マレー西海岸ミックスカルチャー旅〜Malacca(3)

マラッカ海峡

マラッカ最終日。この日はまだ訪れていないところを中心に回る。そして、大晦日。まさかの紅白歌合戦をマラッカの宿で見て、馬場俊英の姿に勇気づけられた。

2007/12/31(Mon:第5日)海とチキンライス<マラッカ 晴れ>

マラッカ市内観光(ポー・サン・テン寺院、ブキッ・チナ、ポルトガル村、セント・ジョンの砦)〜Renaissance Melaka Hotel
* マラッカはマラッカ海峡の歴史的都市群として世界遺産に登録されました。
大晦日なのか
いまや定番となったお粥2杯の朝食。ただし、このホテルはよほど従業員の教育が徹底しているのか、ちょっと席を離れると、すぐに皿を片付けてしまう。このときは、まだ手付かずだったカップのヨーグルトまで下げられてしまった。しかも、カメラを部屋に忘れた。
部屋に戻り、テレビをつけると、笑福亭鶴瓶と中居正広が出ていた。そうだ。今日は大晦日で、紅白歌合戦があるのだなと思った。今度の紅白には、苦労人の馬場俊英(註1)が選ばれている。ずいぶん前から気になっていたシンガーソングライターで、彼が紅白に選ばれたのはとてもうれしかったのだが、いかんせん、海外に出ているため、これを見るという考えは捨て去っていたのである。カメラが、鶴瓶の後ろを通る馬場俊英を映し出した。そうだ。今夜はこれを見ることにしよう。(註1…埼玉出身のシンガーソングライターで、メジャーデビュー後いったん契約を打ち切られるものの、インディーズから再スタートし、再びメジャー契約した、苦労人。活躍が認められ、第58回紅白歌合戦に初出場を果たす。)
ポー・サン・テン寺院
ともあれ、今日は残った主だったところを回るつもりである。まずは、ポー・サン・テン寺院(註2)へ。ホテル前の通りをマラッカの中心部に向かい、すぐの交差点を左折する。ポー・サン・テン寺院まではたいした距離ではないが、マラッカではあまり歩道が整備されてなく、歩道が途切れている箇所もとても多い。そのため、非常に歩きにくかった。(註2…Poh San Teng Temple。)

ポー・サン・テン寺院 江沢民 ポー・サン・テン寺院 ろうそく

ポー・サン・テン寺院<上左>は1795年に建てられた、比較的古い寺院で、明の特使派遣を記念して作られたそうである。ただし、中に入ってみると、観光客は皆無であるばかりか、地元の参拝客もいない。ただし、寺院の建物の一角には、江沢民(註3)李鵬(註4)がここを訪れた写真<上左中>が掲げられていた。まったくのんびりしている。静かな境内<上右中>には静かに燃えさかるろうそく<上右>があるのみ。スルタンの井戸<下左>というものも、この裏手にあり、行ってみたらごく普通の井戸である。ただし、人が落ちないように、金網で覆われていた。(註3…1926年生まれの中国の政治家。元中国共産党総書記、国家主席。)(註4…1928年生まれの中国の政治家。元中国首相。)

スルタンの井戸 中国人の墓地 かなり古い年代のものである マレーのカタツムリ

誰もいないブキッ・チナ
次に、ブキッ・チナ(註5)という中国人墓地。ここは、丘全体が墓地になっていて、実に無数の墓石が並ぶ。丘というよりは小山のような感じで、ちょっとしたハイキングであった。入り口から早くも墓石<上左中、上右中>が現れる。墓がある以外はほとんど林のような状態で、路上には巨大なカタツムリ<上右>がいたりした。登り詰めて、頂上部へ。ここから反対側に降りていく。いくつもの墓石<下左、下左中>があり、丘の裾野<下右中、下右>まで続く。ここも観光客どころか、人の姿がなく、ちょっと不気味ではある。ここからはもと来た道ではなく、反対側に降りていった。(註5…Bukit Cina。マレー語でブキッは「丘」。チナは「中国人」を意味する。)

整備された墓石 古い墓石 無数の墓石がある 丘の反対側へ

歩道のない車道のわずかな路肩部分を歩く。ここで、水を忘れたことに気づき、トイレにも行きたかったので、結局宿に戻ることにする。インスタントのコーヒーをいれて、出直す。
ポルトガル人の末裔
次は、オランダ人墓地<下左>へ。オランダ広場を裏手から回る。どうということのない墓地であった。次は、ポルトガル村(註6)へ。ホテル・エクトリアル前の道を東に向かう。ここも、実に交通量の多い通りだが、歩道はないに等しい。途中コロニアル風な住宅<下左中>を見つける。そのためかなり時間を要してしまう。ようやくたどり着いたポルトガル村<下右中>である。(註6…Portuguese Settlement。)

オランダ人墓地 コロニアル建築 ポルトガル村入口 クリスマス飾りのあるポルトガル人の末裔の家

マラッカにはポルトガル人が交易を求めてやってきた。そのポルトガル人の末裔はユーラシアンと呼ばれ、集落を形成しているという。明らかに、マレー人や中国人の家屋と違った住宅<上右>が建ち並ぶ。どの家も、クリスマス飾りがある。たまにすれ違う人はかなりマレー化が進んでいたが、たまに、ポルトガル人そのものといった人もいた。

