長江は今日も雨だった〜長江クルージング(1)鬼城

長江公主号にて

四川省を横断する形で、峨眉山、楽山、大足と世界遺産のポイントを回ってきた。この日は早起きして、いよいよ3泊4日の長江クルーズへ。このツアーのメインへと突入する。

1993/08/12(木曜日:第6日)長江クルーズ開始、鬼の城へ<重慶 曇り 豊都 曇り>

長江クルージング第1日 重慶-(長江公主号)-豊都(鬼城観光)-(長江公主号)-万県沖停泊〜長江公主号
長江クルージングへ
この日からいよいよ、3泊4日の長江クルージングである。5:30起床。荷物はすでに出してしまい、朝食は簡単なビュフェであった。久々に中華からの呪縛を逃れる。かなりの早起きを強いられ、荷物もないような状態だが、船に行けば、すぐに部屋で横になれるし、荷物もすぐに届くのでそれほどの不便さは感じなかった。それよりも、久々のまともなホテルなのに、これを長時間満喫できないというのがもったいない。

荷物を天秤に下げて運ぶ 食料などを売る たどり着くまでは頼りない通路を渡る 乗船前の一コマ

バスで船の乗り場に向かう。きちんとした日本語を話す、スーツをさりげなく着こなした陳さんとは、ここでお別れ。2日で合計1時間程度のつきあいか。船着き場は、荷物運び<上左>たちや、生活必需品などを売る人たち<上左中>で雑踏していた。この時間はまだ暗い。長江へは、長い石段を下りていく。この石段の上まで、水位が上がったことがあるというから、長江は侮れない。ここを荷物運びの雑益夫たちに混じって、下り、船までは艀<上右中>のようなものの中を通っていく。乗船前に、Uさん、Oさんと記念撮影<上右>した。
長江公主号
この船は、「長江公主号」という。長江のプリンセスというような意味である。長江を行き来する船(註1)は、各種あるのだが、長江公主号はほぼ外国人専用のクルーズ船らしい。運行区間は、重慶−武漢を3泊4日で結び、この間に三峡(註2)などの観光が挟まれる。そのまま部屋に直行。ツインの部屋は、もちろん外国人専用。シングルのベッド<下左>が二つ並び、テレビもある。シャワールーム<下左中>も付属していて、トイレや洗面台<下右中>と一緒になっている。バスタブはないが、熱い湯がいつでも出る仕組み。ベッドの手前にはソファ<上右>なども置いてある。数日前のホテルよりもいい感じである。(註1…我々の乗った船のクラスでは、上海から重慶まで航行されている。重慶でさらに小さなタイプの船に乗り換えれば、もう少し上流まで行けるはずである。)(註2…長江でもっとも急流な区間。上流から瞿塘峡、巫峡、西陵峡があり、途中支流には小三峡と呼ばれる区間もある。この途中に、三峡ダムが建設中であり、これが完成すると、水位の上昇によって、周囲の景観が変わる可能性が指摘されている。水没する箇所も多数の予定である。)

なかなか優雅な感じの室内 シャワー トイレと洗面台 ソファでくつろぐHさん

船の造りは、6階建て。1階は、船員室、2階がフロントと、マッサージ、診療所、バー、レストラン。3・4階が二人部屋で、筆者とHさんは、405号室。船の左舷側である。5階が広いスペースのバー、カラオケスペース兼展望室<下左>デッキ<下左中、下右中>もある。その上が展望台となっている。長江には、小さな船の形をしたもの<下右>が時折浮かんでいる。これは、航路を示すものらしく、夜などは点灯するようであった。部屋で落ち着いた後に、5階で船のあらましと今後の予定の説明を受けた。この船にも日本語ガイドがいて、我々のスルーガイドと同じ名前の李さんである。しかも女性なので、ここでは李2号と便宜的に呼ぶことにする。

展望室 デッキでくつろぐメンバー デッキ 航路標か

今後の予定
李2号よりの説明。予定では、1日目:豊都(鬼城)観光。万県沖停泊。2日目:瞿塘峡通過、小三峡クルージングツアー、巫峡通過。3日目:西陵峡通過。宜昌観光。4日目:岳陽観光。赤壁通過。武漢到着。というスケジュールらしい。

