アジアとヨーロッパの間で・冬のトルコ〜サフランボル編

アラスタ・パザール

髭男と2日間を過ごした後、バスでサフランボルへ行く。問題なのは、バスが新市街に着くことでそこから旧市街へは離れていることなのだが。

2002/12/28(Sat:第3日)初めてのバス移動<イスタンブル 晴れ イズミット 晴れ ボル 晴れ サフランボル 曇り>

イスタンブル・エセンレルオトガル9:30-(metro otobus)-16:30サフランボル・クランキョイ-(Taxi)-サフランボル・チャルシュ〜Hotel Teras

この日はいよいよ、バスを使ってサフランボルへの移動。ホテルのビュフェの食堂がオープンするとともに、朝食を食べる。もちろん一番乗り。半分くらいは用意ができていなかったが、しょうがない。8:00チェックアウト。ホテルの電話やルームサービスは使っていないので、何も請求されることはないのだが、髭男も昼のバスなのに、フロントで荷物を預かってもらい、オトガルまでついてきた。

エセンレルでは、ミネラルウォーターを買っておく。500mlのが35万TL。バスはMetro社の裏から出発するらしいが、乗り込んでみるとまだサフランボル行きのバス(註1)が到着していなかった。それまで世間話などをして過ごす。夏にも来たばかりの髭男<下左>は、もちろんバスの乗車経験があり、たいていなんだかんだで、出発時間は少し遅れるものだと教えてくれる。あまりにも暇で写真<下左中>を撮り合ったほどである。それにしても遅く、バス会社の人にチケットを見せて訊いてみると、「ここでよい、来るまでここで待て」みたいな感じだった。(註1…サフランボルへのバスは、大半がサフランボル手前のカラビュック止まりが多い。サフランボルには、オトガルがなく、バス会社のオフィス前で乗降する模様。カラビュック止まりでも、そこから連絡のミニバスがあるはず。)

やつとはここで別れる ロビーにて 小型のテーブル メトロ社のバス内

ほとんど出発時間ぎりぎりに、バスがやってきた。荷物係に荷物(註2)を渡し、いよいよバスに乗り込む。幸い、隣はまだ乗り込んでいない。見ていると、車体の横のMetro社のロゴのシールをはがし始め、新しいのを取り付けている。これでは出発も多少遅れるだろう。当然ながら、座席には収納できる小型のテーブル<上右中>が付き、リクライニングできる。車内<上右>は、スカーフと黒っぽいコートの老女ばかりの人員構成。結局は、9:45くらいに動き出した。(註2…もちろん、バスの車体に荷物を収容してくれる。その時に、行き先を詳しく告げること。ある都市でもオトガルか途中かで、収容する場所が違うからである。この時に、会社によっては、プラスチック製の半券のようなものをもらえることがある。)

トルコのバスは、間食とチャイやコーヒー、炭酸飲料などが振る舞われ、それ専用の係までいる。また、Metro社には、女性のその係の他に、荷物担当と思われる、男性乗務員が運転手の他に2名乗り込んでいた。バスはイスタンブル郊外を走り、すぐさまボスポラス大橋を渡って、アジアサイドのイスタンブルのオトガルである、ハレムに向かうかと思われたが、ドライブインのようなところ<下左>に立ち寄った。ここで菓子パンや飲み物などを仕入れるとともに、数名の乗客を拾っていた。

ここで積み込み ボスポラス大橋から そろそろハレムへ エセンレルより造りは簡素

いよいよボスポラス海峡を渡る。ここは、ボスポラス大橋<上左中>と第二ボスポラス大橋(ファーティフ・スルタン・メフメット大橋)という、長大な吊り橋で結ばれているが、前者を使った模様。この時には無人の隣席に荷物係の男性がなぜか腰を下ろし、こちらに何かを言いたげにしていた。結局、ハレム<上右中、上右>到着も、1時間ほどはかかる。ここでも隣は空席だった。しばらくは、高速を通るが、今度は本格的に荷物係の男性がカメラのことで話しかけ、腰をどっかり下ろす。ついでにナッツ類を手渡され、これを食べることになってしまう。

