陽の沈む国へ〜Essaouira to Safi

充実したエッサウィラからサフィへ。バスが昼の便なので、午前中はまたもやスーク巡りをした。それにしてもサフィは…。

2005/01/05(Wed:第12日)充実のエッサウィラからいまいち釈然としないサフィへ<エッサウィラ 晴れ サフィ 晴れ>

エッサウィラ・バスターミナル13:30-(AS)-15:40サフィ・バスターミナル〜Hotel Assif
朝のスーク
この日の朝食<下左>は混んでいた。空いたテーブルがなく、ヨーロッパ顔の青年が一人でついていた席に断りを入れて相席とする。よく観察すると、この宿には、昨日のイタリア料理の夕食で店にいた客が数組いた。チェックアウトの時間を確認して、その前にまたスークに寄ってみる。

シンプルな朝食 小さな貴金属店が並ぶ スーク内の広場 何気なく干された毛糸

今度はもっとじっくりと見た。ムハンマド・ザルクトゥーニ通りの南側では、貴金属品のスーク<上左中>となっていた。これを戻ってちょっとした広場<上右中>にでると、染めた毛糸<上右>や絨毯などが広げてあり、やたらとこちらにも声がかかる。もちろん製品もここにはあり、布<下左>にされたものなどが壁に掛かっている。このあたりは絨毯や民芸品のスーク<下左中>のようである。

製品のカラフルな布 民芸品店 香辛料の店 魚市場

通りの北側に行く。香辛料のスーク<上右中>を抜け、広場へ。魚市場<上右>では、とても長い太刀魚<下左>とか、鮫のような魚も売られていた。魚の市場脇の広場では、路面に何か落ちていて、よく見ると、鶏の頭<下左中>であった。堪能して宿に戻り駈けると、こんなところでというような場所で老人に日本語で挨拶された。

太刀魚 なぜにこのようなものが… スカラ下の倉庫群 アーチの下からスカラを眺める

まだ時間があったので、北稜堡のスカラ<上右中、上右>付近まで行ってみた。宿に戻り、荷物を持って料金の精算。やはり両替の回数を減らしたいので、5%増しではあるが、クレジットカードで払う。378DH。ここでは、きちんとオンラインの決済であった。
長いバス待ち
タクシーでバスターミナルへ。5DH。荷物を持っているからか、今にもでようとしているバスから声がかかる。だが、行き先が違うし、すでに別のチケットを持っている。客引きからも声がかからなくなった。しばらく待てばバスは来るだろうと思っていた。ちょうど、CTMバスのカサブランカ行きが出ようとするところだった。2日前に自分が乗ってきたバスである。運転手も同じだった。これには、日本人もいた。言葉は交わさなかったが、若そうな日本人女性である。だが、この人の背中には彫り物(註1)が見えた。(註1…いわゆるタトゥである。外国を旅行すると、欧米人を中心として、彫り物が身体に入っている人はしばしば眼にする。日本人でもここのところ眼にするようになってきたが、困ったものだ。別に組織の人ではないと思うが。なお、ベルベル女性には、伝統的に顔に入れ墨を施す場合もある。)
ここからしばらく待つ。昨日チケットを買った青年に訊くと、「タルーダントから来るバスで、遅れている。あと5分待ってくれ」とのことであった。が、それは、25分も待つこととなる。すでに大幅に時間は遅れている。ようやくバスの姿が現れる。青年はこのバスだと言っていたが、乗務員に制される。すると、青年が飛んできて、なぜか、今持っているチケットと、青年の持っている茶色いチケットを交換することとなる。事情はまったくわからない。
再び、乗務員に茶色いチケットを見せると、乗車が可能となった。大幅に遅れていたためか、乗務員の機嫌は悪そうで、荷物代は10DHとなってしまった。タルーダントから来たバスは、ここで乗客がすべて降りたので、案内される必要もないのだが、案内の男が出てくる。先ほど荷物を自分で預けたが、それを持とうとした奴かも知れない。この男には、1DH渡して引き取ってもらう。
しかし、なかなかバスは出発しようとしない。チケットに書かれた手書き文字は、すべてアラビア文字であり、わからない。が、印刷されたものには、時刻らしいものがいくつかあり、一番早い時間は、13:30というものであった。その通りで、客が集まり、出発する。それまでバスの外では、騒ぎがあり、見ると、男性同士の喧嘩(註2)であった。しきりに言い合っているが、手が出る前に仲裁が入ってしまう。このあともいくつか言い争いを見たが、ここでは必ずといっていいほど、仲裁が入り、暴力沙汰にはならないようである。(註2…モロッコではかなり頻繁に目撃する。モロッコ人同士の場合、ほとんどが仲裁が入って事なきを得るようである。)
サフィでホテル探し
バスの車体は今まで乗った中でも、一番古いものであった。座席のカバー<下左>などもぼろぼろだし、床にはゴミが散らばる。この調子ではまたやたらと乗降を繰り返すものと思っていたが、意外にも、はじめのうちだけで、3時過ぎには、サフィのバスターミナルに到着する。途中の風景は農村<下中>そのものだった。ここでは、いい加減民営バスに疲れたので、翌日のアル・ジャジーダ行きCTMのバスチケットを即購入する。48DH

