マレー西海岸ミックスカルチャー旅〜Malacca(1)

マラッカ・キリスト教会

シンガポールにたった1泊。朝食を食べたら、マラッカ行きのバスに乗り込んでいた。いよいよあこがれのマラッカへ。

2007/12/28(Fri:第2日)来たぜマラッカ<シンガポール 晴れ マラッカ 曇り>

マラッカ市内観光(聖フランシスコ・ザビエル教会、チャイナタウン)
シンガポール・マレーシア・コーチターミナル10:30-(Delima)-15:20マラッカ・セントラル・バスステーション〜Renaissance Melaka Hotel
* Delima=Delima社バス
* マラッカはマラッカ海峡の歴史的都市群として世界遺産にジョージタウンとともに登録されました。
プロウン・ミーの朝食
朝は目覚ましをかけていたが、何とか起きる。ハーフパンツとTシャツで朝食を食べに出る。ホテルでは食事を提供していない。フロントで鍵を渡すと、チェックアウトかどうか確認された。まあ、背中にリュックを担いでいるからだろう。もちろん答えはノーである。
プロウン・ミー朝のゲイランは雑多な人たちで混みあっている。ストリートガールの姿はないようにも感じたが、食堂の客の一部はそんな感じもしないでもない。ともかく、麺を出す食堂でプロウン・ミー<右>(註1)を指差して注文した。まだきちんと着替えていないし、サンダル履き、コンタクトレンズをつけてなく、メガネのままというスタイルで、どうやら一部のチャイニーズ系にも見えるらしく、中国語で話しかけられたりもする。(註1…蝦麺/Prawn Mee。エビをたっぷり使った中国系の麺料理。スープタイプとドライタイプがある。)
ブラウン・ミーというのは、名前の通り、エビの入った麺である。唐辛子の漬け込まれた液体が入った小皿も添えられる。これを入れるとピリ辛になるが、やはり美味しい。麺は、太目の小麦粉麺でラーメンのような感じである。量は少なめ。ただし、どんぶりの大きさを選べるらしい。この麺は中サイズで3.0SGDであった。値段は英語で尋ねると、英語で答えられた。
ラベンダーへ
宿に戻り、荷物をパッキングしていよいよマラッカに行くことにする。チェックアウトし、最寄のMRT(註2)の駅までの道を聞く。教えられたとおり、大通りに出てこれを横断すると、MRTの高架が見えてきた。最寄り駅は、アルジュニード(註3)であった。(註2…Mass Rapid Transit。シンガポールの高架鉄道であり地下鉄。SMRTとSBS Transitにより3路線が営業されている。空港にも乗り入れている。普通乗車券には1.0SGDのデポジットがあり、払い戻し可能。車内や駅構内ではマレー語、英語、中国語、タミル語の4カ国語表記。車内へのドリアンの持ち込みが禁止という面白い決まりもある。)(註3…Aljunied。)
目指すのはラベンダー(註4)。ちょうどここから2駅である。チケットは自動券売機で購入。運賃は0.9SGDだが、デポジットの1.0SGDが追加される。チケットは、SUICAやパスモのように、センサーの上をかざすだけで改札を通過できる。かなり厚みがあり、これにICチップが入っているのだろう。香港と同じように、チケットをバッグや財布に入れたまま、それらをセンサーにかざし通過するのが地元流か。(註4…Lavender。)
電車はすぐにやってきた。すでに通勤時間帯は過ぎているのか、まあすいているか。ただし、空席はなかったが。MRTは次の駅までは高架を走っていたが、すぐにトンネルに入り、ラベンダー到着。改札を出て、残ったチケットを自動券売機に再び入れて、デポジットの1.0SGDを受け取る。
この旅に出る前、マラッカにおそらく一番詳しいTony's Netというサイトを調べてきた。このラベンダー通りにマラッカ(註5)直行のバスターミナルがあり、地図をプリントアウトしてきたのである。駅で通りの位置を確認しそちらに出る。しばらく歩くがバスターミナルらしいものは確認できないが、まあ歩き続ける。すると上のほうから、「ヘイ!」という声が聞こえ、見上げると、おじさんがあっちだと指をさしている。見ると、バスターミナルらしいものがあった。リュックを担いでいるので、旅行者だと判断したのだろう。(註5…Malacca/Melaka。マレーシア、マラッカ州の州都。州人口は71万人。)
マラッカ直行バス
バスターミナルというよりは、バス駐車場というような野ざらしの場所で、プレハブの建物がチケット売り場であった。どの会社もマラッカ行きがあるようで、ともかく一番早い時間のものを当たるが、これは満席。隣の窓口でその30分後の便を当たると、チケットをゲットできた。10:30発、Delima社のマラッカ行き。16SGDであった。