次の停車は、イズミット。バスが止まると乗客は足を延ばしたり、タバコ(註3)を吸いに外に出る。しかし、何分停車かわからなかったが、荷物係にトイレに行くと宣言して、オトガルのトイレ(註4)へ。トルコの外のトイレはほとんどが有料である。ここでは、35万TLだった。しかし、手洗いの水が出なくて、しばし時間がかかる。バスに戻るとしばらく待たせてしまったようだった。自分の座席には、爺さんが座っていて、なぜかこちらが通路側に移る。(註3…バス内では禁煙。その他、携帯電話も禁止。ヘッドフォンステレオなども音漏れが激しいと、車掌の判断で止められる。また、靴を脱ぐ行為も禁止されている。)(註4…バスによっては、トイレの付いているものもある。)

昼の休憩 ドネルサンド トルコのバスは頻繁に洗車される 山肌には雪が

トルコのバスは、運転手の好みによると思うが、ほとんどトルコのポップスがかかっている。停車が近づくと、アナウンスがあったり、ニュースのようなものに切り替わる感じである。すでに昼が過ぎ、そろそろ腹が空いてきたなと思っていたら、バスは高速を出て、ボルの町あたりを走っていた。周囲は大した積雪ではないが、大地には雪が。バスはまだ少し走り続け、契約のドライブイン<上左>のようなところで止まる。ここで長い休憩があるようだ。ロカンタ(註5)もあったが、テラスのようなところで、ドネルケバブ(註6)が回転していたので、これをサンドイッチ<上左中>にしてもらう。これが、250万TL。これは飽きずに食べられそうだ。そのあとトイレに行き、出発を待つ。バスも洗車<上右中>されている。このあたりも積雪<上右>があったが、それほど寒いわけではなかった。(註5…食堂。レストランよりはやや格が落ちる。)(註6…肉を薄く切ったものを何重にも巻き付けた塊を作り、これを回転させて焼いていくもの。激ウマ。)

再び出発。バスは高速には戻らず、山越えをしているところだ。ここに峠があるらしい。峠を越えると、再び高速に入り、こちらをしばらく走る。そのあと、こちらを降りて、一般道へと。向きも北に向かったようである。積雪はなくなった。川沿いの道だったが、初めてあらわれた大きな町が、カラビュックだった。イスタンブルとサフランボルの間は、このカラビュック止まりのバスが多いらしい。Metro社のこのバスも、フロントのところに、カラビュック行きのような表示があったので、結局乗り換えるのかと、外に出ると、ここのオトガルの人に肩をたたかれた。「サフランボル、ディス・オトビュス」これに乗っていろというようだ。

事実、スカーフの老女の集団はここでぞろぞろと降りていった。終点まで乗るのは半分くらいになった。バスは緩やかな坂を上り詰めて、次に現れた町が、サフランボルであった。振り返ると、斜め後ろにいた女性が、「イエス、サフランボルl」と頷いてくれた。気にかけてくれたらしい。しかし、ここは新市街で泊まるのは旧市街と決めている。荷物を取り出していると、背後に気配が。タクシードライバーが待ちかまえていた。

まあいいかと、このタクシーに乗る。「チャルシュ広場」といったつもりなのだが、どうも通じていないらしい。それでも、旧市街方面には向かっているらしい。ガイドブックを取り出し、地図上のチャルシュ広場を指さし、理解した模様。そこまでは、400万TL。すでに日は暮れかけ、あまり遠くまで歩きたくない。振り返ると、あらかじめ見当をつけておいたうちのひとつ、Hotel Terasの看板が眼にはいる。歩いて1分もかからない。ここにしよう。

ドアを開けると、人の気配がなかったが、ドアに鈴がついていて、上から主人が降りてきた。泊まりたい旨を告げると、部屋を見せてくれる。入り口では、靴を脱ぐ、典型的なトルコの民家(註7)だ。ここは、古い民家をホテルに当てたもので、広い部屋にベッド<下左>が二つとテレビ<下左中>などが目に付いたが、タンスを主人が開けると、そこに狭いがトイレとシャワー<下中>があった。ここに2泊する。あとで落ち着いてよく見ると、調度品などに混じって、かつて使われたものなどが、飾ってあったりする。ここには、木製のスプーン<下右中>があった。(註7…トルコ人は風貌も人によってかなり違うが、子供には蒙古斑が現れるという。そうしたライフスタイルは、部屋では靴を脱いで生活し、食事にはちゃぶ台のようなものを使う。都会では、ライフスタイルもヨーロッパ風になってきていると思うが。)