バスの座席 バスの車窓 レンデペンダンス広場

ここからは、プチタクシーで町の中心に向かう。やはり相乗りの客がいたが、ホテルが決まっていないので、とりあえずレンデペンダンス広場<上右>(註3)と告げるが、客と運転手でホテルやレストランを紹介してくれていたようだった。広場まで、6DH。サフィもメーター料金ではなかった。(註3…Place des L'Independance。)
だが、適当なホテルがなかった。モロッコはとにかく夜が冷えるので、共同シャワーと共同トイレはこの時期は遠慮したい。だが、この広場周辺にあるホテルは、その手の安宿ばかりであった。1軒覗くと、フロントには誰もいず、次は部屋を見せてもらったが、かなり古ぼけたビルで、階段も暗い。もちろん、部屋付きのシャワーとトイレもない。途中、日本人カップルが、カフェで休んでいたので、この人たちに訊けばよかったかも知れない。

泊まった部屋 古びたバスルーム テレビは高い位置にある サフィ焼きの灰皿

結局、再びタクシーをつかまえ、ガイドブックに載っている、アシフというホテルまで行ってもらう。5DH。ここでは、フランス語オンリーのフロントの女性だったが、部屋は開いているようであった。宿帳への記入はこの女性がやってくれたのだが、職業の説明が上手くいかず、それらしい言葉をイタリア語スペイン語と駆使してなんとかわかってもらったようであった。まあまあの部屋<上左>が、190DH。シングルベッド2つのシングルユースである。バスルーム<上左中>は古びていた。テレビ<上右>は南欧と同じように壁の台に載せられていた。また、陶器の産地サフィらしく、灰皿<上右>もモロッコらしいデザインである。宿探しに時間がかかってしまったので、すでに日が傾いていた。
つきまとうホームレスオヤジ
部屋に荷物を放り投げて、夕暮れの迫る町に出る。日没まではあまり時間がない。ホテル<下左>を出て、ちょっとした風景をカメラに収めていたら、後ろの方から、大きな声が聞こえてきた。それは自分に向けられたものだったが、気づかず、しばらく歩く。ムハンマド5世広場<下中、下右>のロータリーで、クルマをやり過ごしている時、後ろから来たリヤカーを引いたオヤジが、こちらを見ながらぶつぶつ言い続けている。相手は、車道を歩き、こちらはロータリー手前で、クルマをやり過ごしている。最後はののしるような感じであった。

