長江は今日も雨だった〜上海、成都

上海・龍華寺

1992年のチベットツアーに続く、オリジナルツアー第2弾。前のメンバーから多少の入れ替わりがあるが、勝手知った仲間である。お気楽に参加。成田から上海経由の成都まで。まずはプロローグである。

1993/08/07(土曜日:第1日)寒い夏<東京 曇り 上海 曇り 成都 曇り>

新東京国際空港10:25-(NH919)-12:40上海虹橋国際空港(上海観光)17:45-(SZ4502)-20:00成都空港〜眠山飯店
成田まで
この夏、異常気象(註1)で雨続きとなった。普通ツアーは2時間前の集合、成田発10:25ということから、とんでもなく早い時間に起きることとなった。とはいえ、最寄り駅まで乗った運ちゃんは、こちらのスーツケース<下左>の色が派手なのを見て、「女の子みたいなスーツケースですね」とか、「昨夜から仕事続きでほとんど眠ってないんです。眠い…」などといってのける手合いだった。まったくうるさいな。さすがに週末の早朝ということで、電車には座れた。それでも、ちょっと危ない感じの人が隣り合わせていたりする。こういう時間にもいろんな人がいるものである。この時はまだ成田エキスプレスがなく、日暮里まで出て、スカイライナー<下左中>に乗り換え。成田<下右中>(註2)では、今回のメンバーと顔合わせをしたのだが、ひとりが大遅刻してきて、免税品店などをゆっくり眺める余裕がなかった。(註1…結局この年は米不足となり、のちにタイ米騒動なども起こるのであった。) (註2…前の年、出国は伊丹だったため、到着して新ターミナルビルとなっていたのにはびっくりした。)

荷造り前のスーツケース スカイライナー 成田第二ターミナル 初の全日空

とはいえ、今回はTという旅行社を使う。ここと鳴沢さん(註3)のはじめての契約ということでか、全日空<上右>ビジネスクラス(註4)が往復割り当てられる大サービス。そういうわしらは、Club ANAのラウンジに入って無料のミネラルウォーターなどを大量に持ってきてしまうという、傍若無人ぶりを発揮していた。全日空機は、どういうわけかバスで延々走ったところに駐機してたが、中に入ればアテンダントが満面の笑みで迎えてくれる。しかも、ビジネスクラスであるから、いきなりシャンパンで出迎えだ。機内食<下左>もなかなかで、海老、イカ、ムール貝などのシーフードに、白ワインで和んでしまうではないか。(註3…1992年のチベットツアーでの添乗員。今回を含め、2000年までに4回、オリジナルツアーに参加することとなった。)(註4…あとにも、先にもこれが初めてでそれ以外すべてがエコノミー席である。)

ちょっとしたレストラン並みの食事 東シナ海上空 上海上空 上海虹橋国際空港

上海
飛行機からの眺め<上左中>もすぐれず、雲の合間から茶色い大地が見えた程度。上海上空<上右中>に近づくともやがかかっている感じであった。上海虹橋国際空港<上右>(註5)到着。上海の気温は27℃ということだ。ここで、上海のガイド(註6)、曹さんが出迎えだ。上海(註7)市内も、雨に見舞われたらしく、あちこちで大きな水たまりができている。上海では乗り継ぎ時間が多いに余るため、ここで入国をすませ、郊外にある龍華寺に向かう。(註5…その後、上海には浦東国際空港ができて、日本からの乗り入れ便はすべてここに到着することとなった。虹橋地区の空港は主に国内専用となっているらしいが。)(註6…中国ツアーでは、ほぼ全行程を案内するスルーガイドと、訪れたところを案内するローカルガイドがつく。)(註7…Shanghai。上海特別市。長江の河口に開けたデルタ地帯であり、人口は1000万人を越える。北京が行政上の首都であるならば、こちらは商業・貿易の中心といえよう。使用言語は上海語。)

