アジアとヨーロッパの間で・冬のトルコ〜コンヤ編

メブラーナの霊廟

アンカラの観光後、バスに飛び乗り到着したのは、宗教色の強いコンヤ。黒ずくめの女学生に道を案内されるも、次第に暗くなってきて、よくわからないまま、ホテルを発見。しかし、夕食に出たものの、なぜか繁華街にはたどり着かないのであった。年が改まり、いよいよコンヤ観光である。

2003/01/01(Wed:第7日)宗教都市コンヤ<コンヤ 晴れのち曇り>

コンヤ市内観光〜Hotel Ani

地下のレストランで朝食<下左>を取る。支配人らしい男性が、グラスの置き方などにも、手直しをしていて、細かいディスプレイにも配慮を感じるホテルである。早速外に出かけるが、この段階ではまだ、メインストリートに出るのがよくわかっていなかった。ホテル前の通りをそのまま進むが、どうも裏通りに見えて仕方ない。そこで、ホテル前に戻り、とりあえず、周辺のモスク<下左中>を観察してみようと、そちらに行ってみると、整然とした通りがあらわれる。ここをそのまま進むと、メブラーナ博物館に至ることがわかる。ちなみに、この通りは、メブラーナ通りではなく、アララッディン通り<下中>である。もっとも、途中からメブラーナ通りと名前を変えるのであるが。その通りを10分ほど歩くと、セリミエ・ジャミィとメブラーナ博物館<下右中>が見えてきた。

朝食 ホテル前のモスク アララッディン通り メブラーナ博物館 タイルの装飾

メブラーナ博物館は、イスラム神秘主義のメヴレヴィー教団の創始者、メブラーナ・ジェラールッディン・ルーミーの霊廟である。タイル<上右>で作られたアラビア文字の装飾とも看板とも取れる円形のものが見えた。敷地内には、モスク、僧院、修行場もあるが、アタチュルクにより、解散命令(註1)が出され、その後は博物館として公開されている。入場料は400万TL。中に入ると、久しぶりに聞く日本語。日本人ツアーがいたのである。しかし、雪が溶けたばかりで、注意しないと大理石の敷石が滑って危ない。(註1…トルコでは政教分離が進んでいて、イスラム神秘主義の教団などはもってのほかなんであろう。かつてのオスマン時代、厳格な宗教観が近代化を阻んでいたため、思い切った策に出たのである。それにしても、最近は、イスラム色の強い政党が第一党となり政権を握っている。)

緑の布で覆われた墓 美しい書体のコーラン ムハンマドの顎髭入りケース 泉、金属のコップなども置いてある 修行僧のマネキン

霊廟に入ると、数々の墓<上左>があり、頭に当たる部分がすべて、メッカに向けられ、その頭の部分には、トルコ帽(註2)が被されている。墓は、イスラムの聖なる色、緑の布で覆われている。現在禁止されている教団ではあるが、ここを訪れる人は、熱心に祈り続けている人の方がたくさんいるようである。墓の部分が終わると、書物がガラスケースに入れられ、公開されている。ほとんどはアラビア文字で書かれたコーラン<上左中>であるが、美しい書体と、素晴らしい装飾を施されたもので、中には、手のひらサイズのものもある。また、ムハンマド(註3)顎髭(註4)というものも公開はされていないものの、顎髭を入れたケース<上中>が展示されている。ここを出ると、泉<上右中>があり、ちょっと口に含んでみた。悪くない味だ。もう一つの建物には、修行僧の生活<上右>を人形を使って公開している。ここの公開されている部分はごく一部であろう。観光客進入禁止の部分もあり、さらに奥には、緑のドームの建物や、ミナレットもあるのである。(註2…これまた、政令により着用禁止である。)(註3…日本では「マホメット」と呼ばれている、イスラム教の創始者。ここではなるべく現地の発音に近いものを採用した。)(註4…1990年には公開されていたような気がする。また、イスタンブルのトプカプ宮殿には、同様のものがあり、毛らしいものを見ることができる。仏教における仏舎利みたいなものか。イスラムは偶像崇拝禁止のはずだが、けっこうこの手のものはある。)