Delimaのバス バスの内部

しばらく時間があり、荷物を降ろして休む。汗がどっと出ている。やがて赤いボディのあまり大きくないバス<上左>が登場。自分の乗るバスであった。チケットを見せ、荷物を預け、座席<上右>へ。幸い隣は誰も来なかった。乗車率は50%程度。
指紋押捺、飯も食えん
バスは少し遅れて出発。乗客は中国人とマレー人ばかり。やや中国人のほうが多い。シンガポール市内を1時間ほどかけて国境のイミグレーションへ。全員降りて、イミグレへ。ここは何もなかったものの、前の座席の中国人男性と自分だけは、別室へ来いという。何かと思ったら、機械の前で両方の親指の指紋を撮られた。理由不明。
再びバスへ。橋を通過し今度はマレーシア側のイミグレーションへ。みんな用意がいいようで、マレーシアの出入国カードをすでに記入して持っていた。ややあせり、ここの係官に出入国カードをもらい、殴り書き。するとまた呼ばれた。「これはあなたの荷物か?」その通りであった。なんと、ここでは預けた荷物を持ってイミグレを通過するのである。やれやれ。
ここも無事通過し、バスへ。再び荷物を預け、ようやく落ち着く。ここからは手持ちの音楽を聴いてすごす。左側の座席で、次第に減っていくマラッカへの距離を眺めつつ過ごす。乗客はほとんどカーテンを閉めてしまうので、外の景色があまり見えないのである。天気はいまひとつであった。
マレーシアのイミグレーションからすぐに高速に入っていた。バスはまったくスピード感がなく、道路もやや混んでいるようにも思う。昼ごろ不意にバスは高速を出て、一般道に面したドライブイン<下左>のようなところに入り休憩となった。内部はスーパー併設のフードコート<下左中>のような作りであった。まったくマレーシア・リンギット(註6)を持っていないので、ここでは何も食べることはできない。ただ眺めて過ごす。乗客はここでも用意がよく、マレーシアの通貨を持っているようだった。ただ、一組のカップルのみが何も買わずにぶらぶらしていた。外は曇っているがかなり暑い。(註6…Ringgit。以下RMと表記。マレーシアの通貨で補助単位はSen。1RM=100Sen。)

食事休憩 何も食べられない マラッカ・セントラル 10マレーシア・リンギット

休憩が終わり、マラッカに向けて出発。ドライバーは人数の確認をしているので、取り残されることはないだろう。ここからまた2時間ちょっとかかり、マラッカ市内へ。高速を降りると渋滞であった。マラッカ・セントラル・バスステーション<上右中>(註7)。かなり巨大で出口はわかったものの、まずはここで両替<上右>しておく必要がある。両替所は1つだけで、レートもいいのか悪いのか不明。とりあえず10,000円をキャッシュで換えておく。283RMが戻る。(註7…Malacca Sentral。バスターミナルのみならず、ショッピングセンターのような役割がある。)
ルネッサンス・マラッカ
荷物があるのでタクシーを使う。マラッカのタクシーはメーターがなく、ブースで行き先を告げて乗り込む。ここで料金を伝えられる。15RMであった。タクシーは15分ほどで宿泊先のルネッサンスへ。50で支払うと釣りがなく、ドライバーは細かくしてもらいに行く。ちょっと時間がかかったが、その前にベルボーイが荷物を持っていってしまう。
釣銭を受け取り、荷物の確認。戻してもらいフロントへ。19階の部屋をもらう。このホテルは20階以上あり、あまりマラッカらしくない。エレベーターは4基あり、比較的動くのが早い。これならあまり問題ない。

ベッドルーム 客室

部屋<上左、上左中>は、ツインのシングルユース。ダブルベッドが二つあり、かなり広い部屋である。テレビはNHKも映った。冷蔵庫があるのがありがたい。また、クローゼットの中には、自分で暗証番号を決めるセーフティボックスがあったが、使うことはなかった。冷蔵庫の上には湯沸しとインスタントのコーヒーとティーバッグがあった。とりあえず、昨日着ていた服を洗濯する。バスルーム<上右中、上右>も十分に広い。
聖フランシスコ・ザビエル教会
部屋はマラッカ海峡<下左>側に面していた。ここから特徴あるファサードの教会が見えた。聖フランシスコ・ザビエル教会<下左中>のようであった。これを確認し、外出。まずはスタダイス(註8)とザビエル教会を目指す。しばらく歩くと、インド人の多いあたりに出た。建物はショップハウス形式で、歩道に面したところに商店が入っている。歩道は二階の建物がふさぐようになっていて、雨が降っても濡れることはない。歩道と二階の間には柱があり、ここに贅沢にも商店の名前などが漢字で彫られている。今までの鬱憤を晴らすように、写真を撮りまくった。(註8…Stadthuys。1650年、オランダ東インド会社の総督が居住するためにたてられたもの。)

