マレー西海岸ミックスカルチャー旅〜Malacca(2)

マラッカの夕焼け

マラッカ滞在2日目。マラッカの観光名所をくまなく歩こうとしたが、暑くて途中で切り上げる。その代わり、夕方より夕陽を望む。

2007/12/29(Sat:第3日)赤い町並みとマラッカの夕陽<マラッカ 晴れ>

マラッカ市内観光(セント・ピーター教会、カンポン・フル・モスク、青雲亭寺院、オランダ広場、スタダイス、サンチャゴ砦、セント・ポール教会、海の博物館)Renaissance Melaka Hotel
* マラッカはマラッカ海峡の歴史的都市群として世界遺産に登録されました。
何でもありのビュフェ
目覚ましで起きる。1FのSummer Fields Cafeというところが、朝食<下左>を取る場所である。ちなみに、マレーシアとシンガポールでは、建物の階数は日本と同じようにカウントする。部屋のドア下には、マレーシア発行の英字新聞が差し込まれていた。パキスタンのベナジール・ブット(註1)暗殺のニュースが飛び込む。(註1…Benazir Bhutto。1953-2007。パキスタンの元首相。同国初の女性の首相。父も元大統領後首相だが、クーデターにより処刑。ベジナールも国を追われたものの、2007年に帰国し、総選挙を前にして凶弾に倒れた。)

ビュフェの朝食 白粥にトッピングを 饅頭

1Fに降りる。寝静まる自分の部屋のあるフロアだったが、こちらはかなり混雑していた。デスクで部屋番号を申告して入場。席を決めたら、あとはビュフェスタイル。一通り見て回り、サラダ、ハム類、お粥<上中>、蒸籠に入った餡入り饅頭<上右>、パックのヨーグルト、スイカジュースをチョイス。一度では無理で、何度か取りに行く。コーヒーは従業員がサーブする。
お粥は、白粥でトッピング類を自分で選ぶ。ピータン、小魚の干物、万能ねぎなどを入れて、中国醤油で味付けする。饅頭は肉入りと餡入りであった。ピリ辛の赤と甘い黒に近い色のたれをつけて食べる。まあ、満足した。
ジャランジャラン
今日は、マラッカの主要なスポットをすべて回るつもりで出る。リュックには部屋においてあったフリーのミネラルウォーターを入れた。まずは、近くにあるセント・ピーター教会<下左、下左中、下右中>(註2)へ。ここは、1710年建設と、マラッカに現存するカトリック教会の中では一番古い。だが、残念なことに、扉が閉まったままであった。まだ早すぎたのかもしれない。(註2…St. Peter's Church。1710年にポルトガル人が建てた。)

敷地の中の手前の建物 セント・ピーター教会 道路沿いには十字架が

次には、マラッカ川沿いに出て、ビラ・セントサ<上右>(註3)と呼ばれるマラッカ建築の家へ。ただし、中には入らず、外から眺めるにとどめる。なかなか美しい家であった。(註3…Villa Sentosa。20世紀初頭に建てられた家でプライベートミュージアムとして入場できる。特に入場料はないらしいが、ガイドブックには寄付をするように書かれている。)

曰くありげな家屋 人気のない遊園地 カンポン・フル・モスクのミナレット 清めの水

ここからチャイナタウンに行きたかったが、詳細な地図がなく、マラッカ川沿いに下流へと進む。バリ島にあるような祠のある家屋<上左>があった。なんだかよくわからない。しばらく進むと、がらんとした場所に出る。元のバスターミナルだったところらしい。観覧車<上左中>があり、遊園地となっていたが、人気はほとんどない。道は途切れていたりしたものの、何とかつなぎ合わせて、カンポン・フル・モスク<上右中、上右、下左>(註4)へ出た。ここは内部に入ってみると、敷地いっぱいに建物が建ち、結局外から眺めたほうがよかったりする。靴を脱いで建物の中に入ることもできるが、中央のミフラーブのある広間は異教徒は入ることができない。水をたたえた水槽のようなものがあったが、水は緑に変色していた。そこから、水をくみ清めに使っているムスリムもいる。(註4…Kampong Hulu's Mosque。1728年に建てられた、現存するマレーシア最古のモスク。)

