マレー西海岸ミックスカルチャー旅〜Johor Bahru

ジョホール水道

マラッカの4日間を切り上げ、シンガポールの対岸、ジョホールバルへ。いよいよ旅も後半戦である。

2008/01/01(Tue:第6日)天気いまいちのJB<マラッカ 雨のち曇り ジョホールバル 曇り>

ジョホールバル市内観光(イスタナ・ブサール、アブ・バカール・モスク)
マラッカ・セントラル・バスステーション10:00-(Jabet Ekspres)-12:50ジョホールバル・ラーキン・バスステーション〜The Puteri Pacific Johor Bahru
雨のマラッカ
本日の朝食年が明けた。昨日は中心部で花火が打ち上げられたようだったが、よくわからない。外を見ると、路面が濡れている。1Fでビュフェの朝食<右>。いつものようにお粥であるが、小さなカップではなく、その倍くらいある容器を見つけ、こちらに盛り付け。その他、新しいものとして春巻きを見つけたので、これも取る。
部屋に戻り、荷物をパッキング。チェックアウトし、デポジットのレシートを返却してもらう。コンシェルジェにタクシーを依頼。待機していたものに乗り込む。セントラルまで、12RM。市内から乗ると安くつくらしい。
VIPバスでジョホールバルへ
10:00のバス。やってきたバス<下左、下左中>は、デラックスタイプで、座席は通路を挟み、左に一人掛け、右に二人掛けとなる。自分の席は左側だったが、バスを確認したときに尋ねた乗客が「座席を替わってくれないか」と申し出たので、これを受ける。もちろんシート<下右中>は余裕たっぷりで、飛行機のビジネスクラスのように膝から下の部分にもシートがあり、これが可動する。ただし、バッグの置き場がなくなってしまうので、これは使わない。

デラックスバス バスのシート 足下 再び座席変更

やがて出発するが、間際に乗り込んできた欧米系の男性旅行者二人組みが、席がばらばらになってしまったらしく、やはり変更を申し出られた。再び、左側<上右>へ。このほうが気楽である。
バスは高速へ。その後ノンストップで、ジョホールバルを目指す。音楽を聴いていたが、やがて眠り込んでしまった。気づくとジョホールバルまであとわずかとなっている。乗客はバスターミナルまで行く前に、降りたい人はドライバーに申し出て、適当な場所で降ろしてもらっていたりする。それは、収めた荷物がない場合に限るようだが。中には、高速の料金所を過ぎたあたりで降ろしてもらう人もいたくらいである。
ようやくラーキン・バスステーション<下左>。荷室を開けると、もちろん荷物はあったが、その床がやや濡れていた。空調の水が漏れたようだ。あまり被害はなかったが、座席を交代した外国人旅行者の一人の荷物はかなり湿った状態だった。彼らからもう一度丁寧な礼を述べられる。荷物を持って、タクシーへ。ジョホールバルのタクシーはメーターつき。やや混雑した市内の中心部へ。料金12RM

ラーキン・バスステーション 宿泊した部屋 フリーアクセス可能 もったいないので着用して眠る

宿は、チェックイン時間にまだ早いようだったが、部屋<上左中>をもらえた。フロント部分は新しい感じだったが、部屋はやや古びている。ただし、ルネッサンスにあったすべてのものが用意されているほか、イーサネットのケーブル<上右中>まであり、手持ちのPCがあれば、自由にインターネットを使える。また、クロークにはバスローブ<上右>まである。また、トイレには尻洗い用のノズルがあった。部屋はシングルで予約していたが、ダブルベッドであった。
地味なJB
とりあえず外出する。荷物は1泊だけなので、あまり取り出さずそのままにしておいた。とりあえず、駅方面へ。ホテルから降りていくと、中国寺院<下左>があった。どうということのない寺院だが、参拝客は多い。その斜め向かいには、ヒンドゥ寺院<下左中>があったが、入り口までしかいけず、しかも、ドアが閉ざされている。よく見たら、異教徒は入ることができないという但し書きもあった。

