熱々バンコク・アユタヤを行く〜最終日

迷い込んだ寺院

短かった旅もあっという間に終わる。眠かったものの、宿の主人をたたき起こしドンムアンに向かうという荒技が待っていた。

2003/04/03(Thu:第9日)最終日<バンコク 晴れ 東京 晴れ>

バンコク・ドンムアン国際空港6:10-(NW002)-13:45新東京国際空港

あまり寝付けないようだったが、何とか数時間は眠ることができた。目覚ましで起き、さらには、モーニングコールの電話が鳴った。こちらは、相手は出ずに、機械によるものらしい。すでに荷造りしてあった荷物を持ち、フロントの階に降りる。フロントでは、今まで見たことのない男性がいた。チェックアウトを伝え、送迎サービスの件も訊いてみると、自分が連れて行くので問題ないということだった。

この男性は、昼間のフロントの父親ではなかろうか。そんな気がした。男性はそのままどこかに電話をし、外にクルマを取りに行った。エレベーターが下りてきて、眠そうな表情の中年女性が出てきた。今度はこちらが不寝番をする模様。準備ができたらしい。呼ばれて外に出ると、トヨタのセダン(註1)が待機していた。タクシーなどで使われる、カローラなどのクラスではなく、さらに2クラスは大きなものだ。しかも、タイで初めて見た、オートマチックであった。(註1…マークIIではなかろうか。ちなみに、タイではクルマは日本と同じ左側通行で右ハンドルとなる。海外に輸出する場合、国際仕様となりハンドルが右でも左でもウィンカーがハンドルの左側、ワイパーが右側に来るものだが、タイでは日本と同じ位置である。よってそのまま日本国内仕様のものが来ているのかも知れない。)

クルマは、ホテル前の小道から、通りに面したところを右折すると、そのまま一直線で空港を目指す。ターミナルの位置を訊かれ、「ノースウエストだろう」といわれる。この時間は、そんな客しかいないのだ。クルマは滑るように走る。来たときの、メルセデスもこんなにスピードを出していなかったと思う。おかげで、空港までは、30分もかからずに到着したほどだ。ちなみに、この送迎サービスは、400Bだった。

入り口を入ると、長い列ができていた。確かめると、NWの乗客はここで荷物チェックを行うとのこと。見ていると、一人一人、荷物の中身を開けて確認されている。やがて番が来そうになったが、こちらはいいので、X線のチェックに行くよう列が移動させられる。ここでは荷物すべてを通す。問題なく、これを過ぎ、チェックイン。しかし、その前に、空港職員が日本語で質問してきた。「何か受け取ったものはありますか」「電気製品はありますか」などの簡単なものである。こちらは済んだものの、シートリクエストはすでにいっぱいだという。

イミグレへ。ここはなぜか、空港利用料を払うところで、600Bのチケットを購入する。すでに、空腹が始まっていて、ケンタッキー・フライドチキンを見つけて、バーガーとポテトとコーラのセット<下左>を、105B。まだ手元には、いくらかのバーツが残っていた。たまたま見つけたのが、ドリアン羊羹(註2)210Bだった。(註2…羊羹と銘打っているものの、ドリアンの果肉成分を砂糖漬けにした代物といってよい。羊羹の風味は全くなく、土産といって切って出すとほとんどの人が一切れでもう十分という悪評であった。冗談が洒落にならない土産物である。)

ケンタッキーのセット 朝食としての機内食 ラップされたサンドイッチ 成田のノースウエスト

香港の急性肺炎の影響も合ってか、乗客の一部と空港職員はほとんどが、マスクを着用していた。異様な雰囲気だ。また、だいぶ早く搭乗口に向かうが、ここでも、身体検査と荷物検査があった。ようやく機内の人となり、食事と飲み物以外のときは、ほとんど眠っていた。機内食は、朝食<上左中>と成田到着前に軽食<上右中>が出る。成田到着も、ノースウエスト<上右>の位置はひどくイミグレまで遠い。

外は肌寒い スカイライナーで家路へ

順調にフライトし、日本に到着。この日は、今までのように半袖ではなく、長袖のシャツを着ていた。機内で、ジャケットを取り出して着る。空港から外<上左>に出ると、ちょっと肌寒かった。バスで帰ろうとしたが、やはりスカイライナー<上右>が一番速いか。桜は満開であった。<終わり>


バンコク到着まで バンコク初日 暁の寺と初のタイ料理 アユタヤへ

アユタヤ遺跡三昧 タイの鉄道と猿の町 バンコクショッピング 疲れる英語ガイドツアーと寺院巡り

TOP バンコク・アユタヤ目次 旅行記INDEX

inserted by FC2 system