アジアとヨーロッパの間で・冬のトルコ〜イズニック編

イズニックのイェシル・ジャミィのミナレット

コンヤからの大移動でイスタンブルに戻り、ここを拠点にマルマラ海沿いの都市を訪れることを決める。

2003/01/03(Fri:第9日)マルマラ海を渡る<イスタンブル 曇り/雨 ヤロワ 曇り イズニック 曇り>

エミノニュ桟橋10:00-(ferry)-10:15ハレム桟橋〜ハレム・ガラジ11:00-(hakiki koc otobus)-12:30ヤロワ13:00-(otobus)-14:00イズニック・オトガル〜イズニック市内観光〜イズニック・オトガル17:00-(otobus)-18:00ヤロワ港19:30-(ferry)-20:30イェニカプ港〜Ebru Hotel

朝食ホテルの朝食<左>は、フロントの上の階で取る。昨日部屋を見せてもらった帰りに、従業員が気を利かせて、この階でも止まってみてくれたものだ。ホテルのあちこちには、古そうな時代の土器や青銅器がディスプレイとして置いてある。このレストランもそんな作りで、テーブルはガラス張りだった。ビュフェスタイルなのは、どこも同じなのだが、嬉しいことにここには、朝食でも美味しいチョルバス(註1)が用意されていた。スープだけでもエキメッキが進む。これにあとはオリーブの実があればよい。(註1…スープ。これとエキメッキの組み合わせが絶妙に美味い。)

ガイドブックによれば、ブルサやイズニックには日帰りができそうなので、マルマラ海(註2)の航海も兼ねて、そちら方面に行くことにする。とりあえず行き当たりばったりで、時間の合う方に行けばよい。イズニックやブルサ方面には、ヤロワに出て、ここからバスになる模様。なので、エミノニュ桟橋を目指す。トラムヴァイに乗ったが、ホテル前にあるラーレリ駅ではジェトン<下左>売場がわからず、ひとつ先のイスタンブル大学<下左中>から乗車した。シルケジ駅<下中>で下車。そのまま徒歩で、桟橋に行く。(註2…北のボスポラス海峡と南のダーダネルズ海峡に挟まれた内海。同様に黒海とエーゲ海に通じる。)

トラムのジェトン イスタンブル大学 シルケジ駅 エミノニュ桟橋フェリー乗り場 フェリーのジェトン

エミノニュ桟橋<上右中>のヤロワ方面のフェリーは、すぐにわかった。しかし、ここでもお節介好きなトルコ人に「どこへ行く」と聞かれ「ヤロワ」と答えると、指を2本出され「次は14:00」と教えられる。これではしょうがないので、隣の桟橋からハレム行きに変更。フェリー料金もジェトン<上右>式で、85万TLフェリー<下左>はすぐに来た。こちらは通勤の足で、乗降口が接岸される前から飛び降りそうに待っている人が溢れている。船内<下左中>は、なかなか居心地が良さそうだが、外のデッキで写真を撮る。海峡の狭い部分をボスポラス海峡大橋<下中>などが渡っているのだ。そうしていると、やはり世話好きな兄ちゃん風が、「あれがクズ島<下右中>などと教えてくれる。この人は、私服だったが、船の従業員らしい。フェリーなので、自動車などを誘導する係らしかった。また、船室には、何をするわけでもない男がいて、テーブルにもたれかかってじっとしていたりする。失業者なんだろうか。

ハレム行きフェリー 船室 うっすらと見えるのがボスポラス海峡大橋 クズ島 ハレム

ハレム<上右>には、15分ほどで到着。ここのオトガルは、エセンレルほどではないが、バス会社で溢れている。イズニック方面の会社があったが、ここで聞くと、途中の乗り換え。ミニバスになるらしい。まあいいかと料金を払う。1000万TLと高いような気もする。待合室で待っていると、バスが到着したらしく、こちらのチケットを覗き込んだ男が来いと身振りで示す。

このバス<下左>は、どういうルートをたどるのか、ハレムから1時間ほど走ると、港に入り、なんとフェリー<下左中、下右中>に乗り込むではないか。なんだかよくわからない。こちらのフェリーでは、バスの出入り口が開放され、船内に入ることができた。ついでにトイレに行っておくが、ここでもトイレ番の男がいて、料金を払う。今度のフェリーは、30分くらいをかけてゆっくりと航行。同じようなフェリー<下右>がすれ違う。この海上ルートは盛んなようである。再び上陸すると、ヤロワ(註3)の文字が見えるようになる。(註3…ヤロワ方面は、マルマラ海が入り組んでいるため、陸上ルートよりも海上ルートの方が近いらしい。イスタンブルからイズミール方面への直行バスもこちらのルートの模様。)