カンポン・フル・モスク カンポン・クリン・モスクのミナレット 中国人のショップハウス 青雲亭寺院

チャイナタウン
そのまま進むと、カンポン・クリン・モスク<上左中>に出た。右に曲がると中国系のショップハウス<上右中>が続き、その先が青雲亭寺院<上右、下左>(註5)である。紛れもなく、チャイナタウンにある中国寺院。線香の香りが漂うところである。裏手へと続く扉には「慈航」と「普濟」という文字<下左中、下右中>が描かれていた。意味は全くわからない。(註5…Cheng Hoogh Teng Temple。1646年に中国から運ばれた資材で建てられた中国寺院。)

線香の香りに包まれる 扉の文字 意味不明 石碑の部屋

文字の書かれた扉を進むと、文字の刻まれた石碑<上右>があった。拓本でも取れそうである。内部はかなりの参拝客がいた。さらに進むと、本堂の裏手となり、そこには小さな山水<下左>の世界が。一通り回り、内部も暗い部分はデジカメで撮影。すると、中国人ではない僧侶の集団<下左中>がやってきたりもした。入り口近く<下右中>には何かの実が干してあった。ここは、明の時代に運ばれた建築物で建てられた寺院らしい。

ミニ山水 西洋人の僧侶か 食べ物だろうか 中国寺院

青雲亭寺院を出たが、その向かいも中国寺院<上右>。当てもなく進むが、アーケード<下左>のようなものが現れる。その先には小さな廟<下左中>があった。紛れもなくチャイナタウンである。再びジョンカーストリートを歩く。だが、この時間帯は、この狭い通りが、クルマの抜け道となっていた。かなりの混雑。通りの建物<下右中、下右>を中心に撮影する。紛れもなく、中国風の建物だが、色遣いなどが中国にはない感じで、これこそが、プラナカン(註6)の文化なのだろうか。また、建物に取り込まれてしまったような寺院とも廟ともつかないものもあった。よく見ると福建会館とある。途中両替商を見つけ、10,000円を両替。これで当面の金の心配は要らない。(註6…Peranakan。中国にルーツを持ち、イスラム教に改宗することなく、中国の文化とマレーの文化を受け継いできた子孫の総称。要するにマラッカ王国にやってきた中国移民であるが、第一世代、第二世代は地元マレー人女性と結婚したという。それ以降は、プラナカンのコミュニティを作り、中国人同士の結婚を守ってきたという。プラナカンのうち、男性をババ、女性をニョニャと呼ぶ。)

アーケード 廟 瀟洒な建物 福建会館

橋を渡り、オランダ広場<下左>へ。まずは、マラッカ・キリスト教会<下左中>(註7)に入る。しかし、内部は撮影禁止であった。タイルで作られた「最後の晩餐」があるというが、あまり興味がわかない。このあたりの風景を中心に撮る。階段を上るとスタダイス<下右中>。ここも中には入らず、外から眺めるのみ。とにかく、初めての土地では、写真を撮りまくって行くのが自分流で、内部見学している時間が惜しいのである。その内部も撮影できるとは限らないので、どちらかというと、博物館などはあまり見学しない。(註7…Christ Church Melaka。オランダ統治時代に建てられたプロテスタント教会。)

時計塔とトライショー マラッカ・キリスト教会 スタダイス トライショー

丘周辺
スタダイスからの道には、トライショーの観光コースらしく、にぎやかな音楽をならしながら、トライショー<上右>が何台も通る。ちょっとした公園があり、なぜか、マレー鉄道(註8)車両<下左>と、プロペラ機<下左中>が静態保存されていた。(註8…Keretapi Tanah Melayu。通称KTM。西海岸線と東海岸線があり、西海岸線はパダン・ブサールからクアラルンプールを経て、ジョホールバルへと延びる。タイ、シンガポールとも結ばれていて、国際列車も走っている。シンガポール国内のマレー鉄道は、マレーシアの領土ということになっているらしい。)