宿泊したホテル ムハンマド5世広場のロータリー 円形のムハンマド5世広場

まったく、なんなんだ。たまたま、同じ方向に歩いていたチャドル姿の女性二人がいて、このやりとり(といっても、こちらは何もしていない)を見て笑っていた。こちらも、英語と仕草で、「ただ写真を撮っていただけなのに、あいつはイカれているのかな」ということをいうと、頷いていた。
ここから旧市街までは、そのまま坂を下る感じになる。しばらくは、学校や公園のある、整然とした地区である。あの男は、そのまま行き過ぎてしまったと思っていたが、しばらくすると、ののしり声が聞こえはじめ、振り向くと男が着いてきていた。あとをつけられたらしい。まったく関わり合いたくないので、そのまま通りの反対側に移動。しばらくは、後ろを気にしていたが、ようやく姿が見えなくなった。だが、帰りや翌日も気をつけなくてはならないようだ。
夕刻前の一巡り

旧市街にある海の城 旧市街の中心 何をやっているのかは不明 メディナ入口の商店

サフィの旧市街<上左、上左中>には、ホテルからは15分ほどで到着した。旧市街は、城壁に囲まれたところであるが、メディナで迷うにはあまり時間がないので、入口あたりでやめておく。どうせ明日また来るのだ。このあたりは、ミニマラケシュとも呼ばれているらしく、夕方からは、大道芸人が出ることもあるらしい。今はいなかったが、人垣<上右中>ができて、ここで何か行われているようだった。これを見ようとすると、英語で話しかけられる。これは一応、歓迎のような挨拶だった。このメディナへの入口付近にも古い商店<上右>直接路面に物を並べて販売する人<下左>もいた。

まるでインドのようである 夕日が沈む海

まだ、日は暮れていないが、サフィには海があり、これを直接見てみようと思った。市街の高台からは、風景の一部として、海が見えるが、これでは物足りない。広場の切れ目に、展望台のようなものがあり、ここに行く。途中、近づいてきたほっかむりをした男性とも女性ともつかない人物に、腹にパンチを見舞われるような仕草をされた。まったく、サフィは油断がならない。エッサウィラの土産物屋の店主、アーメッドが「サフィはノーグッドだ」といっていたが、こういうことなのかも知れない。また、ここまでの印象も自分にとってはあまりいいものではない。展望台に着き、夕日と海<上右>が見えたが、それだけである。もう日も暮れるので、そのまま夕食とする。
最初のタクシーの運転手に教えられたレストランに行ってみる。なんか雰囲気が違う。男性ばかりの場。近づいてきたウェイターに、メニューをくれというと、ここはバーで、レストランはあと2時間しないと開店しないことを教えられた。そのままホテルに戻る。
困惑のレストラン探し
ホテルにも、レストランがあるはずだが、まだ営業してないようだった。新市街に面した自分の部屋から外を眺め、レストランらしきもののあたりをつける。そのまままた外へ。明かりが見えたのは、カフェだった。またしてもオヤジばかりの世界。ここは諦めて、ホテル正面のレストラン街とおぼしきところは、軽食堂みたいな店だったが、ここに入る。

米とゆで卵の入ったサラダ 焼かれた鶏の足 ハリラとハリサ

注文したのは、サラダとチキンのタジンとコーラ。店の上にも座席があるようなので、こちらに行くと、天井の低い変な場所だった。サラダ<上左>には、米が入っていた。なぜか米と野菜にマヨネーズのようなものがかけられていた。タジンであるはずなのに、野菜の添えられた鶏の足<上中>を焼いたものが一皿、どっさりのフライドポテトが1皿、小さな椀にハリラとハリサ<上右>が運ばれた。これはよくわからない。店の前には、タジン鍋がディスプレイされているというのに。ただ、味はよかった。しかも、料金は37DHと格安であった。
ホテルに戻ると、エレベーターがなかなか来ないので、階段で部屋へ。廊下はあまり明るくない。部屋のお湯はよく出たが、ここも夜は冷えた。まったく使わない、乗り物酔い止めの薬を飲んで眠る。入眠剤としてはよく効く。<Next→陶器の町と霧のアル・ジャディーダ

カサブランカ入国 マラケシュ(1) マラケシュ(2) アトラス越え ワルザザート郊外 タルーダントへ移動

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