陽の沈む国へ〜Essaouira(2)

修復中の漁船

大西洋岸を北上して、エッサウィラにやってきた。漁港があり、シーフードが美味い。今までのモロッコにはない風景に心が和む。その2日目。

2005/01/04(Tue:第11日)エッサウィラそぞろ歩き<エッサウィラ 晴れ>

エッサウィラ市内観光〜Hotel Souiri
*エッサウィラ旧市街が世界遺産に登録されています。
カメラを忘れた…
ホテルには朝食がついている。もちろん、料金込みである。フロントから奥まったサロン(註1)へ。このようなところのテーブルはひどく低く設定してある。腰掛けるのはソファである。内容はいつもの朝食と同じである。パンは、モロッコパンとバゲットが半々くらいに籠に盛られる。あとはオレンジジュースに、茶かコーヒーである。白衣を着た女性の従業員がてきぱきと配膳する。料金に含まれた朝食なので、宿泊者のほとんどはやって来る。けっこう混雑しているということである。ただし、この日はデジカメを忘れたので画像はない。(註1…Salon。モロッコでは話をしたり、テレビを見たり茶を飲む空間となっている。まったりくつろげるように、ソファが置いてあることが多い。)
スークを巡りつつ…
この日は、次に予定している、エッサウィラから北に数時間離れた町、サフィ(註2)までのバスチケットを購入する予定でいた。エッサウィラに到着した時には、バスターミナルから旧市街まではタクシーを利用したが、ガイドブックによると、宿から少し離れた、イスティクラール通り(註3)をまっすぐ歩き、ドゥカラ門を道なりに進むと着くらしい。そのイスティクラール通り<下左、下左中>沿いにスークがあるので、これを冷やかしつつ、行こうと思っていた。(註2…Safi。モロッコ有数の工業地域。陶器産業が盛ん。カサブランカとエッサウィラの中間くらいにある。また、マラケシュからもバス便がある。モロッコ南部にしては珍しく、鉄道が走っている。)(註3…独立の意味。ちなみに、トルコのイスタンブルにもイスティクラール通りがある。)

手押し車が活躍する 門を過ぎると通りの形相が変わる だんだんとスークが近づいてくる この通りの左右に隠れたスークが

朝のイスティクラール通りは、なかなか活気がある。手押し車で魚や野菜を運ぶ人々。イスティクラール通りは、クルマが通り抜けることのできる広さがあるが、基本的には車両の通行は禁止のようだ。緊急車両や清掃車くらいしか、見かけることはなく、まったくといっていいほど歩行者で埋め尽くされている。通りには、数100mおきに、門があり、その一つをくぐると、ムハンマド・ベン・ザルクトゥーニ通り<上右中、上右>と名前を変える。このあたりからスーク<下左>となる。

ムハンマド・ベン・ザルクトゥーニ通りに面したスーク スークにある広場 魚市場 ドゥカラ門

が、普通に歩いているだけでは、よくわからないだろう。この通りは、あと少しで、ドゥカラ門に到達してしまうから。スークは、この通りから脇道に入ったあたりに、展開している。通りを挟んで、左右の脇道がスークへと通じるのである。これまた、業種ごとに別れている。また、ここには、広場<上左中>のようなところがあり、そうしたところは、市場も兼ねているようであった。香辛料のスークを入っていくと、その広場があり、その隣が魚市場<上右中>となっていた。
バスターミナルへ出直し
ドゥカラ門<上右>から門外に出ると、修理工場街となった。だが、10分くらい歩いても、バスターミナルらしきものは見えず、ガイドブックの地図が違っているようだと確信する。再び、旧市街に戻り、朝の港へ。やはり、午後よりも活気があるようだ。漁船からの魚の積み出し<下左>漁師たち<下左中>は忙しく、ここでも荷車<下右中>の登場である。その後、観光案内所に寄る。フリーの地図(註4)はあるかと訊くが、ないらしい。地図は有料配布らしい。(註4…観光案内所で扱っている地図で無料のものがないという都市も珍しいのではなかろうか。これでは観光立国の名前が泣く。)

かごに入れた魚を放り投げていた 漁師 これは網だが魚も荷車で運ばれる オーソン・ウェルズの肖像のレリーフ

観光案内所からやはり門外に出ると、ちょっとした緑地帯があった。ここには、オーソン・ウェルズ(註5)のレリーフが立っている。オーソン・ウェルズ・スクエア<上右>というらしい。実は、オーソン・ウェルズが監督した「オセロ」という映画が、エッサウィラでロケをされたらしいのである。その舞台は、スカラだったらしい。(註5…George Orson Welles。ハリウッドを代表する、映画監督、脚本家、俳優。)