静態保存のマレー鉄道の車両 なぜかプロペラ機 サンチャゴ砦 別名ファモサ

丘をぐるっと回り、サンチャゴ砦<上右中、上右>(註9)へ。ここはファモサとも呼ばれている。かつてポルトガル人が築いた砦であるが、あっけないほど小さなものである。さすがにこのエリアに来ると、観光客だらけで、シャッター押しを頼まれたりする。その代わり今回はなんと、自分の記念写真はなし。(註9…Porta de Santiago。別名A Famosa。1511年にオランダとの戦いに備えて、ポルトガルが築いた。)

教会とザビエル像 教会内部 並ぶ墓石 マラッカ海峡を望む

階段を上がり、セント・ポール教会<上左>(註10)へ。教会と書いているものの、ここは現役ではなく、屋根などは崩れ落ちてしまっている。しかし、ここは一時期、ザビエルの遺体が安置されたこともあるという場所だ。内部<上左中>には、かつて葬られた人物の墓石<上右中>がずらりと並んでいた。この丘からはマラッカ海峡<上右>が見えた。ここで夕陽を撮るのも悪くない。丘の一角にはザビエルの像もあった。(註10…St. Paul's Church。1521年ポルトガル人によって建てられた教会跡。ザビエルの遺体はここに9ヶ月間安置された。)

マラッカ王朝への朝貢する人々 マラッカ王との謁見 王朝の兵

階段を下りてマラッカ・スルタン・パレス<上左>(註11)へ。入場料2.0RM。内部は靴を脱ぐらしく、スーパーの袋のようなものを受け取る。木造建築がなかなか美しい。内部は、撮影禁止ではなく、ジオラマ<上左中、上右中、上右>を使ってマラッカの歴史などを展示してある。建物を出て、庭園へ行ってみた。すると、マハティール元首相(註12)記念碑<下左>があった。(註11…Malacca Sultanate Palace。マレー王統記の記述を元に復元された木造建築。)(註12…Dr. MAHATHIR bin Mohamad。1981-2003までマレーシア第4代首相。

マハティールの記念碑 マレーシア独立宣言記念館 アブドゥル・ラーマンのクルマ 忽然と現れるガレー船

地上の船
その隣の独立宣言記念館<上左中>(註13)は入場無料。ただし、内部の撮影は禁止である。いちいち説明は読んでいかないが、ビジュアル的になんとなくわかる気もする。また、日本占領時代の展示ももちろんある。このあたりは、アジアを旅していて、やや恥ずかしくもなる瞬間だ。独立宣言記念館の周りには、軍用車などの展示もしてあったが、ひときわ目をひくのは、フェンスで囲まれたクラシックカー<上右中>である。これは、初代首相のアブドゥル・ラーマン(註14)がパレードをしたものらしい。このあたりでそろそろ昼食かと思ったが、さらに歩いていくと、海の博物館<上右>(註15)へと出た。大航海時代の船の形がそっくり博物館である。入場料3.0RM。ここも、袋をくれる。マラッカ・スルタン・パレスとまったく同じ袋である。この袋は特に回収しないので、マラッカ・スルタン・パレスでもらったものを使う。こちらは後で捨てるとしても、新しいものは何かに使えるだろう。(註13…Proclamation of Independance Memorial。かつてのマラッカクラブで、ここでマレーシアの初代首相、アブドゥル・ラーマンが独立宣言を発した。)(註14…Tunku Abdul Rahman。1957-1970マレーシア初代首相。マラヤ連邦独立時の首相。)(註15…Samudera Museum。斜向かいの海軍博物館と共通チケット。)