いかにも民家的 テレビと調度品 狭いがよくできている 木のスプーン サフランボルの夜の眺め

部屋は寒かったが、電気ストーブもあり、それなりに暖まる。外<上右>はもう真っ暗なので、観光に出かける気もないが、そろそろ夕食の時間だ。部屋の鍵をかけて、出かける。鍵を返そうとすると、持っていていいそうだ。ついでに良さそうなレストランを尋ねてもいないのに教えてくれ、そこに行ってみる。

そこは、カディオウルというサフランボルの旧市街にあるホテルチェーンのひとつで、レストランだけをやっている店だった。タウク・シシ(鶏肉のケバブ)<下左>クイマルピデ(挽肉入りのピデ)<下左中>、ミックスサラダ。酒(註8)はなく、アイラン(ヨーグルトドリンク)<下中>を頼んだ。鶏のケバブは、あまり香ばしいものではなかったが、ピデ(註9)が美味い。それにしてもサラダの量が半端じゃない。ほとんど格闘するようにして食べる。8割方食べたところでギブアップ。ラストにチャイ<下右中>を頼み、お勘定は、900万TL(註8…トルコはイスラム教徒が99%といわれているが、酒は飲めるし作ってもいる。代表的なのは、地中海諸国に共通なラク。アニス入りの蒸留酒である。ほとんどギリシアのウゾーと同じもので、イスラム教が入り込む以前からあったものだ。また、ビールは、エフェス・ピルゼンというブランドが主流。だが、一般的に酒の飲めるレストランは少ない模様。)(註9…生地の上にものを載せて焼いたもの。形状こそ違え、ピザに似ている。ほとんどは楕円形の生地である。)

左奥タウク・シシ、右奥ミックスサラダ クイマルピデ アイラン チャイ 近くは暑いくらいだが、部屋全体はあまり暖まらない

満足して宿に戻るともうすることがない。部屋からは、ジャミィとハマム(註10)が見えたが、そんなに迷い込むような町ではなさそうだ。電気ストーブ<上右>があるので、ふと思いついたのが、洗濯。昨日の分もたまっているので、早速やっておこう。それにしても、水は手が切れるような冷たさ。とはいえ、ストーブのそばに洗濯物をかけておくと、見る見る乾いていく。シャワーも浴びたが、はじめの頃は、まだお湯が温まってなくて、ひえっという感じ。(註10…トルコ式の蒸し風呂。お湯につかるタイプではない。もちろん、男女別。)


2002/12/29(Sun:第4日)寒すぎるサフランボル<サフランボル 曇り>

サフランボル市内観光〜Hotel Teras

寒さが予想されたが、ぐっすりと暖かく眠ることができた。ホテルには朝食<下左>がついている。降りていくと、用意ができていた。テーブルを見回すと、自分一人の分しかない。他に泊まり客はいないのだろう。トマト、キュウリ、白チーズ、オリーブ、ゆで卵、エキメッキ(註11)というトルコのパン。これにチャイ(註12)が付く。イスタンブルでもオリーブ(註13)が出たが、季節柄なのかあまり芳醇な感じはしなかったのだが、この宿のは、夏に食べるものと遜色のない、ふくよかな感じだ。エキメッキは、かごに乗っていたものをすべて食べてしまうほどの美味しさだ。しかし、これはよく観察してみると、工場から出荷されたのとほとんど変わりがなく、紙のシールが付着している。しかし、そんなことは関係なく、美味しいものは美味しい。それは食欲が物語っている。主人がチャイのお代わりを持ってきてくれる。チャイも普段ならば決して砂糖を入れることはないのだが、ここでは入れてしまう。(註11…ずんぐりしたラグビーボール型のパン。皮はぱりぱり、中はもっちりという、美味しさ。適当に切って出される。ほとんど工場で作られるらしく、皮には、シールが付いていることがあるが、トルコ人はあえて取ろうとしない。ドネルケバブのサンドもこれを使う。)(註12…解説するまでもないが、紅茶である。煮出すタイプだが、ミルクは入れない。)(註13…黒と緑がある。個人的には、黒い方が好きである。日本での梅干しのような感じなのだろうか。とにかく、朝はこれがないと始まらない。)