また、メヴレヴィー教団には、旋舞(セマー)という独特の踊りがある。今でも、このセマー<下左>だけは、ルーミーの命日あたりの12月中旬になると、コンヤで開催される。また、イスタンブールのメブラーナ博物館などでも、毎月最終日曜に公開されるらしい。その、セマーを踊る様子の絵はがきがあり、これらを購入。また、メブラーナの7つの教え(註4)というものがあり、これをじゅうたんのような生地に、各国語に訳したものも販売していた。こちらは、1000万TLで、ちょうど、ムスリムの髭男によいと思い、土産にする。しかし、かなりかさばってしまう。(註4…「施しと救いは流れる水の如く」「愛と慈悲は太陽の如く」「他者の欠点を覆うには夜のとばりの如く」「怒りと苛立ちは死の如く葬り」「優しさと謙虚の心は大地の如く」「寛容の心が大海の如く」「自分自身であれ、もしくはあるがままの自分であれ」けっこういいことは言っている。)

セマーのマネキン メブラーナ博物館全体像 セリミエ・ジャミィ モスクのシャンデリア ここから教えを説く

メブラーナ博物館<上左中>を出て、とりあえず、土産をホテルに置きに帰るとして、隣の、セリミエ・ジャミィ<上中>も覗いていくことにする。こちらも、かなり大きなモスクである。入り口で靴を脱いで入っていくと、あとから掃除をしていた人が、こちらの靴をもってあとに続く。靴を中に預けていった方がよいという、配慮である。モスクの中には下駄箱があり、ここにしまうようになっている。人っ子一人いないモスクだが、なかなか厳かな感じ。中央には、シャンデリア<上右中>があり、階段状のもの<上右>は、ここからイマーム(註5)が教えを説くものらしい。(註5…イスラム教での指導者。僧侶の中でも指導的立場にある者と解釈してよいだろう。)

ここを見終わり、ホテルに戻るが、途中にバス会社のオフィスがあったので、覗いていく。Konturという、コンヤを拠点としている会社では、次に戻る、イスタンブルまでの便の時間がいまいちよくない。次に覗いたのが、昨日使った、Ozkaymakである。こちらは、10:00の便があり、こちらを予約。2300万TLである。セルビスという、無料のオトガルへのバスのことを聞いたが、この前から出るらしいことはわかる。

一度ホテルに戻って、メブラーナの7つの教え<下左>をしまう。ちょうどリュックの背中の部分に収まるようだ。すぐに外に出て、観光の再開。トラム<下左中>の線路を渡ろうとするとちょうど電車が来た。次に向かったのが、アララッディン・ジャミィ<下中>。アララッディンの丘にあるモスクである。しかし、中に入ると、数名が祈っている。時計を見ると、そろそろ正午。正午の礼拝が始まるのだろう。また来ることにして、ここを出ると、エザンが流れ始めた。では、このすぐ近くにある、カラタイ博物館へ行ってみることにする。しかし、ちょうど休憩時間で、しょうがないので、昼食にする。

メブラーナの7つの教え コンヤのトラム アララッディン・ジャミィ、正午の礼拝と重なり引き返す メブラーナ・ピデ アダナ・ケバブ

よいところがあるかどうか、ぶらぶらと歩くが、結局また、メブラーナ博物館の近くまで来てしまう。少し奥まったロカンタで、メブラーナ・ピデ<上右中>アダナ・ケバブ<上右>、アイランという昼食。この店は、本格的な釜があり、炭火で焼いているようだ。いい匂いが漂う。メブラーナ・ピデというのは、コンヤの名物で、コンヤのピデは他のところと生地が違うらしい。持ってきてもらうと、中央に切れ込みの入ったところに、チーズを入れて、挽肉をのせて焼いたものだった。付け合わせに、タマネギと、よくわからない緑の葉っぱ、レモンが別の皿にも盛ってこられる。一緒に食べるということなんだろう。アダナ・ケバブは、ミンチにした肉を串に刺したもので、皿に盛ってこられると、ピデの生地で包まれていた。アイランは自家製かも知れない。たらふく食べて、550万TL

