃眼からも海が見える。そこは、岩礁のようになっていて、かなり波が荒い。だが、そこでも、漁師<下左>なのだろう、腰まで水に浸かり、何かを採っている人がいたりする。また、ここからは、少しばかりの沖合に、島のような岩礁<下左中>が2つ見えた。そのうちのひとつは、海鳥のコロニーのようになっていた。また、角度を変えて見ると、エッサウィラの旧市街と北稜堡のスカラ<下右中>も見える。

沖合で何かを採る漁師 沖合の岩礁 旧市街を望む 港の喧噪

海の反対側は、港である。ここから覗くと、小魚を商っている漁師たち<上右中、下左>を見下ろすことができる。また、修理中の漁船もこちらの視線と同じようなレベルにあり、時には、船大工<下左中>たちが通り過ぎていくのが見える。ここは、港側から見るよりも、かなり面白く、写真を撮るのも迫力があって、しかも文句を言われない。

小魚を商う 船大工と修理中の漁船 塔の上部 塔の上からの港側の眺め

塔に登る。下からはかなりの高さである。上に出ると、スクエアな空間となり、四隅には、見張り用と思われる銃眼付きの詰め所<上右中>のようなものがあった。港側<上右>がよく見える。また、四角形の旧市街側は少し高くなっていて、ここからは、北稜堡のスカラと旧市街<下左>を見渡すことができる。それにしても、波が荒い。

詰め所から眺める 漁港 漁船からの積み卸し作業 博物館の内部

スカラを堪能したあとは、また港<上左中>に出て、漁師たちを眺める。漁船<上右中>からは水揚げした魚をトラックに詰めているところや、網を修理しているところ、イワシらしい魚の頭を切り落とし、延縄の針につけているところも見られる。ここにいるのは飽きない。明日は午前中からこの作業を見に来ることにしようか。やがて博物館<上右>の開く時間となった。だが、入口は開いていたものの、結局は閉館だった。ここにいた男性が、不思議そうな顔をしていた。内部の写真を1枚だけ撮らせてもらう。どうも、シーズンオフなので、改装中らしい。
両替でへとへと
宿でクレジットカードが使えない場合のことを考え、両替をしておくことにする。ちょうど銀行の午後の時間が始まったばかりらしい。しかし、どこもかなり並んでいた。30分ばかりも並んでいただろうか。ようやく自分の番が来そうになるが、列を離れ、窓口の横に付くようにしているモロッコ人のおばさん連中がいた。どうも横入り(註6)をしそうな感じである。前の人の用事が終わり、自分の番になると、すかさずこちらから窓口に手を伸ばして横入りを防ぐ。後ろに並んでいた、やはり外国人旅行者らしいオッサンも、こちらにぐいぐいと身体をつけんばかりにしていた。そのオッサンは、フランス語で「みんな並んでいるんだから、横入りするんじゃない、きちんと並べ」というようなことを言っていたようだ。(註6…列が作られているところでは、かなりの確率でこれがあると思った方がいい。イミグレなどでもこれは頻繁である。モロッコ人はかなりちゃっかりしていると感じた。)
\10000のキャッシュで両替。781.5DHとなるが、ここのところのレートは安定しているようである。だが、こちらが、地元モロッコ人を先んじたような行動をしたせいか、窓口の係の動きはかなり緩慢な感じがした。嫌がらせのような気もする。また、窓口係になぜか電話がかかってきたりもする。まったく、取り次ぐんじゃない。こんな感じで、終わると、すっかり疲労感が。このあと、部屋に戻り、1時間ばかり休んだ。
イワシのタジン
暗くなってきて町に出る。明るいレンズに付け替えて、夜景<下左、下左中、下右中>も撮そうと思っていたが、トワイライトの時間を過ぎてしまったようであった。あまりいいものは撮れない。

路地裏 生活用品の並ぶ通り ちょっとした広場 Flag Specialeというビール

レストランは、北稜堡のスカラの近くにする。旧市街の中心に近いところでは、あまり落ち着かない感じがしたためでもあった。Restaurante Les Alizes Mogadorというところで、入っていくと、まだ客がいなかったが、愛想の良さそうなブラックアフリカ系の店主が出迎える。渡されたフランス語のメニューによると、85DHのツーリストメニューだけのようだが、スープかサラダ、メインディッシュとデザートの選択ができるようである。また、アルコール類の提供もできるので、モロッコに来て初めてのビールを頼んだ。Flag Speciale<上右>という、モロッコ産のビール(註7)である。そして、水の小ボトルも。(註7…以前来た時には、このFlag Specialeというブランドばかりだったが、カサブランカというブランドもあるようだ。Flag Specialeに関しては、ほとんどが350mlの瓶入りである。ただし、生もあることがのちにわかった。)

熱々のハリラ イワシのタジン デザートのプリン

選んだのは次の通り。ハリラ、魚、プリンである。魚は、イワシのようである。ビールが運ばれ、すぐにモロッコパンと、ハリラも同時にサーブされる。ハリラ<上左>は量もたっぷりあり、熱々で美味い。ハリラだけで、パンの3/4を食べてしまい、お代わりを持ってこられる。イワシはどのように調理されるのかと思っていたら、タジン鍋を持ってこられ、これを開けると、イワシのつみれが煮込まれてあった。イワシのタジン<上中>なのである。これまた美味い。食べていると、次第に客が入ってくる。隣のテーブルに着いたのは、モロッコ人のガイド風とヨーロッパ人の男性で、フランス語で挨拶される。この人たちは、ガイドと客ではなく、スイス人とスイス在住のモロッコ人であった。手にしていたデジカメから、話が弾んでしまう。また、どこをまわってきたかを訊かれ、マラケシュという地名が入ると、スイス在住モロッコ人はマラケシュの出身であるとか、マラケシュは夜が寒いなどの話題となる。プリン<上右>に加えて、コーヒーも頼む。これで、124DHであった。
ファンキーな土産物屋
宿に戻りかける。入口の前には、皮革製品の土産物屋があり、その店主が話しかけてくるが、けっこうファンキーな男だった。日本人だとわかると、次々と製品の名前を挙げて、「日本か?」と訊いてくる。たまに、サムソンとかLGという名前が出るので、「それは韓国だね」というと、店の中に引っ張っていき、「日本はいいが、韓国はよくない。見ろ、これを」といってポータブルオーディオのスイッチを入れる。
CDがトレイにのせられ、これが挿入されていくが、エラーとなってしまい、また戻ってしまう。「CDだとだめなんだ。DVDなら大丈夫なんだけど。」とのことで、これがどうも韓国製らしい。店主はDVDを挿入して、「ダイアー・ストレイツ(註8)は最高だぜ」と呟く。新手の客引きなんだろうが、かさばる革製品かアンティークものしかないようであった。また明日見ることを告げ、部屋へ。(註8…Dire Straits。マーク・ノップラーを中心とするイギリスのロックバンド。1978年「Saltans Of Swing(悲しきサルタン)」でデビュー。)Next→エッサウィラそぞろ歩き

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