朝食セット 窓からはジャミィとハマムが見える 旧町役場 旧刑務所 丘の上から眺めるサフランボル

一度部屋に引き上げて、歯磨きをしていると、窓の外<上左中>に日本人の集団が見えた。どうやらツアーのようである。さあ、出かけるか。まずは、チャルシュ広場から延びる旧町役場跡方面への丘へ。ところで、サフランボルは、世界遺産に美しい古い民家が登録されている。ほとんどが木造建築だが、町並みの景観の保存のために、勝手に取り壊すことなどができなくなっている。その民家も、いくつかは有料で公開されているものもある。今登っている坂の途中にもそのような民家があり、ちょっと入ってみたが、まだ早いのかまだ開いていなかった。ちなみにここは、喫茶店とホテルにもなっているようだった。さらに坂を上がると、旧町役場<上中>が見えてきた。しかし、足場が組まれ、補修中のようだ。もともと観光資源ではなさそうだが、近くには旧刑務所<上右中>もあった。しかし、ここの丘から眺めるサフランボルの町並み<上右>は、なかなか美しい。

謎の荷台 ハマムの屋根 ジャミィ 畑の中にあり フドゥルルックの丘

引き返して、今度はチャルシュ広場を下ってみる。クルマが通れないような狭い路地もあり、なかなか情緒がある。こんなところに迷い込んだ、観光客に対しても、現地の人はきちんと「メルハバ(註14)と挨拶してくれる。植え込みを載せた荷台<上左>のようなものは一体何をするんだろう。ハマム<上左中>もすでに営業しているようで、屋根からは、蒸気が上がっていた。ジャミィ<上中>もいくつかあったが、門は閉ざしていて、建物の中には入れない。今度は、そのどん詰まりから、フドゥルルックの丘と呼ばれる高台に行ってみる。少し道を迷いかけたが、雑貨屋の主人が教えてくれた。畑の間の一本道だが、冬のために作物はない。ただし、食糧の備蓄小屋<上右中>らしきものはあった。このあたりは雪が少し積もっていたが、トルコ人も遊びに来るようなところで、ここからだとサフランボル旧市街が俯瞰して見ることができる。それがガイドブックの地図と同じなので、感心した。それまでは何となく見当をつけて歩いていたのだが。それでも迷うことはないだろう。いや、迷ったとしても、とても小さなところなので、すぐに復帰できる。丘の上の端の方は、城壁のように石が積み上げられていた。誰もいず、三脚を立てての記念撮影<上右>(註14…「こんにちは」の意味。「おはよう」は「ギュナイデン」。)

靴にビニールのカバー 男の世界である 婦人の部屋 夫婦部屋 子供の寝室

この丘のすぐ下に、カイマカムラル・エヴィという、民家を公開したところがある。しかしながら、石の階段には雪が積もっていて、おりていくのがけっこう危ない。入場料は、150万TL。内部には、靴にビニールのカバー<上左>をして入る。いくつかの部屋があり、日本風にいうと、三階建て。各部屋には、マネキンをおいてあり、その時の生活の様子などが分かる仕組みになっている。男性の娯楽室<上左中>婦人たちの部屋<上中>夫婦の部屋<上右中>子供部屋<上右>、衣装部屋などがあって興味深い。使っていた調度品はとてもクラシックだ。電灯のスイッチ<下左>も木製だし、ミシン<下左中>も足踏み式。金属製の器<下中>は、香料でも入れるものだろうか。それにしても、朝は大したことがないと思っていたが、ここに来て寒くなってきた。たまに雪がちらつくような感じでもある。外に出て、カイマカムラル・エヴィ<下右中>の外観を撮る。さらに坂を下ると、ジンジ・ハヌ<下右>という、昔のキャラバンサライがあったが、門を閉ざしていた。