シェレフェッティン・ジャミィ 数珠、使い残しか ルーミーの師の墓 女性用スペース 雪の残るモスク前

さあ、午後の観光である。今度は、アララッディン通りと、ホテル前の通りに挟まれた広場にある、大きなモスク、シェレフェッティン・ジャミィ<上左>である。こちらも、正午の礼拝が終わっていたものの、まだぽつぽつと人が祈っていた。モスクの中には、誰かの使い残した、数珠<上左中>なども置いてある。あるいは、使い回しの数珠(註6)なんだろうか。次に、ホテル前にある小さなモスク、シェムスティ・テブリズィ・ジャミィである。こちらには、内部にルーミーの師に当たる人の墓<上中>がある。こちらにも、熱心に祈る人がまだ残っていた。もちろん、墓には、緑の布がかかり、トルコ帽もある。入口近くには、緑のじゅうたんが敷かれたスペース<上右中>があったが、これは女性用(註7)なのだろう。モスクを出ると、このあたりはまだ積雪<上右>が残り、水浸しな感じである。(註6…イスラム教でも、数珠は大事なグッズのひとつである。仏教国よりも、一般の人々が頻繁にこれをもてあそぶ姿を目撃する回数は多いであろう。)(註7…イスラム教は公衆の面前ではあまり男女の同席は好ましくないと考えている。)

カラタイ博物館側から 中庭にて 中庭から見たモスクの建物 モスクの内部 モスクの内部その2

次に再び、アララッディン・ジャミィ<上左>に出向く。こちらは、シリア様式だという。石造りで、一見キリスト教会に見えなくもない。いったん中に入るが、今度は中庭<上左中、上中>を見てみる。雪が積もっているが、ひとりが歩けるような通路を設けてくれている。やはり観光客らしい人がいて、こちらを歩いていた。再び中に戻り、内部をくまなく見て回る。内部<上右中、上右>は、正方形というよりは、横に長い長方形のところである。また、女性専用のカーテンの仕切があり、ここから、黒ずくめでさらに眼の部分だけを出した、ベールの女性も出てくる。コンヤは、他の都市に比べて、宗教色が強い。女性はほとんどが、長いコートに地味なスカーフである。他の都市では、半分以上は、髪の毛を見せている女性がいるが、ここでは皆無に近い。唯一見たのは、外国人なのか、帽子を被った人で、髪の毛を見せている人(註8)はいなかったように思う。(註8…わずかな例外が、宿泊したホテルのフロント女性。とはいえ、客室に祈祷用のじゅうたんがあるようなムスリムホテルだとは思うのだが。)

博物館入り口 なかなか奇麗なタイル 神学校関係者の墓だろうか 内部の泉 噴出口

そして、カラタイ博物館<上左>へ。入場料100万TL。現在は、陶器とタイル<上左中>の博物館であるが、もともとは神学校である。なぜかここでも、緑の布に包まれた墓<上中>があった。建物の中心に泉<上右中>があるが、現在は水がたたえられていない。ここを撮影していたら、博物館の人が、渦巻き状の噴出口<上右>から水が出て、円形の排出口<下左>に流れるということを身振りで教えてくれる。次に向かったのが、インジェ・ミナーレ博物館<下左中>。実は、コンヤは二度目だが、初めて来たときには、ここは休館で入ることができなかったところである。名前の通り、ミナレット(註9)があり、タイルで装飾されている。どちらかというと、サマルカンドなどの中央アジアに多いタイプのものだと思う。ここも元は、神学校であった。現在は、イスラム関係の木製彫刻<下中>の博物館となっている。やはり元神学校であるためか、カラタイ博物館と同様に内部に泉<下右中>があり、緑の布で覆われてはいないものの、墓<下右>と思われるものがあった。こちらも、料金は100万TL(註9…尖塔のこと。モスクではここからエザンを流す。トルコでは、ロケット型のものが多いが、ここのは小さくずんぐりした形。)

