長江は今日も雨だった〜峨眉山

峨眉山山頂

成都のホテルに1泊。この日は、世界遺産、峨眉山に向かう。いよいよ、中国の旅がスタート。

1993/08/08(日曜日:第2日)峨眉山の籠かき<成都 晴れ 峨眉 晴れ 峨眉山 晴れ時々雨 楽山 曇り>

成都-(専用車)-峨眉-(専用車)-峨眉山八合目-(ロープウェイ)-峨眉山-(ロープウェイ)-峨眉山八合目-(専用車)-楽山〜紅珠山賓館
*峨眉山は世界遺産に登録されていますが、当時はまだ指定前でした。登録年は1996年です。
朝食、卵は貴重です
眠山飯店、止まっているバスに乗るこの日からバスで移動。朝食はホテルのレストランで。朝食といっても、中国式。お粥(註1)が基本である。こちらのお粥は具がなく、味のない白粥である。おかずにするものも、かなり脂ぎっているので、ここは日本から持参したふりかけをお粥に混ぜていただくのだ。これに、現地地鶏のゆで卵が美味しい。ではと思ったのか、Hさんがこれをテイクアウトしようと思ったら、服務員に注意されてしまう。卵は中国では貴重品なのである。7:40に出発。眠山飯店の入り口<右>脇には、売店があって、インスタントの麺が置いてあった。(註1…中国での朝の基本。何も入っていない白い粥である。味もほとんどない。ひたすら煮込みに煮込んであり、水分の方が多い。中国経験者は、味のないお粥に対して、「大人のふりかけ」などを入れてこれに対処する。香港や台湾のお粥の方が圧倒的に美味しい。)
バスの故障、昼食

高速の料金所 土産物店 仕切のないトイレ 記念撮影

ここから、峨眉山(註2)までは、かなりの道のりである。成都に着いて、観光もしていないが、ツアーの前提として昨年の続きというものもあるので、なしでもいいんだろう。バスはそこそこのスピードで峨眉山を目指す。料金所<上左>のある高速道に入ったが、路肩には関係ない荷車や自転車などもあるといった具合である。途中、なぜか土産物店<上左中>に入ってトイレ<上右中>(註3)休憩も兼ねる。やることもないので、記念撮影<上右>をしてもらった。道々アグネス・チャン風の日本語でローカルガイド(註4)の胡さんが解説を交えるが、李さんは押し黙ったままであった。この人は、長江が専門みたいな立場であり、それでも、1回だけ胡さんに追加の解説を加えた。バスは日本製だが、途中エアコンの故障がある。思わず窓を開けると、ひどく蒸し暑い。給油のため、ドライバーはガソリンスタンド<下左>にバスを止める。興味津々の我々は、外に出て写真などを撮るが、K歯科医(註5)が道ばたの畑に注目し、「辛いものはいいんだよ。わたしゃ、動脈をやられて大変だったんだけど、辛いものを食べてよくなったから」という。畑の作物は、唐辛子。買い物帰りの地元のおばさん<下左中>も通りかかり、「食べるか?」みたいな仕草をした。幸いエアコンはすぐに直ったが、先が思いやられる。(註2…Emeishan。オーメイシャン。標高3099m。楽山大仏とともに世界遺産指定。)(註3…もちろん、仕切のない人民トイレである。外国人観光客が泊まるホテルの客室などは洋式。ホテルを一歩出ると、トイレは覚悟した方がいい。)(註4…地方の旅行社の管轄となる。その地方のガイドがつく。胡さんの場合は、成都から自貢までであった。)(註5…千葉で歯科医院を経営。このツアーには、夫婦で参加。かつて動脈破裂を起こしたらしいが、この旅を見る限りかなりの酒浸りであった。その手には必ずビデオがあった。)

加油站 地元のおばさん この日の昼食 峨眉山から流れる川

峨眉で、昼食<上右中>。食卓が大量に並ぶのはいつもの通り。これをすますと、バスを乗り換えて、峨眉山へ。ここへの道は狭く急カーブが多いとのことで、ミニバスとなる。これに全員が乗るので、ひどく狭い。しかもエアコンがないので悲惨。途中の風景<上右、下左>も綺麗だが撮れたものではない。ちなみに、峨眉市内からも峨眉山は見ることができるが、非常に遠くに霞んでいる。やはり近くに行かなければありがたみはわからないらしい。
バスを取り巻く人民