バスの中 ヤロワ行きフェリー 続々と入る車 同型のフェリー

チケットは、オルハン・ガーズィというところまでだったが、ちょうどイズニック行きのミニバス停が見え、ここで振り切るようにして降りる。そこに近づくと、プレハブのようなものの中にいた男たちが、中に入れと手招き。料金はバスの中で支払い、今度は13:00であると教えてくれる。正真正銘のミニバスが到着。外で待っていたアメリカ人らしいバックパッカーのカップルも乗車。彼らは大きな荷物を持っていたが、これは後ろの荷室に入れるらしい。中には、4列程度のシートがあり、ここにほぼ男女に分かれて乗り込む。すでにかなり乗り込んでいたが、座席はあった。アメリカ人が持参のポテトチップをぼりぼりと食べ出す。漂い出す匂い。バスは降りる予定だったオルハン・ガーズィ経由で、ここから方向を変えて、イズニック方面へ。途中、熱い湯(註4)が吹き出ているようなところもあった。(註4…やはりトルコは火山国で地震が多い。特に、マルマラ海沿いは地震の巣であるかも。)

イズニックのオトガル アヤソフィア アヤソフィアのメインとなる建造物 塔の上から撮影 案内してくれた少女

イズニックは、のどかそうなところ。結局オトガル<上左>まで乗り、300万TLであった。小さな町なので、どこへでも歩いて行ける。ガイドブックを開いていたが、あまりそれも必要なさそうであった。だが、これを見ていて、自転車の少女が通りかかり、アヤソフィア<上左中、上中、上右中>と呼ばれる、かつてのビザンチン教会まで案内してくれる。アヤソフィアは、入場して見学できるはずだが、なぜかドアが閉ざされていて、どうするかと思っていると、先ほどの少女が傍らにある崩れかけた塔に登って見るとよいと、身振りで示す。確かに、螺旋状の階段があり、上り詰めると、内部が少しだけ見下ろすことができた。まだ、少女<上右>は興味津々である。名前とアドレスを書いてもらい、写真を撮って、「お腹が減っているので、ロカンタに行くのだ」というようなことをいい、写真は送って上げると身振りで。これで解放してもらえた。

さて、ロカンタはと探すまでもない、アヤソフィアの隣にあった。なかなか感じの良さそうな青年が席に案内してくれる。入り口近くのガラスに、ラフマジュン<下左>(註5)という文字があり、こちらを頼んでみる。円形のピザのようなものだが、ぐっと薄い。それでも、ピデよりは、ピザに近いか。これと、イネギョル・キョフテ<下左中>(註6)、アイランの安い方を頼む。ラフマジュンは予想よりも大きかったが、熱々で美味い。イネギョル・キョフテもミンチというよりは、ほとんどたたきのような肉を焼いたもので、好きになった。アイランは、自家製ではなく、紙パックに入ったものだったが。ラストのチャイを頼むと、青年は通りがかりのチャイ屋に伝えての出前(註7)である。これだけ食べて、たったの400万TL。信じられない。(註5…円形の生地にミンチの肉などをのせて焼く。チーズは使わないものの、ピザに近い。)(註6…イネギョルというのは地名。地名のついた料理がトルコには多い。)(註7…チャイなどはこの出前方式が多い。)

ラフマジュン イネギョル・キョフテ ハジュ・オズベク・ジャミィ外観 ジャミィ内部 創設年を期したタイル

ここから、観光開始。しかし、もうあまり時間がないので駆け足となる。ハジュ・オズベク・ジャミィ<上中、上右中>。オスマン朝最古のものらしく、イズニックで最初に建てられたモスクである。が、かなり小さい。中にはいると、誰もいなかったが、外に出てみると、手足を清めている人がいた。やはり1332年建造<上右>(註8)という、由緒あるところなのだろう。(註8…ちなみに、イスラムでは西暦を使わないはずなので、これはかなり外国人旅行者に迎合していることになる。もっとも、トルコ的ともいえる。)

次に、ニリュフェル・ハトゥン・イマレッティ博物館<下左>。もともとは、貧しい人に食べ物を施す施設。現在は、イズニックタイル<下左中>(註9)などの博物館である。入り口が無人だったが、建物の入り口でチケットを購入する。100万TL。珍しく、ヨーロッパ人風の観光客がいたので、挨拶しておく。また、建物外には、ローマ時代の彫刻<下中、下右中、下右>などが並んでいる。ここではトイレも借りた。(註9…オスマン時代、イズニックがタイルの産地となっていたが、現在では生産地は周辺に移動している。とはいえ、ないわけではない。)