エッサウィラのバスターミナル 城内 旧市街のモスク 学校から吐き出された生徒たち

ここからプチタクシーに乗り、バスターミナル<上左>へ。5DH。やはりバス会社の人間が近づいてきて、行き先を尋ねる。サフィへは、午前便はなく、12:00になるという。どうしようかと思ったが、結局これにする。料金は30DHであった。タクシーの道順を何となく覚えていて、帰りは歩く。旧市街<上左中、上右中>が見えてきて、城壁沿いに歩く。徒歩で、20分もあれば、戻ることができる。途中で、学校<上右>があり、ちょうど授業が終わったのか、中からどっと生徒たちが吐き出されてくる。ほとんどが白衣(註6)を着ていて、これがほとんど薬剤師のように見えてしまう。(註6…こざっぱりした印象がモロッコではあるのか。後述する魚料理の屋台でも、調理人以下すべてが白衣である。また、宿の朝食でパンを運ぶ女性たちもそうであった。)
魚の屋台の昼食
あまり大したこともやっていないが、そろそろ昼になっていた。昼食をどうしようと思ったが、港の手前にある、魚を焼く屋台<下左>に行ってみる。その手前には、きちんと料金表の看板<下左中>があり、どの屋台でも統一価格らしい。適当に見ていこうと思ったが、一番手前の屋台で、手を打つ。魚<下右中>はいろいろあったものの、シャコ(註7)が8尾40DHというので、これを焼いてもらい、コーラを頼む。あまりにも、安いので、1尾40DHではないかと思ってしまったほどである。(註7…これに当たる言葉がないのか、Scampiというエビにあたる言葉が使われていた。)

魚料理の屋台街 協定料金 カニ、エビ、各種魚あり 焼かれたシャコ

焼かれたシャコ<上右>は、ばりばりしている。もちろん炭火焼きで、殻の一箇所を持ち上げて、中を開いて食べる。これは呼び込みの兄ちゃんに教わったのである。ナイフとフォークをもらったが、手づかみで行く。ここの呼び込み兼ウェイター兼調理人は、日本語で「あけましておめでとう」などという。それから、「美味しい」には他の言い方はないのかと訊いたり、最近のテレビのお笑いシーンか、かなりニュアンス的に再現してくれたものがあるのだが、こちらは知らない。まあ、日本語の研究は熱心である。料金はコーラと合わせて45DHであった。

調理場 ケフタと卵のサンドイッチ 弾き語り集団 こちらは単独だが、盲目であることをアピールしているみたいである

ここの水道で手を洗う。裏に回って、調理場<上左>を見る。シャコは味的には満足したものの、腹は満ち足りず、ムーレイ・エル・ハッサン広場に戻って、ケフタと卵のサンドイッチ<上左中>を作ってもらう。こちらはバゲットに挟まれたもので、半分の量で12DHであった。けっこういける。また、この広場は、レストランも多く、観光客相手の楽器と歌の弾き語り<上右中、上右>がいる。
冬でも泳ぐか

エッサウィラのビーチ しっかりビキニで泳ぐ女性 ビーチでの記念撮影 草サッカーならぬビーチサッカー

午後からは、海岸に出てみる。これまた近い。ここの砂浜<上左>は、アガディールよりも広い感じである。やはり観光客が多いのか、中にはしっかり水着になった人たちがいて、波に向かっていく人<上左中>もいる。天気がよく、ミニ三脚を立てて記念撮影<上右中>をしてみた。このあたりでは、サーフボードの店などもあったりする。この時はサーファー(註8)はいなかったのだが。また、ビーチでは、ラインを引いてサッカー<上右>をやっているグループもかなりいる。(註8…サーフィン界のことはよくわからないが、一時期テレビ番組で坂口憲二がモロッコの海岸でサーフィンに興じるドキュメンタリーものを放送していたことがあった。モロッコもサーファーにとっては、いいところなのだろうか。確かに波は荒そう。)
活気のある漁港

エッサウィラの漁港 魚をトラックに積み込む 魚の積み出し 一休みの漁師たち

再び、港<上左>へ。午後の時間ではあるが、続々と漁船が戻ってきているのか、魚の積み出し<上左中、上右中>が盛んである。その合間を縫って、腰掛けて休む漁師たち<上右>がいたり、相変わらずイワシの頭を切り落として、延縄の針につける餌を作る漁師<下左>もいる。また、市場ではさばけないのか、小魚を中心に販売する女性<下左中>がいたりした。港にはドックとは呼べないような造船所もあり、陸に上がった漁船<下右中>の数も相当なものである。やはりここは漁業で潤っているんだなと感じた。船はボート<下右>に至るまでがカラフルだった。

仕掛け作成中 小魚を売る女性 修理中の漁船 カラフルなボート

旧市街は危険なのか?
このあとは、旧市街に戻り、ムハンマド・ベン・アブダラー通り<下左、下左中>という、ムーレイ・エル・ハッサン広場からまっすぐ延びる通りを歩く。もちろん、カメラを抱えていたが、「フォト、危ない」と日本語で声がかかる。何ともなかったが、やや緊張感を持って歩く。特に、エッサウィラの他の通りとかわりがないが、あの男がそのようなことを呟いたお陰で、心なしか、店の前にたたずむ人の目つきが今までと違うような気もしてしまう。