排出口 インジェ・ミナーレ博物館 木製彫刻 内部の泉 シンプルな墓

博物館の外に出る。中庭があり、一部がタイルのミナレット<下左>を観察。入口の飾り<下左中>も見事である。すでに、アララッディンの丘を半周くらいしている。ここまで来たら、一周してみようと思った。このアララッディンの丘には、軍が駐留しているらしく、鉄条網に囲まれたところがある。また、ここを歩いていると、やたらと好奇の眼で見られていることがわかる。あっという間に一周してしまった。冬のコンヤは雪がよく降り、しかも寒いため、あちこちが凍りついているようだ。雪を除去する人<下中>もいた。ほとんどもう回るようなところはないが、アララッディン通りに、地下街<下右中>らしいものがあったので入ってみると、すべてが貴金属の店(註10)で、きらめいていた。この続きなのだろうか、地上にも、貴金属の店は寄り集まっていた。(註10…金や宝石などは、暗いところの方が輝きがよく見えるということなのか、比較的暗いところにあるケースは他にもあり、ブハラのタキというのが、ドーム下のところに固まっている。イスタンブルのカパル・チャルシュなどでもそうだ。)

タイルのミナレット 細かい彫刻が施されている 雪を取り除く 地下街すべてが貴金属の店 消防車出動の騒ぎ

ホテルに戻ろうとすると、シェレフェッティン・ジャミィに消防車<上右>が出動する騒ぎ。よくわからないが、火事ではない模様。夕食は、セマーを見ることができるという市営のところにするか、ガイドブックにも載っているロカンタにするか、その時の様子を見て決めることにする。とりあえず、市営のレストラン方面へと歩く。すでに暗くなってきていて、メブラーナ博物館<下左>はライトアップされている。市営のレストランは看板は出ているものの、なぜかその看板には、光が当たっていない。それでも、ここから柵を隔てて、メブラーナ博物館が見えるので、夜景の撮影。レストランに近づくと、営業していた。

ライトアップされたメブラーナ博物館 サラダ フルン・ケバブ オクラのスープ、ひどくしょっぱい トルココーヒー

従業員が出てきて、「何をしに来たのか」と訊かれる。もちろん、食事だ。しかし、上の階からメブラーナ博物館が見えると聞いているので、それを確かめ、テラスから撮影させてもらった。上の階の部屋は、貸し切りになっていて、個人は下の階でしか食事ができない。それでもいいかと、ここに決める。案内の従業員は、英語が堪能だ。名物料理を勧めるが、もちろんそれも考慮に入れてここに来たともいえる。サラダ<上左中>、フルン・ケバブ、オクラのスープを頼む。飲み物は、コーラ。何しろアルコールがない。フルン・ケバブ<上中>というのは、別名タンドール・ケバブともいい、羊の油につけた肉を焼いたものである。肉は羊に限ったものではなく、牛肉もあるという。が、羊にする。油につけてあったためか、ナイフで切っても、うまくすっと切れず、肉の繊維に沿ってしか切れてくれない。それでも悪くない味であるが、コンヤの名物料理なのだから、食べてみる価値はあるだろう。しかし、オクラのスープ<上右中>はいつまでたっても出てこなかったので、ウェイターを呼んで、再び注文。これは、どうやら干したオクラを煮込んであるようだ。オクラの付け根の部分がとても小さく、まるで干しぶどうである。しかも、塩の量を間違えたのかというくらいしょっぱい。赤い色をしているのだが、トマトソースではないのだろうか。ラストに、トルココーヒー<上右>(註11)を頼んで、678万TL(註11…フィルターを通さないので、しばらくたって上澄みを飲む。グリークコーヒーも同じである。国の仲は悪いのに。)