龍華寺の仏像 かなり線香臭かった 手前、同室となるHさん 龍華寺に来た上海の人民

龍華寺<上4枚、下左>はなんということもない、ただの仏教寺院だが、1700年の歴史があるという。その頃日本では、仏教のかけらもない頃のことだ。ここでにわか雨に遭うが、短時間で観光をすませて、上海市内へ。昨年も食事をした新虹橋倶楽部<下左中>へ。ここで15元の空港税の徴収。もちろん現地通貨(註8)を持っていなかったので、ここで両替である。\20000=1064FEC(兌換券)。当時まだ、兌換券制度があり、もちろん人民元と同一価格。しかし闇ではさらに高いレートでの交換比率だというが、我々には余り関係ない。1元が20円くらいか。それにしても、成田から始まった空港税は、あっという間に世界各地を席巻した模様である。何しろ、前年の中国でもこんなものは払わなかったくらいだから。まだまだ時間があるので、ここの喫茶で、10元のコーラで話し込む。中国にしてはかなり高いコーラだ。(註8…中華人民共和国の通貨は人民元である。さらに下の単位があり、1元=10角=10分。当時外国人には兌換券制度があり、等価格のものが与えられていた。ただし、闇で両替すると兌換券には数倍の価値がついたようであった。兌換券制度は今はない。)

龍華寺の坊主 新虹橋倶楽部 虹橋空港 成都までの飛行機から

ちょっと田舎臭いユーミン似登場
空港に着き、スルーガイドの李さんが登場。若草色のスーツを着こなした女性で、フォックス型の眼鏡をかけている。ちょっと田舎臭いユーミンまたは、当時有名ではなかったものの古内東子みたいな感じである。しかも、筆者と同学年なのであった。これまで中国のガイドというと、質素という文字を身にまとった人ばかりであったので、驚く。Uさん(註9)なども「あれ見た?」という次第である。待合室で時間まで過ごす。ここには、日本語でラーメンと書いた提灯などもあり、そういう店があった模様。やることもなく、空港内<上右中>を撮影。昨年も乗った、中国西南航空機は、旧ソ連製のツポレフで、ゲートが建物に直結できないためか、バスで乗り付ける。かなり長い路線のためか、中華丼風の機内食も出てしまう。これがけっこういけるのだが、成都で夕食もあるというので、ほんのわずかにとどめておいた。そのかわり、つまみになりそうなものは、カバンにしまっておく。外<上右>を眺めると、夕闇間近という感じであった。(註9…前年のチベットには参加直前にキャンセルという憂き目にあう。だが、実はそのツアーの首謀者なのであった。翌年のシーサンパンナと大理のツアー、2000年のインドにも参加。1987年以来の知り合い。)
眠山飯店の部屋夜の成都

成都(註10)ではすでに闇に包まれ、現地ガイドの胡さんが登場。彼女も眼鏡をかけているが、まだ初々しく、どこかアグネス・チャンの日本語を彷彿とさせる。市内までは大渋滞で、ホテルの前に夕食となるが、連れて行かれたのは、前年も来た、斉雲楼餐廳である。成都は蒸し暑く、何故か食欲が落ちていた。あまり辛くない麺類と数品にとどめて、ホテルへ。このホテルも、前年泊まった眠山飯店<右>である。何故か荷物の到着が遅れ、その合間に免税のジャックダニエル。同室は、またもHさん(註11)。まあ、他に単独参加の男性がいなかったこともあるが。(註10…Chengdu。読みはチョントウー。四川省の省都。北京語の四川方言が使用される。)(註11…前年のチベット参加者で、この時も同室。1987年以来の知り合い。)Next→峨眉山の籠かき

峨眉山 楽山 自貢 大足 鬼城 白帝城・三峡 葛州覇ダム・宜昌 洞庭湖・岳陽 武漢・上海 帰国

TOP 長江は今日も雨だった目次 旅行記INDEX

inserted by FC2 system