長江は今日も雨だった〜大足

ガイドの李さんと

大足までやって来て、この日は大足石窟の見学である。しかし、あいにくの雨。午後は、重慶に移動して、翌日からの長江クルージングに備える。

1993/08/11(水:第5日)雨中の大足石窟<大足 雨 重慶 曇り>

大足(大足石窟観光)-(専用車)-重慶〜揚子江重慶暇日大酒店(Holiday Inn Yangtze-Chongqing)
*大足石刻が世界遺産に登録されていますが、登録年は1999年です。
豪雨しかも断水
雨の大足激しい雨音で目覚める。外は大雨<右>だ。しかも断水。この旅では、酸素透過式のハードコンタクトレンズを着用していた。しかし、断水となると、装着はできない。少し頭を働かせて、買い置きのミネラルウォーターをグラスに入れて洗うことにした。朝食のために食堂に行くが、ここでも天井から雨漏りというような次第。あまり観光気分も盛り上がらない。
北山の石窟
それでも観光は行われる。大足からはまたバスが変更となり、一回り大きなバスとなった。ここ大足にも、ローカルガイドが付き、聞き取りにくい日本語の羅さん(註1)が同行。まずは、ホテルの名前と同じ、北山へ。バスで10分程度である。凄まじい雨に、足元を濁流のように、泥水が襲う。舗装してあるところはごく一部で、なかなかに歩きにくい。石窟では雨に濡れることはないのだが、そこまでたどり着くのが一苦労である。完全防備<下左>で向かうが、靴の中まで水浸しであった。(註1…ミニメガホンを持ち歩き、それを使い説明を加える。メガホンの音質は悪く、音が割れてしまい、なおかつ聞き取りにくい彼の日本語という有様であった。)

完全防備で観光開始 客を搬送する籠 篭屋と客 シンプルな石仏

こんなところにも、客を運ぶ籠屋<上左中、上右中>がいて、4人がかりで、客を運んでいる。ここは、唐から南宋時代までの石仏<上右、下左、下左中、下右中>などが点在している。次に訪れる、宝頂山の石刻と違い、民衆が金を出し合って彫刻師に頼んだものであり、統一性はあまりない。しかし、その周囲は自然そのままで、こんな時の観光は悲惨だ。観光が終わり、入口近くの売店を覗く。ルーレット式のゲーム<下右>があり、賞品が真ん中に置いてあった。と、同室のHさんが、トイレに行きたいとのことで、荷物を預かった。この人も、中華料理の油で腹をやられていたようである。

三位一体の石仏 レリーフに近いもの 石仏前で記念撮影 ゲームと景品

宝頂山の石窟

宝頂山入口 着色された石仏 またもや着色された石仏 崖に直接彫られたもの

次はバスで15kmほど離れた、宝頂山<上左>にある、石仏群を見学。こちらの方が、規模も大きく、整備状態もよい。また、雨も少しばかり小やみになった。こちらは、まあ道が整備されていて、歩きやすい。石仏群も着色<上左中、上右中>してあり、どことなくあか抜けている。また、地形をそのまま利用した石仏<上右>が目立つようである。ここの石仏群は四川省の密教の教主趙智鳳が主催したものであり、ストーリー性がある。

細かいストーリーと緻密な彫刻 ストーリーに沿った石仏 乳を与える母親像 かなり離れないと全景がおさまらない

ストーリー性のあるもの<上左、上左中>とは、地獄絵図として母親に肉を食べさせるために、自分の肉体を捧げた息子のものであるとか、乳呑み児を抱える母親であるとかだ。その母親像<上右中>は金色に彩られていた。この中心には、巨大な涅槃仏<上右、下左、下左中>の像が横たわっている。その先には、鬼がルーレットを抱えたような六道輪廻図<下右中>もある。さらには、寺の内部にも石仏が展示してあった。

涅槃仏の頭部 涅槃に入る仏陀と見守る弟子たち 人間ルーレット 素朴なバッタなどを手作りしたもの

ここで、日本人の個人旅行者に会ったが、あまり崩れた感じのしない男性だった。観光が終わり、土産物屋で休憩していると、手作りの土産物を売りつけようとしている地元の子どもたち<上右>が入口で取り巻くではないか。李さんが登場して、追い払ったが個人の蓄財はこのところ凄まじいものがあるらしい。
雨をついて移動
一度ホテルに戻り、昼食と荷物整理<下左>。この日のバスは、大型だったので、こんな天気でも一応安心。大足を脱出するときに、川を渡ったが、凄まじい濁流<下左中>が溢れんばかりに流れていて、危険も省みず、地元人民がそれに見入っていた。重慶までは、180km。トイレ休憩<下右中>を取った以外はひたすら走り続ける。180kmというと近そうだが、結局4時間以上の道のりとなった。

部屋が確保されていないので、公衆の面前で荷物整理となる 濁流見物の人民 ツアーのバス 購入した古本と記念撮影

途中、Big Chinaという、札をフロントグラスに掲げたバスが後ろにつく。JALパック系の日本人ツアーのようである。トイレ休憩なども一緒だった。そこでは、たまたま古本<上右>を販売していて、「日本」という文字のあったグラフィック誌を購入した。もっとも、中身は中国語で読めもしないのだが。
長江と対面
重慶長江大橋の袂で記念撮影今や重慶(註2)は、上海を抜いて中国一の人口を有するそうだが、どうやら市域が広すぎるようだ。この街の中を長江(註3)が流れている。その長江から、霧が立ち上り、夏でもあまり天気が良くないらしい。そして、ここは中国の三大鍋底または三大ボイラー(註4)といわれるくらいの酷暑地域である。まあ、この年に限っては、雨続きで涼しいくらいだったのだが。その長江大橋<右>のたもとで記念撮影。(註2…Chongqing。チョンチン。かつては中華民国の政府が置かれていたこともある。市域が拡大して、北京や上海と同じく特別市となっている。ちなみに大足も重慶の中に含まれる。)(註3…日本では揚子江と呼ばれるが、長江が正式名称。チベットに源流があり、上海付近で河口となる。)(註4…南京、武漢、重慶がそれに当たる。)
暇日大酒店
このままホテルに直行。ホリデイ・インが、暇日大酒店である。ここで、重慶のガイドと対面。スーツをさりげなく着込んだ陳さんという男性ガイドは、ほとんど日本人のようである。この日は挨拶だけで、翌日船までのガイドというから、なんとももったいない。しかしツアーだとこうなってしまうのだ。陳さんの日本語は、その風体と同じように、自然な日本語であった。部屋<下左>の窓からはかすかに長江<下左中>が見えた。フロントのある階には、書店があり、西洋美術とのことで、ヘアヌード写真集(註5)が販売されていた。これをHさんが購入。「持ち込めるかどうか、わからないけどね」とのことだが。(註5…当時日本ではまだこのようなものは違法だったような気がした。中国ではやはり違法なんだろうが、主に外国人を対象とするこのホテルでは非合法ながら暗黙の了解済みだったのかも。)

ホリデイ・インの部屋 長江 広東料理を全員でつつく 琴の演奏

夕食は辛さから逃れて、広東料理<上右中>琴の演奏<上右>つきで楽しんだが、つかの間のくつろぎで、翌日早朝の船に乗るため、スーツケースを23:00に出すよう指示があったのだ。<Next→長江クルーズ開始、鬼の城へ

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