中国寺院 ヒンドゥ寺院 シンガポール行きバス 国境の駅

さらに中心部に向かう。コーズウェイ経由でシンガポールに向かうバス<上右中>が当たり前のようにたくさん走っている。ジョホールバル駅<上右>が見えた。こちらに渡り、シンガポール行きの時刻をチェックする。あまり本数はない。ここからは、荷物を持って、先に歩いていく人が増える。進んでいくと、ここがシンガポールとの国境となっている、コーズウェイ(註1)で、イミグレーション<下左中>があるということがわかった。(註1…Causeway。ジョホール水道に作られた長堤。マレー鉄道と道路がある。)

この先イミグレ メルリン・タワー KFCのセットもの ジョホール州政府

このあたりには、メルリン・タワー<上左中>というビルがある。治安がよくないらしいが、あまりそういう感じもしなかった。そろそろ昼となるが、あまり入りたくなるような店がなく、ケンタッキー・フライドチキンでセットものを昼食<上右中>とする。9.4RM。まあ、満腹はする。天気はかなり悪い。今にも雨が落ちてきそうである。それでも、ジョホールバルの観光を続ける。まず目指すのは、イスタナ・ブサール(註2)という、かつての宮殿である。ジョホール州政府の建物<上右>が見える。なかなか特徴的である。歩いていくと、かなり距離はあった。しかし、途中、インド人街があったり、中国人街があったりして、飽きない。マラッカやバトゥ・パハ同様柱<下左>に文字が刻まれている。中には、アルファベットのものもあったくらいである。低いショップハウス形式の家屋<下左中、下右中>などは、かなり個性的な色使いをしている。(註2…Istana Besar。アブ・バカールが1866年に建設した。)

ショップ・ハウスの柱 色とりどりのショップ・ハウス しゃれたレストラン イスタナ・ブサール

アブ・バカールの置きみやげ
ようやく、イスタナ・ブサール<上右>。ここは、マレーシアにしてはかなり高い料金を取るので、外から眺めたのみ。次には、大回りして、アブ・バカール・モスク<下左>に行く。ここも中には入ることはできない。外から眺めるのみ。ただし、白い外観<下左中、下右中>はかなり綺麗である。また、ここは小高い丘になっていて、ジョホール水道が見渡せる。しかし、ここで、メインカメラのフィルムが終了し、巻き戻しの段階で、電池が弱くなってしまったらしい。終わりかと思い、裏蓋を開けると、完全に巻き戻っていなかった。はじめの数枚は感光してしまった。何てことだ。ここで電池を交換。最後に水場<下右>を眺めていると、アザーンが流れはじめた。これがかなりへたくそで何回もやり直している有様であった。

アブ・バカール・モスク モスクのミナレット モスクの側面 ここで身を清める

ここからは海岸沿いに歩く。しっかり、ジョホール水道を見ておく。コーズウェイは埋め立てた橋であることがわかる。海沿いにはショッピングモールがあったが、すでに営業していないゴーストタウンのような感じであった。
部屋に戻る。横になっていたら、眠り込んでしまっていて、気づくと20:00を過ぎていた。夕食は、ホテルに隣接するSelasihという店に行く。実は、ここも、ホテルから外に出ずに、行くことができるようだったが、この時点では気づかなかった。入ると、いきなりバンド演奏をしていた。

前菜 ナシ・ゴレン オタオタ 飲み物すべてフリー

何とかテーブルを確保し、オタオタとナシ・ゴレンをオーダー。アルコール類がないというので、飲み物はコーラ。元旦からアルコール抜きとなる。豆を揚げたスナックのようなものと、野菜の漬け物のようなものが出てくる。前菜<上左>である。ナシ・ゴレン<上左中>には、サテとエビがついていて、ライスの上には目玉焼きがのる。まあまあの味。しかし、なぜかおかずとなるオタオタ<上右中>をかなり遅れて持ってきた。こちらの味はいまひとつ。料金は50.6RMと、今迄で最も高かった。まだ、リンギットの持ち合わせがあり、結局マレーシアの6日間は20,000円ですんでしまったことになる。部屋に戻るが、冷蔵庫の中身<上右>はすべて無料ということがわかり、いくつかもらうことにした。<Next→マレー鉄道でシンガポール入り>

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