マラッカ海峡に面した部屋 聖サンフランシスコ・ザビエル教会 結婚式のクルマ 聖フランシスコ・ザビエル教会内

教会に到着すると、新郎と新婦がいた。結婚式のようである。クルマ<上右中>も飾り立てられている。それでも内部<上右>には入ることができた。ステンドグラスが綺麗である。敷地内には、ザビエル(註9)やじろう(註10)という名の日本人の像<下左>があった。(註9…Francisco de Xavier/Francisco de Gassu y Javier。1506-1552。現在スペインのナバーラ州に生まれたカトリック宣教師で、イエズス会の創設メンバーの一人。ゴア、マラッカを経て日本まで布教した後、中国への布教途上に急死した。遺体はマラッカで埋葬された後、ゴアに送られた。死後、聖列され、St.が冠される。)(註10…別名あんじろう、アンジェロという名を持つ日本人。カトリックに改宗し、日本までザビエルを案内した。)

ザビエルとやじろうの像 オランダ広場 マラッカ・キリスト教会 トライショーのたまり場

その後、オランダ広場<上左中>へ。マラッカ・キリスト教会<上右中>とスタダイスがある。このあたりはトライショー<上右>(註11)のたまり場のようである。マラッカのトライショーは花で飾られていてなかなか絵になる。オランダ広場には時計塔<下左>があり、このあたりは別名クロック・タワーとも呼ばれている。(註11…Trishaw。自転車の脇に二人乗りの客席をつけた交通手段。マラッカのトライショーは花で飾られている。)
チャイナタウン

クロック・タワー マラッカ川 ジョンカーストリート チャイナタウンの路地

マラッカ川<上左中>に架かる橋を渡り、チャイナタウン<上右中、上右>へ。マラッカ川ははっきりいって汚い。ジョンカーストリートを冷やかし、フードコートのようなところで遅い昼食。コーラ<下左>ニョニャ風シーフード・ラクサ<下左中>を頼む。注文したものと料金は引き換えらしく、5.0RMであった。ラクサ(註12)はココナッツミルクの入った麺である。ココナッツミルクには赤いものも浮いていてかなりスパイシーであった。だが、美味い。麺はここも小麦粉麺であった。料金は安いと思うが、タイのクイッティオやバーミーなどと比べると高い。また、この店のテーブル<下右中>は古い足踏み式のミシンを改造したものであった。観察しているとそれぞれメーカーが異なった。(註12…Laksa。マレーシアやシンガポールの麺料理で、スパイスがふんだんに使われている。スープはココナッツミルクがベース。)

氷がぎっしり ラクサ ミシンを改造したテーブル カンポン・クリン・モスク

このあと、カンポン・クリン・モスク<上右、下左>、隣のスリ・ポタヤ・ヴィナヤガ・ムーティ寺院<下左中、下右中>というヒンドゥ寺院を覗き、宿に戻る。モスクにはほとんど人気がなく、子供の遊び場となっていた。モスクは本格的なアラブ様式ではなく、どこか中華風にも見える。ヒンドゥ寺院は靴を脱いで入場。内部には灯明を捧げた人物が捧げものを持って回る。ヒンドゥ寺院の隣は中国の廟<下右>であった。まずは偵察のようなものだ。それでも何とか1本撮りきる。ジョンカーストリートでは露店の準備中のようであった。ガイドブックを調べると、週末は露店街となるらしい。

モスクのミナレット ヒンドゥ寺院 ヒンドゥ寺院内部 廟

ということなので、夕食はここでとることに決め、一眼レフには50mmレンズをつけて出かける。夕食はHarper's Restaurantへ。マラッカ川<下左>沿いのテラスに席を取る。店内は混雑していたものの、川沿いの席は静かであった。

夜のマラッカ川 タイガーをグラスで かぼちゃスープ ひよこ豆サラダ

タイガービール<上左中>カボチャのスープ<上右中>ひよこ豆のサラダ<上右>、ビーフのテンダーロインステーキ<下左>を頼む。なかなかお上品な味だったが、TAX込みで54.05RMとなかなかの値段であった。

テンダーロイン ジョンカーストリートの夜市 赤い町並み 聖フランシスコ・ザビエル教会もライトアップ

ジョンカーストリート<上左中>はかなりの賑わいであった。人が多すぎて思うような写真を撮れない。大道芸のようなものも出ていた。オランダ広場は赤くライトアップされていた。しかし、暗いために手持ちで一眼では無理である。デジカメの感度を上げて赤くライトアップされた町並み<上右中>を撮す。聖フランシスコ・ザビエル教会<上右>もライトアップされていた。<Next→赤い町並みとマラッカの夕陽>

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