長江は今日も雨だった〜岳陽、武漢

k歯科医と岳陽楼にて

観光地よりも、葛州覇ダムの通過で盛り上がった昨日、この日は洞庭湖・岳陽に上陸後夜に武漢到着。ようやく、船旅から解放されるのである。

1993/08/15(日曜日:第9日)クルージング最終日<岳陽 晴れ 武漢 晴れ>

長江クルージング4日目 岳陽-(長江公主号)-武漢〜晴川飯店
なかなか上陸できないジレンマ
目覚めると外は濃霧<下左>である。船は岳陽(註1)まで60kmのところに停泊中だという。この霧の中を強行してクルーズしても、恐ろしいことが起こるので、賢明な処置だが、いつ動けるのかわからないのも困ったものだ。本来ならば、岳陽の街で朝食のはずだったが、船内でいつもの朝食となる。(註1…Yueyang。湖南省にある、人口95万人の中都市。洞庭湖のほとりにある。)

これは霧が晴れだしてからの画像 岳陽が近い 岳陽 ここからヴァンに乗り換え

朝食中に、ゆっくりと船が動き出した。対岸<上左中>もなんとか見えるようになり、10時過ぎには、洞庭湖(註2)に入っているとのアナウンスがある。さすがに大きな湖。しかし水の色も茶色く濁っていて、長江との違いがわからない。わずかに色が薄まったか。岳陽<上右中>に到着。早速支度をして上陸開始<上右>である。(註2…中国第二の湖。ちなみに第一位は青海湖で、淡水湖としては中国ナンバーワン。雨季に長江であふれた水をたたえる自然のダムの役割がある。)
岳陽楼
ここ、岳陽は長江クルージングの中で唯一湖南省に位置する。まあ、湖北省もすぐそこなのだが。そして、洞庭湖に面するのが岳陽という都市である。ここには、江南三大楼閣(註3)のひとつ、岳陽楼がある。(註3…岳陽楼と武漢の黄鶴楼、南昌の滕王閣。)
岳陽の港から16人乗りのヴァンに乗り換え、岳陽楼を目指す。気温は30度を超したらしく、久々に夏らしくなる。さすがに湖南省。が、エアコンが効かず、窓を開けるとものすごい埃にあまりいい気分ではない。ここのガイドは、日本語が聞き取りにくく、それでもブランドもののポロシャツを着て、腕には、ロレックスだろうか金無垢の時計が。やはりガイドは私腹を肥やせるのだろうか。

石碑 漢字をデフォルメしたもの 岳陽楼 里帰り組の記念撮影

岳陽楼は、明の時代に建てられたもので、いかにも中国的な造りである。まずは、石碑<上左、上左中>の並ぶ建物の中へ。一部は、漢字をかなりデフォルメした絵画のようなものもある。石碑が黒く見えるのは、幾度となく、拓本を取られたからであろう。そして、岳陽楼<上右中>へ。その前では、香港あるいは台湾在住の里帰り組<上右>が横断幕をひらつかせて記念撮影に興じていた。筆者も記念撮影をしようとしたが、しょうがないので、隅のあたりでK歯科医と一緒にささっと収める。

緻密な彫り物 跳ね上げられた屋根 洞庭湖が見える 展示のマネキン

岳陽楼は、それほど見上げるような高さがあるわけではない。三層の高さであるが、実際には4階建てである。入口正面<上左>には意外にも緻密な彫り物が施されている。この中を階段で上がっていく。早速一番上に行く。風が心地よい。屋根の端<上左中>は、いかにも中華風に極端に跳ね上げられている。建物の向こうには、洞庭湖<上右中>が見える。内部には、マネキン<上右>があり、呉の総師魯粛であったと思う。その後、また下に降りて、灯籠<下左>石段<下左中>などを撮影。さらに歩いていくと、電脳影像<下右中>と書かれたのぼりが目に入る。よく観察しなかったものの、プリクラなどのはしりではなかったか。