船の上 海の博物館のジオラマ 海の博物館

船は靴のまま上がることができる。船上<上左>には、ブロンズで作られた人間の像が並び、船の作業を模してあった。船室が展示室であった。ここの展示室は靴を脱ぐことになる。人気があるのかかなりの人がいた。展示室にはここでもジオラマ<上左中>で説明してある。ここでもシャッター押しを頼まれた。船の内部も面白かったが、さらに別館がある。こちらにもジオラマがあったが、小さなボート<上右中>なども実際に展示してあった。最後に、20mmレンズに付け替えて、ガレー船<上右>を撮す。
ニョニャ料理
ようやく昼食にする。かなり巨大なフードコートも合ったが、落ち着いて食べたいので、ムルデカ通りとマコタの間にあった、ニョニャ料理(註16)店のCottage Spicesという店へ。カフェのようなつくりだが、地元の人もかなり入ってくる。ご飯とサンバル・シーフード・ミックス<下左、下右>、アイスティをオーダー。料金を見るとかなり安いが、それでもクレジットカードが使えるようだ。(註16…プラナカン料理。イスラムとは無関係なので、豚肉を使った料理もある。)

ニョニャ料理 シーフードのサンバル炒め

料理は出るまで時間がかかった。アイスティはすぐに出た。スタバのような店の名前入りの使い捨て容器に入ったものであった。サンバル・シーフードははじめイカのみを希望したが、これはできずにミックスとなった。こちらは、エビとイカが入る。サンバル(註17)の名前の通り、かなりの辛さだ。しかし、タイ料理のように極小の激辛唐辛子は使っていないので、腸に刺激はなさそうだ。事実その通りであった。今まで食べた各国の料理の中でもこれは一番辛いと思う。だが、美味しい。癖になりそうである。そして、料金は15.8RM。気軽に味わえる料理である。(註17…Sambal。マレー料理やインドネシア料理に使われる、辛味調味料。)
疲れた
午前中かなり濃密に歩き続けたためか、疲れてしまい、宿に引き返す。マラッカではあまりコンビニを見つけられなかったが、宿の近くにはセブンイレブンがあった。ペットボトルの冷えた紅茶を購入。そのあと部屋でテレビを見ながら休む。なんと、サッカー天皇杯の準決勝、鹿島vs川崎が流れていた。
やはり、足がだるく、バスタブにお湯を張り、つかる。幾分軽くなったような気もする。このあと、残ったところを回ろうかとも思っていたが、かなりフィルムも撮ったので、本日はこれで終了。その代わり、セント・ポール教会の丘に行き、夕陽を撮ることに決めた。
マラッカの夕焼け
セント・ポール教会<下左>は、夕陽を眺めるのに最適な場所らしく、かなりの観光客が海峡側に鈴なりになっていた。夕陽は残念ながら、雲に隠れてしまった。その代わり、雲の隙間から空がかなり赤く焼けていた。夕焼け<下左中>である。いい具合に撮れているといいが。また、ここはやはり夕陽を眺めるポイントらしく、こんな時間になってもかなりの観光客がいた。ある程度撮って満足し、トワイライトのスタダイス<下右中>オランダ広場<下右>ではGR DIGITALで手持ち撮影。いい感じである。

マラッカの夕焼け 夕刻のスタダイス 夕刻のオランダ広場

そのままチャイナタウンにある、Best Cafe Chin How Kopitiamという食堂へ。タイガービール<下左>の缶と、ナシ・パンダン<下左中>(註18)サテ<下右中>(註19)10本をオーダー。サテはチキンとビーフが選べるが、店の人が5本ずつにしてくれた。ナシ・パンダンはご飯の上に目玉焼きがのり、その周りを各種のおかずで取り囲んだものである。まあ、インドネシアのナシ・チャンプルと同じだ。マレーシアのサテもピーナッツソースで味わう。サラダは頼まなかったが、ナシにもサテにもキュウリやタマネギがついていた。また、サテの皿には白いものがあったが、食べてみるとご飯を押し固めたものであった。ここも、辛いが美味い。ビールの分がちょっと高いのか、25RMであった。店を出て川沿いを歩くが、マラッカ川<下右>もライトアップされていた。(註18…Nasi Pandan。インドネシアのナシ・チャンプルと同様のもの。)(註19…Satay。肉を串刺しにして焼いたもの。まさに焼き鳥と同様。)<Next→金子光晴の愛した地>

タイガービール ナシ・パンダン サテのミックス 夜のマラッカ川


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