ここでのセマーは、夜21:00より。月水金に限るらしい。確かめなかったので、この日はあったのかどうか。いずれにせよ、観光で疲れているので、またの機会にする。


2003/01/02(Thu:第8日)最長時間バス旅<コンヤ 曇り アンカラ 曇り イスタンブル 曇り>

コンヤ・オトガル10:00-(ozkaymac otobus)-20:30イスタンブル・エセンレルオトガル〜Ebru Hotel

朝食を取り、チェックアウト。クレジットカード払いで、9900万TL。昨日は、セルビスバスを使う気もあったが、目の前のシェレフェッティン・ジャミィにタクシーが列をなしているのがわかり、ここからオトガルに乗り付ける。オトガルまでは、かなり遠い。ここからはるばるトラムヴァイで来たとは。料金は、1250万TLだった。

オトガル<下左>のOzkaymakの窓口でバスの場所を聞くと、番号を教えてくれた。そのあたりに行くと、イスタンブル行きが止まっていて、「おーい」と呼ばれた。荷物係にチケットを見せて、確認の上乗り込む。定時出発。隣にはトルコ人のおじさんが乗り込む。どうやら、アンカラ経由で、元来た道を戻ることになる。定期的に出る菓子類と飲み物<下左中>は、Metro社と同様だが、こちらの方がいいものを使っているような気もした。やはり、来たときと同じところで、トイレ休憩<下中>があり、昼頃、アンカラのアシュティ<下右中>に到着。ここでやや長い休憩となるが、隣のおじさんは紙ナプキンに、バス番号と出発時間を書いて渡してくれる。

コンヤのオトガル、オレンジの車体がOzkaymak 菓子パンと飲み物 トイレ休憩 アンカラ、アシュティに到着 売店で買った昼食

ここでは、到着場所と出発場所が変わる模様。その間に、食糧を確保して、トイレにも寄らなくてはならない。簡単なロカンタがあったが、売店でトルコ風のハムと野菜の、サンドウィッチとシミットとコーラ<上右>を購入。ベンチで少し食べる。残り時間がなくなり、食料をしまい、35万有料トイレ(註12)で用を足す。紙に書いてもらった場所に行くと、バスが待っていた。乗り込むと、隣の客が代わっている。今度はトルコ人の青年である。(註12…トルコでは有料トイレが一般的である。)

ボルでの休憩再び、バスは走り出し、今度はイスタンブルを目指す。どういうルートをたどるのかと思っていたら、イスタンブルからサフランボルに出たときに通ったルートとほぼ一緒である。あまり代わり映えのしない風景。ここでも、途中大きな休憩があったが、トイレに行くくらいである。車内では、隣の青年がこちらの国籍を確認した上で、6月のワールドカップの話をしてきた。あまり話は通じないのだが、ガイドブックに載っていた、トルコ代表の写真などを見せ、少し話し込む。途中山岳地帯のボルあたりの休憩<左>で空席が出たので、青年はそちらに移っていった。こちらも少し楽になる。青年は、イスタンブルのアジアサイドのずっと手前、高速道の途中のようなところで下車する。すでに道は暗い。ハレムに到着したあと、ボスポラス海峡を渡るのだが、ここまでがかなり時間がかかる。渋滞もあり、少しばかり時間が遅れ気味の模様。結局、30分遅れくらいで、エセンレル・オトガルに到着。

宿の予約はしていなかったが、またアクサライあたりが便利だろうと、そのあたりのホテルに見当をつけてきた。メトロでアクサライに出て、ケマル・アタチュルク通りのEbru Hotelを当たってみる。1泊、20US$。4泊希望で、部屋を見せてもらった。最初に見せてもらったのが、シングルベッド二つの広い部屋<下左、下中>。次がダブルベッドの純粋シングルルーム。料金は同じなので、最初の部屋にする。前金で、こちらもクレジットカード払い。

部屋 トイレとシャワー 出かける気力がなくなり、マクドナルドの夕食

かなり長時間乗っていたので、疲れてしまった。幸い、ホテルのすぐそばに、マクドナルドがあり、ここでテイクアウトにする。ハンバーガー125万。タウクバーガー(若鶏)125万。かなり安い。これを部屋で夕食<上右>とする。ここを拠点に、イズニック、ブルサに行ってみようと思う。<Next→イズニック


イスタンブル到着 サフランボル アンカラ イズニック ブルサ イスタンブル帰国

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