流れ込む雨水 昼食風景

それにしても、この地方の雨量も相当なもので、河岸から滝のようにして雨水<上左>が流れ込んでいくのを何度も目撃した。移ろい行く風景もほとんど変わりなく、そのうち昼食<上右>となる。総勢13名のメンバーだが、丸テーブルが10名分なので、3名は別の日本人ツアーのテーブルと相席となった。この3名分は、きっちりとローテーションが組まれ、何度かそちらに行くことになるのだが。
地獄巡り

最初に観光する場所 豊都 静まる町 地獄の1丁目か

さて、この日のメインは、豊都<上左、上左中>というところにある、鬼城巡りである。15:00頃の到着が少し遅れ、15:20着。船着き場は、何段もの石段になっているのは、重慶と同じである。不思議だったのは、ここにたくさんの身体障害者の集団が物乞いに来ていたことである。鬼城までは、歩いて行く。町<上右中>は静まっていた。やがて、中華風の門<上右>が現れる。鬼城は山の上にあるため、石段を登っていくか、スキー場にあるようなリフト<下左>を使うかのどちらかである。我々は、リフト使用となる。

ペアリフトで地獄へ リフトを降りた地点の眺め 中華風の建物 閻魔大王

リフトを降りると、眺めがよく、船が到着した船着き場<上左中>が見えた。ここからはいかにも中華風の建物<上右中>が続く。さて、鬼城とは地獄巡りであり、閻魔大王<上右>が祀られた地獄のテーマパークといった趣がある。いくつかの漢字<下左>を組み合わせて読ませる、地獄独特の解説などが、李さんによって行われる。室内は、張りぼてのようなちゃちな作り物<下左中>で地獄を表したものがあった。そのようなものより、建物の方に味があり、天子殿と書かれた門<下右中>の内側には、ここを司る閻魔たちの住処なんだろう。ここでの言い伝えとして、湾曲した橋があり、ここを3歩できっちり渡り終えれば、地獄に堕ちないとか、丸い石の上に片足で乗って、正面に書いてある4文字を見ると、やはり地獄に堕ちないとかの決まり事がある。丸い石の上<下右>でポーズを取り、記念撮影する。湾曲した橋を3歩で渡りきるのは、日本人にはけっこうきついかも知れないが。まあ、だいたいの大人はできることなので、筆者も今のところ地獄に堕ちていないようだ。ところで、この地獄のテーマパークも、三峡ダムが完成すると、水位の上昇によって、全てが水没(註3)することになっているため、見ておいた方がいいのかも知れない。まあ、これがこちらに参加した動機のひとつでもあるのだが。(註3…町全体が水没する場合、町ごと別の地点に移転が予定されている。)

複合した漢字 子供だましの地獄セット ここでは閻魔が天子である バランスが重要

なぜか山の上にある地獄からは、けっこうきつい石段<下左>を歩いて降りる。出口近くには、「福」と書かれた土塀<下左中>があり、無事戻ってきたものには幸福があるということか。入口からはミニバスが出たが、CITSの土産物屋に足止めされ、簡単なこのあたりの踊り<下右中>を見せられた。スライド80元を購入。釣り銭は人民元であったが。バスが船着き場に到着し、船に戻る。船の向きを変えたらしく、到着した地点ではなかった。石段<下右>を下りていくが、左右に身障者集団が物乞いとして待ち受けていた。そのまま歓迎レセプションに。日本人以外にも、台湾人などが大挙して乗っているが、用意された料理も、せいぜい肉団子がゲットできたくらい。まあ、この後夕食がすぐにあるからいいのだが。

地獄からの帰り道 「福」の文字がある塀 地獄踊り 船着き場の石段

ちなみに、船の寝心地だが、激しくはないもののピッチングとローリングがあり、終始揺れていた。やがてこれも慣れるのだが。<Next→劉備終焉の地と三峡下り

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