木製のスイッチ 足踏み式ミシン 金属製の器 サフランボルの旧家 ジンジ・ハヌ

ここから、その界隈<下左>を散策。気温は下がってきたものの、昼に近くなり、朝よりは多くの人が出歩いていた。このあたりは、各種工芸品を作ったり、土産物屋などもある。また、サフランボルは古い町なので、昔ながらの石炭ストーブ(註15)を使う。そのために、家屋からは、蒸気<下左中>が漏れだしている。アラスタ・パザール<下中>というところは、かつてのバザール。今では、土産物屋が軒を連ねている。ここで日本語を少し話す老人に話しかけられた。宿の脇の道を上がっていくと、こちらにも古い民家が残っている。そのような家の軒下には、鹿の角<下右中>を飾るところもある。土塀と木製の柱の典型的なサフランボルの民家、カラユズュムレル・エヴィ<下右>があったが、シーズンオフのためか、公開していなかったように思う。(註15…トルコではかつて質の悪い石炭を使ったストーブの暖房が主流であった。イスタンブルなどでは、アパートなども建物全体を暖める集中式の暖房なのであるがやはり質の悪い石炭を使っていて、冬になるとスモッグがかかるという状態であった。今では改善されているが、サフランボルなどの地方都市に行くと、未だに石炭をよく使っている。サフランボルの俯瞰の画像もあったが、どこか霞んでいるのがおわかり頂けると思う。)

比較的フラットなところ 蒸気の漏れる民家 アラスタ・パザール 鹿の角 カラユズュムレル・エヴィ

とりあえず、次のバスチケットを確保しておこうと、チャルシュ広場から出る、ドルムシュ(註16)または、ミニバスで新市街のクランキョイへ行くことにする。広場で少し待っていると、バスがやってきた。とても小さなバスで、中で料金を払う。クランキョイと尋ねると、頷いてくれ、35万TLだった。100万の札で払ったのだが、乗客の手渡しで、お釣りが戻ってきた。クランキョイまでは、10分もかからない。そこのミニバスターミナルに着いたが、昨日バスの到着したあたりは何とかわかるので、そこから歩く。クランキョイでも日本人は珍しいのか、やたらと声がかかる。とはいえ、ガイドを買って出るなどそういう人はいない模様。アタチュルクの像<下左>がある三叉路を曲がると、バス会社の事務所があった。その隣が花屋で、花輪<下中>があった。ちょうど新婚用か割礼用の飾り立てたクルマのディスプレイ<下右>を行っていたので、写真に撮る。(註16…「満員」という意味で定員が揃うと出発。行き先は決まっているが、途中で降りることは可能。たいていは、ミニバンやマイクロバスを使っている。)

アタチュルク像 花輪 飾り立てるクルマ

さて、次の候補地は、アンカラである。その気になれば、コンヤくらいまでは行けそうだが、乗り継いでいくとなると、移動だけの1日となってしまい、もったいないからである。それに、体力的にきつそうなのだ。バスは最新型なのはよいが、隣に確実に人が来るとなると、あまり身動きもできず、これだときついからである。バスの事務所のひとつ、ある程度勝手の分かっているMetro社に入る。バスの時刻が壁に記されていて、アンカラ行きが、10:00ちょうどにある。これに決めて料金を払う。950万+50万TL。また謎のプラスがあったが、まあいいだろう。なぜか席番は、昨日と同じ17番。外国人専用なんだろうか。

ここを出て、次にマフラーを売っている店を探す。あまりに寒く、帽子だけでは防げそうもないからだ。地元の子供に話しかけられながら、店を探す。団地のような建物の下が、テナントになっていて、ここにありそうなので、店の外にあった品物を見ていると、中から主人が手招き。マフラーを探しているというと、いろいろと出してきた。その中から、毛糸のようなざっくりした風合いのものを選ぶ。1000万TL。主人は少し英語が話せ、「これで君もトルコ人のスタイルだ」などといわれる。ついでに「チャイは飲む?」というので、頂くことにする。すると、ストーブ前に立てかけてあったダブルのやかん(註17)から、チャイを振る舞われる。砂糖は、びんに入っていて、いつもそうしているのだろう、かき混ぜたものを直接そこに戻すためか、砂糖がくっついていたが、まあ味に違いはない。暖まってありがたい。(註17…下に水を入れ、上に紅茶の葉を入れて蒸らす。沸騰してきたら、上のやかんにも満たし、下のやかんには水を補充する。入れるときには、上下をミックスして、濃さを調整する。東部に行くほど濃い茶になる。)