ニリュフェル・ハトゥン・イマレッティ博物館 展示のタイル 建物外の彫刻 おそらく内部よりも展示物が多いかも 彫刻と共に

ここの道路を渡ると、イェシル・ジャミィ<下左、下左中、下中、下右中>。緑のモスクである。かなり大きく、緑色のタイルを貼った、ドームが特徴。周りには、学校帰りの少年たちが、サッカーに興じていたが、中にはやはり誰もいなかった。ここから、イズニック湖への道を急ぐが、ちょうど学校の終わった時間らしく、制服姿の中学生くらいの生徒とやたらとすれ違う。日本人は珍しいのかここでも興味津々。途中、イズニック湖で捕れたらしい魚<下右>を売っているところがあった。店ではなく、男性が自転車を止めて、手押し車の上で販売している。魚は、まだ呼吸していた。

イェシル・ジャミィ 教えを説く階段 女性用のスペース、ほとんど入口 ドームとミナレットの緑が印象的 まだ呼吸していた魚

夕暮れのイズニック湖イズニック湖<左>へは、やや道が悪かったが、まさに日が沈むような時間に到着。特に美しい色というわけではないが、少し写真を撮って、オトガルへ急ぐ。オトガルでは、次のヤロワ行きの場所を聞くと、指であちらと示され、ミニバスの前に回り込むと、ヤロワ行きの表示があった。近くにいた人に聞くと、次は17:00らしい。指を5本示される。しばらく、ベンチで待つ。しかし、ドアが開いているので早めに乗り込む。すでに先客がいて、家族連れだった。大きな船の模型を手にしている。トルコでは、模型やミニチュア品がかなり精巧に出来ていて、持ち帰る人も多いのだろう。前の座席に、トルコ人の少女がいて、興味津々に話しかけてくる。話は通じないのだが。コンヤで購入したトルコ製品ではあるが、手持ちの飴を上げる。

そのうち、スカーフのおばさんの集団が乗り込んできて、満員となってしまう。早めに乗り込んでいてよかったか。やがてエンジンがかかる。ドライバーは、先ほどヤロワかと確認した人だった。すでに真っ暗。ぎゅう詰めである。しかし、大半の乗客は途中で降りてしまい、少し楽になる。だが、真っ暗なので、どうやって戻るか。ヤロワでは、オトガルに到着した。ここから少し歩くと、フェリー乗り場があり、ここでイスタンブル行きを探す。ここでも暇そうな人が、「イェニカプ?」と訊いてきた。そう、イェニカプ行きなのだ。はじめから、ホテル近くのイェニカプ桟橋から出る船に乗っておけば、こんなに遠回りすることもなかったのである。

しかし、フェリーはしばらく時間があり、ここでも少し足止め。自動改札<下左>などもあり、イェニカプだけでなくここからいろいろなところに便が出ているらしい。ただし、イェニカプ行きは、これを使わない。チケットは、コンピューター発券で900万TL。よく見ると、座席<下左中>まで決まっているようである。フェリーが接岸したらしく、ゲートが開けられる。チケットの写しを2回切り離され、乗船。席がよくわからず、中年の船員に聞くと、丁寧な英語で教えてくれる。この船は高速フェリーで、航海中は外に出られないらしい。座席はほとんどが前向きに作られて、正面にはテレビがあった。売店などもあり、水兵姿の従業員が働いていた。マルマラ海の状況は暗くてよくわからなかったが、かなりの高速でぶっ飛ばしているようで、よく揺れる。

自動改札 高速フェリーの座席 海岸沿いの道路は雨模様 またまたマクドナルドの夕食

イェニカプには、少し遅れて到着。船を出ると、雨が降っていた。折り畳み傘を出す。乗客のほとんどは、港のバス停からそれぞれの方向に帰るが、こちらは、海岸沿いのほとんど高速道<上右中>のような通りを渡って、アクサライ方面へ行くことになる。なかなか信号のあるところが発見できなかったが、何とか渡って、アクサライ方面へ。途中明かりの少ない地域があり、危険な感じもした。すでに、どこかのレストランで食べる気力もなくなっていて、どこかでテイクアウトすることに決める。ホテルの通りを挟んだ反対側には、バーガーキングがあるはずだったが、見つからず、また、マクドナルド<上右>へ。今度は少し違うものにして、キョフテバーガー200万とサンドウィッチ風の肉を挟んだ物385万。コーラの大165万。これでかなり手持ちが寂しくなり、また両替ということになる。とにかく疲れた。<Next→ブルサ


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