鉄製の灯籠 欄干の上の人物像 プリクラか 岳陽の船着き場

帰りは、ツアーメンバーの土産物の購入に時間がかかり、なおかつヴァンの運ちゃんが道を譲る譲らないで、対向車と意地の張り合い(註4)をしていたので、とても時間がかかってしまう。船が出港してしまわないか、やきもきした。なんとか、岳陽の船着き場<上右>に到着。(註4…中国人はプライドが高く、実にくだらないことで意地を張り合う。ただ、我々が中国を訪れたこの時期あたりから、私企業なども現れ始め、サービスの概念が生まれつつあった。まるでやる気のない服務員などは淘汰されつつあるのだろう。)
最後のクルージング
またも時間がかかったため、地元レストランの食事ではなく船内でいつものパターン。だが、ここで新たな食材を仕入れたためか、マンネリには陥らなかったようだ。この後、赤壁の戦い(註5)で有名になった赤壁<下左>を通過。しかし、石碑の文字は水没していて見えなかった。しかもかなり遠い。もはややることもなくなり、同室のHさん<下左中>を撮影。このあたりから川幅がまた広がる。おそらく1km以上はあったのではないだろうか。そんな中を、水牛の群れ<下右中>が渡っていく。部屋に戻り、荷物整理。夜に武漢到着となるため、すぐに荷物を出す必要があった。(註5…208年魏の曹操と蜀の劉備、呉の孫権の連合軍との間で戦われた水軍戦。連合軍の勝利に終わり、曹操の天下統一の野望は遂げられなかった。このように、この長江クルージングは見事に三国志の故事とリンクしながら進められていくのである。)

有名な赤壁 Hさん 水没箇所を渡る水牛の群れ 名古屋のHiさんと新潟のSさん

18:00、いつもより早い夕食。武漢到着前の最後の食事である。誕生日を迎えたメンバー<上右>(註6)がいたため、ケーキ付き。ちなみにこのケーキは、メンバーが金を出し合ったものである。しばらくはこのケーキ<下左>で盛り上がることができた。李さんとUさん<下左中>などもかなりはしゃいでいたほどである。夕暮れの武漢<下右中>に近づく。19:45、武漢長江大橋通過。すでに外は真っ暗。長江大橋の電飾だけが明るい。20:00、臨光歓迎のたすきを掛けた服務員のお姉ちゃんたちに見送られて、武漢上陸<下右>(註6…名古屋から参加の女性Hiさんと新潟から参加のSさんが該当者。なお、Hiさんはその前年もラサで我々に誕生日を祝ってもらったのである。まあ、同じような時期なのでこうなることもある。)

誕生ケーキ 李さんとUさん 夕暮れの武漢 武漢に上陸

武漢

露店街 ピアスの店 三輪自転車 営業用免許

上陸したものの、しばらくは身体が揺れている。ホテルに行く前に、流石はこのツアーで、露店街<上左>を散策。耳を穿つと書かれたものは、屋台のピアスショップ<上左中>(註7)であった。ここで耳に穴も開けるんだろう。痛くはないのだろうか。後ろに客を乗せる三輪自転車<上右中>も登場。すべてが露店であるが、許可制であって、店のどこかには免許<上右>が提示してあった。ここでは、バッタもののニセモノTシャツ<下左>(註8)などが売られている。こちらは、漢口地区。武漢は、漢口、武昌、漢陽の三市が合併してできた都市である。(註7…中国もおしゃれになってきた。とはいえ、これは外国に開かれている海岸部に近いためであろう。今ではそう驚かなくなったものの、路上のピアス屋とは。)(註8…なんと「となりのトトロ」のコピー商品だが、見事にスペリングが間違っていた。アジア圏ではひらがなやカタカナが日本と結びつくらしく、意味などはどうでもよいところもある。)

となりのトトロのニセモノ 宿泊した部屋

そして、ホテルは、漢陽地区にある、晴川飯店。久々の揺れない部屋<上右>である。李さんが武漢の人なので、彼女は上海には行かず、明日の午前で終了となる。そのお別れパーティをささやかながらツアーメンバーの一室で行う。これが深夜にまでおよび、けっこう疲れてはいた。<Next→上海の夜は更けて

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