さて、マフラーを手に入れ、旧市街に戻る。今度は下りなので歩いてみる。ところどころ凍っているところもあるが、気をつけて歩けば、転倒するようなことはない。ここから、サフランボル旧市街<下左>の眺めがよいので、写真を撮っていると、しかし、前からやってきた貧しそうな老女に「パラ(註18)、バラ」とお金を要求されたりもする。まあ、やり過ごせば問題はないが。また、カメラを目につけた男からは、「俺を撮れ」というジェスチャーもあった。(註18…お金という意味。)

旧市街の眺め 敷き詰められたじゅうたん ジャミィにはこれもつきもの 説教壇 天井

戻ってジャミィを見ていると、そこからアメリカ人かどうか英語を話すツーリストのカップルが出てきた。尋ねると、見学できるという。早速入ってみるが、昼の礼拝が終わったばかりらしく、中には誰もいなかった。しかし、じゅうたん<上左中>が敷き詰められ、シャンデリア<上中>説教壇<上右中>などももちろんある。流行りモスクというものは、幾何学的な中に、どこか人間の手が加えられた美しさがあると思う。特にここの天井<上右>はそう感じた。ここを出て、昼食。どこにするか様子をうかがっていると、向かいの商店のオヤジが英語で説明(註19)してくれたりする。ここに決める。(註19…まったくトルコ人の親切というか、お節介に近いものがあるが、これも、トルコ式ホスピタリティのひとつであろう。)

レンズ豆のスープとエキメッキ イズミール・キョフテ

主人が手招きしたところによると、煮込み中心のメニューで、数種類のスープと、キョフテ(註20)とチキンのようなものしかない。外の張り紙には、つたない日本語で、羊の胃袋(イシュケンベ)スープ(チョルバス)とあったが、この時間はないのだろう。他の仕込みはしてあったので、夜には登場するのかも知れない。レンズ豆のスープ<上左>と、イズミール・キョフテ<上右>にする。レンズ豆のスープは、トルコでは定番で、主人はここに隣のトマトソースをちらっとかけてくれた。あれ、キョフテはと思っていたら、スープを食べ終わる頃に、持ってきた。時間差を付けているのだ。イズミール・キョフテというのは、トマトスープの中に入れたキョフテである。これにもちろんエキメッキもつく。これだけで、たったの300万TL(註20…トルコ風のハンバーグ。ミンチ肉を固めたものだが、比較的小さい。)

このあとは、アラスタ・パザールという、土産物横町のような感じのところや、馬の鞍や木製品などを作る職人の間口を眺め、宿に戻って昼寝である。やはり寒さが堪えたらしい。エザンで目覚めると、夕食前だった。外に出て、雑貨屋兼洋菓子店のようなところで、ミネラルウォーターを買うと、「どこから来たのか」と訊かれ、売り物であるロックムを振る舞われた。水は、25万。ロックムは、サフランボルが有名らしい。しかし、まだ旅の途中。イスタンブールで買ってみようと思うほど美味しかった。普段はお菓子など食べないのだが、職場への土産にちょうど良さそうだ。

スープとミニサラダ タシ・ケバブ

夕食はホテル横のアルパシオウルという店にした。レンズ豆のスープ<上左>、ミニサラダにタシ・ケバブ<上右>とビール。タシ・ケバブというのは、野菜と肉の煮込みのような感じだ。それでもあまり羊臭くなくてよい。今回はサラダも少な目ということを言ったので、格闘することはなかった。最後にネスカフェを頼んで、700万TL。ネスカフェというのは、トルココーヒーではない、インスタントのものである。レギュラーコーヒーなどは、よほどの専門店に行かないと飲めないと思われる。

満足して宿に戻り、またしても洗濯に明け暮れる。<Next→アンカラ


イスタンブル到着 アンカラ コンヤ イズニック ブルサ イスタンブル帰国

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