そびえる山 取り囲む人民たち 籠かき 山道を歩く

そうして揺られて1時間半。峨眉山八合目にある駐車場に着くが、いきなり人民<上左中>にバスが取り巻かれてしまう。これは、防寒衣料を貸す商売の人や、籠かき<上右中>どもである。峨眉山は標高3000mもあるので、まあ涼しい。気になる人は軽い上着など持っていくのが望ましい。ここで貸してくれる服は、かつての人民服の綿入れで、借りるほどではないと思う。それに、虫に食われたり、臭かったりすると悲惨である。また、籠は途中で動かなくなり、さらに料金のつり上げがあるらしい。また、途中猿の群生している箇所があり、ここでも猿よけと称して、金をふんだくる手合いが出没するらしい。それにしても、ロープウェイ乗り場と駐車場が離れているというのはどうしたことだろうか。その間は山道<上右>なのであった。
峨眉山山頂

先導する李さん ロープウェイ発着所 山頂駅から下を望む 山頂部

一応、そんなことを予備知識として知っていた我々は、奴らを無視してロープウェイ乗り場<上左>まで歩く。それでもしつこくついてくる彼らは、日頃儲けが少ないんだろうなあ。にしても、乗り場と駐車場がこれだけ離れているというのは、まるで彼らとロープウェイ会社が結託しているようでもある。ロープウェイ<上左中、上右中>は、かなりの人員を収容できる。ここから見るとかなりの急角度で上っていく。山頂<上右>では、猿も出迎え、まあそれほど凶暴でないのが幸い。しかし、ここにも謎の中国女性が声をかけてきている。どうやら、山頂にある旅館の客引きらしい。ここでは道教寺院<下左、下左中>があり、中に入ったものの、他にすることは展望のよいところで写真を撮るくらいである。ということなので、学生時代の仲良しという、Uさん、Oさん(註6)記念撮影<下右中>。再び、ロープウェイ乗り場(註7)に引き返す。今度は、最前部に乗り込むことができ、下の眺め<下右>がよかった。(註6…Uさんと大学時代の同窓。Uさんがこの旅に誘ったらしい。その後、どんどん旅に魅せられていったようである。)(註7…子供半額だが、それは身長で決まるらしく、乗り場に線が引いてあった。)

道教寺院 燃えさかる線香 山頂での記念撮影 ロープウェイからの眺め

蒋介石の別荘ホテル

紅珠山賓館 客室 紫で統一されたバスタブや便器 これで全員分の前菜セット

ということで、再び引き返し、バスへ。またもや籠屋が現れるが、しつこいな。再び、ハードサスペンション、エアコンなし、ぎゅう詰めの座席のミニバスでホテルへ。我々の荷物と日本製のバスと運ちゃんは先に到着していたという次第だ。ホテルは、蒋介石(註8)の別荘であったという、紅珠山賓館<上左>。そういう作りであるから、いくつもの棟がある。我々は全員が八楼に泊まることとなる。部屋<上左中>はごく標準的なツインルームであった。バスルーム<上右中>も申し分ない。夕食は、同じ敷地内にある、別棟のレストランへ。箱に入った、四川風前菜セット<上右>から始まり、カエルの揚げ物、土瓶に入ったスープ<下左>などで延々と料理が続いた。食材で動物を象った料理<下右>もあった。今回の食事にはビール代も含まれているので、ほとんど金を使うところがない。(註8…1887〜1975。中国の軍人で、国民党の総統。1949年に中国共産党に破れ、台湾に政府ごと逃亡。このような蒋介石の遺産のようなものは意外にも、けっこう残っているのであった。)

土鍋入りのスープ 動物を象った料理

部屋に戻ると、「マッサージいかがすか?」の電話が鳴る。Hさんと顔を見合わすが、もちろん取り合わず。ということで、どないなマッサージなのかは確かめる術もなかった。また、部屋には、ベープマットが置いてあった。蚊が出るということなのだろう。<Next→雨の大仏とガス袋のバス

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