リゾートホテルまである マラッカ海峡と対面 ポルトガル村の海 浅瀬

ここには、ポルトガル・スクエアと呼ばれるところがあり、シーフードレストラン街となっている。ポルトガル・スクエアには、リゾート風のホテル<上左>まであり、正面が海に面していた。目の前はマラッカ海峡<上左中、上右中>。遠くから眺めてはいたものの、初めて海に対面することとなった。浅瀬<上右>では腰まで水に浸かった漁師が網を抱え、何かを採っているようだ。ここで休んでいると、「ジャパニーズ?」と声がかかる。レストランの男であるが、その店はまだ営業していない。
このレストラン街は、夕方から本格的に営業するようで、かなり閑散としていた。ただし、ガイドブックにも載っている、Restoran de Lisbonだけは営業していたので、ここで昼食にする。先客がいて、日本人の夫婦であった。
ひなびたところで、風に吹かれているのが気持ちいい。テーブルはむき出しのコンクリートだが、夜になるとテーブルクロスがかかるのだろうか。メニューは英語であった。タイガービールを頼むが、今はないとのことで、カールスバーグ<下左>に切り替える。缶ではなく大瓶を頼む。グラスではなく、小型のジョッキを持ってきた。嬉しいことに、冷蔵庫で冷やしてあった。

まずはビール ニンジン入りナシ・ゴレン 野菜炒め 衣が厚すぎ

料理は、ナシ・ゴレン<上左中>(註7)野菜炒め<上右中>イカのフリッター<上右>を頼む。家族経営らしく、料理はかなり間をおいて運ばれた。ナシゴレンは、赤く色づき、ほのかにスパイシーである。量はかなり多い。野菜炒めはシンプルな甘酢炒めといった感じで、なかなか美味い。ただし、イカだけは、衣が厚すぎてだめである。揚げ物ではなく、シンプルに網焼きしたものか、ボイルしたものにすればよかった。(註7…Nasi Goreng。マレー風焼き飯。ちなみに、インドネシアでも同じ表記と発音。)
ポルトガルという言葉に弱いので、来てみたものの、ポルトガル人の末裔が作る料理はかなりマレー化している。ワインなどは置いていない。一部の料理には、ポルトガルのエッセンスがこめられているともいうのだが。料金は31RMである。ただし、ビールが14RMしたので、単品ではかなり安いと思った。
ポルトガル・スクエアを出て、リゾートホテルの先を歩いてみると、海に突き出たボードウォーク<下左>があり、ここに釣り人がいた。先端まで行ってみたが、あまり海の色は綺麗ではない。

ボードウォーク オランダが築いた砦 ここも人気なし 中華系の菓子屋

このあと、道を探しつつ、セント・ジョンの砦<上左中、上右中>(註8)まで行く。ここも観光客は皆無。静かなものである。ただしかなり暑い。これで観光を切り上げ、歩いて戻る。途中しゃれた菓子屋<上右>の建物を見つける。コンビニで飲み物を買い、テレビを見る。(註8…St. John's Fort。オランダが築いた要塞跡。)
紅白をマラッカで見る
結局、馬場俊英の出番は20:00過ぎであった。それまで、部屋から夕陽<下左>を眺める。この日の夕陽が一番綺麗であるが、ガラス越しに撮った夕陽はどんな風になっているだろうか。まず鶴瓶と内藤大助<下左中>が登場する。馬場俊英の紹介なのであった。さあいよいよ馬場俊英<下右中、下右>の出番である。馬場俊英の出番をしっかり見て、夕食へ。

部屋から眺める夕陽 2007年の顔 イントロ サビのシャウト

マラッカ名物のチキンライス
ホテルの近くには、Famosa Chicken Rice Ballというチェーン店があった。海南鶏飯(註9)を食べさせる店である。ここは、チャイナタウンにも店があり、そこはいつでも混雑していた。こちらは、かなり空いているが、家族連れが食事をしていたりする。どちらかというと、ファミリー・レストランのような感じである。店は、古城鶏飯粒という漢字名もあるが、鶏という字は日本のフォントにないものである。(註9…中国の海南島出身者が伝えたとされる料理。鶏をゆでたスープでご飯を炊き、ゆでた鶏肉とともに味わう。タイのカオマンガイやカンボジアのバーン・モアイとまったく同じもの。ちなみに、マラッカではご飯を丸く固める。)

チキンライスセット ご飯を丸めてあるのがマラッカ風 癖になる味 もやし炒め

ローストダックとご飯<上左、上左中>豆腐のオイスターソース掛け<上右中>もやし炒め<上右>と緑茶を頼む。緑茶はなんとティーバッグである。待望のチキンライスだが、ここのものは、ご飯をおにぎりのように丸く固めてある。インディカ米なのに、よくやるものだが、これがマラッカ風らしい。確かに、ご飯はこれだと食べやすい。ローストした肉も美味しい。豆腐も温かく、これまた美味しい。全体的に低料金なのだが、税金も付いて、14.85RMであった。店を出掛かると、もう店じまいの準備をしていた。
いよいよ明日はジョホールバルへ。<Next→天気いまいちのJB>

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