ムハンマド・ベン・アブダラー通り かなり狭い通り 縄跳びで遊ぶ子供 北稜堡のスカラ下

この通りは、どん詰まりはちょっとした広場になっていて、子供たち<上右中>が縄跳びなどをして遊んでいた。そのあとは、北稜堡のスカラの下<上右>に行ってみる。ここは倉庫街である。ここにも、門があるらしいが、それはしっかりと閉まっていた。後ろからやって来た女性が、閉まっていたドアを開けて入っていく。どうも家屋らしい。
このあたりで、ファティマの手(註9)を観察する。通り<下左>はさらに狭くなった。ファティマの手とは、預言者ムハンマドの娘で、第4代カリフに嫁いだ人の名前から採られている。慈悲深かった人らしい。手の形をしたものが、ドアに取り付けられ、ノッカーのかわりとなっている。これには、リアルに再現した手の形<下左中>もあるが、手を象徴化した平板なもの<下右中>もある。どちらも金属製であるが、親指と小指の長さはほぼ同じである。(註9…イスラム教第4代カリフ、アリーの妻がファティマである。アリーは、預言者ムハンマドの従兄弟であり、ファティマはムハンマドの娘。ファティマの死後、理想の女性として尊敬されたという。特に、シーア派世界では、ファティマの手をかたどったものは重用されているというが、その子孫がファティマを通じて預言者の血を引くことからファティマの手もシーア派のモロッコでも人気があるらしい。主に、厄災よけとして、ドアに取り付けられている。この形の土産物もある。)
再びファンキーな土産物屋へ

人がすれ違うのがやっとの狭さ ファティマの手 象徴化されたファティマの手 店主のアーメッド

そのあとは、ホテル前の土産物屋に。覗いたが、ほとんど欲しいものはなく、ようやく見つけたのが、タジン鍋の形をした小物入れである。店主<上右>のファンキーな男によると、ベルベル人の使うものの形をしているらしい。値段交渉は、筆談となり、270DHで手を打つ。そのあとは、店主と記念撮影<下左>などをしたりした。さらに一眼レフで撮影すると、頭に巻いていたターバンを口にも巻き付ける。これがベルベルの正装<下右>(註10)なんだろう。住所を書くようにいうが、しわくちゃの名刺を見せて書き取れという。面倒なので、これは泊まっているホテルにでも送ろう。わかってもらえるだろう。(註10…ただし、このアーメッドはベルベル人ではなくアラブ人の顔であった。民芸品を売るということで、このようなスタイルを取っているらしい。ご苦労なことである。)

店の小僧に撮ってもらう 慌てて正装したアーメッド

ところで、モロッコ人は、外国語が話せても、それは耳で覚えたものらしく、ワルザザートのモハメッドも、ここの店主アーメッドもアルファベットは書けないらしい。町には、アラビア文字以上にアルファベットがあふれているというのに。
夜景とアルコールを求めてイタリア料理の夕食

ホテル前の通りから イスティクラール通り 白壁の通り 夕暮れの海

夕方、やや早めにホテルを出て、トワイライトの街<上左、上左中、上右中>海岸<上右>を撮影する。今度はまあ上手くいった。そのまま夕食。ここらで連日のモロッコ料理に飽きてきたので、イタリア料理店に行く。ドアを開けると、イタリア人の女性が出迎える。これは期待できると感じ、白ワイン<下左>のハーフボトル、ペンネ・アラビアータ(註11)レモン漬け肉の薄切り(註12)をイタリア語で頼む。メニューを読み上げるだけなので簡単だ。ワインとともに、オリーブが運ばれ、これで食が進む。またもや、パン<下左中>はお代わりとなった。ペンネ<下右中>には、ニンニクの香りがついていた。まさにイタリアの味。スカンピローネ<下右>の肉は、なんと豚肉だった。モロッコでどうやって手に入れたのか。とにかく、イタリアの家庭料理のような感じである。(註11…Penne all`arrabbiata。アラビアとは関係ない。辛いために、「怒った顔の」という意味らしい。)(註12…Scampilone Al Limone。)

白のハーフボトル パンとオリーブ ペンネ・アラビアータ スカンピローネ

最後にエスプレッソを頼むと、やけに時間がかかった。だが、ここはマシンで入れるのではなく、イタリアではナポレターノ(註13)と呼ばれる、金属製のガスにかけるエスプレッソ専用のポットを使っていた。それを客のところに持ってきて、そこで注ぐ。これは、主に、マシンのない家庭などで入れるものである。料金は、148DHだった。(註13…Napoletano。エスプレッソは、ナポリで生まれた。機械式のエスプレッソマシーン<Macchina>が登場するまでは、直火式のものが主流で、イタリア人家庭ではマッキナがなくても、モカと呼ばれる直火式のものはあるらしい。さらにほとんど圧力がかからないアルミ式の直火にかけるものがナポレターノである。中心部から上下に分かれ、下に水を入れ、上のフィルター部分に豆を入れる。)Next→充実のエッサウィラからいまいち釈然としないサフィへ

カサブランカ入国 マラケシュ(1) マラケシュ(2) アトラス越え ワルザザート郊外 タルーダントへ移動

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