アジアとヨーロッパの間で・冬のトルコ〜到着編

ご存じイルハン・マンスズ選手のカード

冬はトルコを目指すことにした。これで、4回目だが、個人旅行は初めて。しかし、ここでおなじみ、髭男が図らずも、イスタンブル行きのチケットを予約していて、航空会社は違うものの、はじめの宿泊は一緒にしようということになった。今回のテーマは、世界遺産サフランボルを見ることだけで、何も決めていない。またしても、行き当たりばったりの旅となる。

2002/12/26(Wed:第1日)アタチュルク空港で遭遇できるか<東京 晴れ アムステルダム 曇り イスタンブル 晴れ>

新東京国際空港11:00-(KL862)-15:00アムステルダム・スキポール国際空港19:25-(KL1617)-23:50イスタンブル・アタチュルク国際空港〜Hotel Royal

今回でトルコに行くのは4度目だ。しかし、これまではツアーを利用してきた。今回は個人で行くので、それほど広範囲には動けないだろう。また、今回、トルコからシリアに抜けるという、同僚の髭男(註1)が同じ日にイスタンブルに到着しているということが判明し、ネットを当たって同じホテルを取ることにした。髭男は、エールフランス利用とのことだが、到着時間はほとんど変わらない。あらかじめ、遭遇できなかったことを考え、ホテルの場所などの情報提供はしておいた。イミグレ通過後に遭遇できなかった場合は、ホテルでということだ。(註1…口の周りをぐるりと髭が取り囲むという、筆者の同僚。1998〜1999年のネパールに同行したのち、イスラム世界に目覚め、シリアで改宗したという。そのネパール旅行からのち、互いに個人旅行にのめり込むようになり、休みの取れる時期もほぼ一緒ということから、2000〜2001年ギリシアの行き帰り、2001年イタリアの行きが同じ便であったという。今回同宿するのは久しぶりである。)

さて、午前便なので、5時起きし、支度を済ませる。最寄り駅までタクシー、駅からは定期とパスネットを使い、新宿に出る。いつもならば、京成スカイライナーをネット予約しているのだが、あまりにも忙しすぎて、予約しようとしたときには、すでにネット分の販売が終了していた。そういうわけで、もしかしたら、京成の通勤用の特急で成田に向かわなければならない場合もあり、万が一を考えて日暮里ではなく、上野に向かった。スカイライナーでなくても、これならば絶対に座れるだろうという考えである。

さて、上野では、あっけなくスカイライナーのチケットが購入できてしまった。これで一安心なのだが、いまいち体調がすぐれない。早くホテルに入って休みたいという心境である。何しろこのところ疲れ切っていて、ろくに睡眠もとれていないような状態なのだ。

成田空港ではチェックインから搭乗まで比較的スムーズであった。席はギャレイの反対側で、機体の右半分がそれに当てられている。中央の席の通路側だったが、結局隣は誰も現れず、楽に過ごせた。ちなみに、乗客数もかなりがらがらだった模様である。夏にも乗ったこの航空会社だが、今回座席が変わっていた。モニターは、座席に備え付けではないが、ヘッドレストが上下に可動式になり、左右の出っ張りも動かすことができるのである。そんなことを考えていると、疲れたのか、機内食<下左、下左中>を食べたあとは、泥のように眠ってしまう。

最初の機内食 クリスマス用クッキー、この時期限定 アイスクリーム 三色丼 巨大なツリー

途中にカップ麺またはアイスクリーム<上中>が出た。後者を選択。、到着数時間前に二回目の機内食<上右中>。しばらく眠ったので、身体が軽くなっている。ここからは文庫本を読んで過ごす。スキポール空港へは、無事に到着したが、ここからが長い。およそ4時間程度の待ち時間である。空港内は、クリスマス装飾<上右>で統一されている。ここでも、文庫本を読んでひたすら待つ。同じ場所にいると退屈してしまうので、時々場所を変えながらである。それにしても、スキポールはあまり暖房を効かせていない。というか、成田が効かせ過ぎなのではなかろうか。あそこでは少し急ぎ足になると、汗ばむくらいである。今回、トルコの寒さを想定して、ダウンジャケットを着ているのもそれに輪をかけているか。しかし、スキポールではこの程度でちょうどいい感じだ。しかし、外<下左>は、みぞれまじりのような天気である。

路面は濡れていた チーズの入った、揚げサンド ケーキとパスタのサラダ

イスタンブル(註2)行きの座席は、非常口に当たっていた。床においた荷物をすべて収納され、膝に掛けていたダウンジャケットも、しまわれてしまうという有様だ。こちらは、満席。まるで動ける余地もない。ごく簡単な機内食<上中、上右>が配られる。夏のイタリアの時と同じものである。まああとしばらくの我慢。外は何も見えず、ひたすら待つ。と、飛行機が高度を下げ出すと、地上の明かりが見えてきた。もう少しすると、ある程度はっきりしてきて、どうやら、マルマラ海上空を飛んでいる模様。左側には陸地が。おそらくトルコのヨーロッパ側であろう。(註2…今までは「イスタンブール」という表記にしていたが、現地の発音に近い、イスタンブルにしてみた。)

深夜の到着アタチュルク国際空港<左>にも無事に到着。入国審査には時間がかかる。審査官がパスポートナンバーを入力しているようなのだ。これには参る。ようやく自分の番が来て通り過ぎたが、1時間近くかかっていたと思われる。ここを過ぎると、見覚えのある顔が。同僚の髭男である。はぐれないでよかった。先に到着していた髭男は、すでに荷物を手にしている。自分のバゲージに向かうと、ちょうど流れてきたところで、これをピックアップ。早速銀行で両替。T/Cを取り出すが、先に並んだところでは、だめといわれた。隣にもう一つ別の銀行がある。しかも、T/Cと同じ、アメリカン・エキスプレスの表示もあるではないか。そこで、これを提示すると、「時間外」といわれる。しょうがねえなあ。とりあえず、\20000だけ両替。これが、恐ろしいことに、2400万トルコリラ(註3)(以下、TLと表示)ほどが戻ってくる。(註3…そう、トルコという国は、超インフレなのである。ちなみに、1997年\1→1326TL、1999年\1→3600TL、そして、今回\1→12000TLである。いつの日か、デフレが実施されるという話もあり、リラ紙幣の下3桁のゼロは色が変わっている。町中でも、1000以下は省略して表示されたり、ミリオン単位のやりとりが日常的。はじめの数日だけは、これだけで頭が痛くなってくるが、じきに慣れた。旅行関係では、アメリカドルやユーロが使えたりする。また、日本円のT/Cはよほどの銀行か巨大なホテルにでも行かない限り、両替できない。)

すでに空港と市内を結ぶハワシュというサービスバスは終了している。ホテルまでの足(註4)は、タクシーしかない。タクシー乗り場に向かうと、すでに待機していたタクシーがいて、ドライバーとは別に手配係のような人がいた。この人にホテルの名前を告げ、乗車する。タクシーは深夜のイスタンブールの海岸沿いを疾走。かなりのスピードがでているようである。ホテルの場所は、アクサライ地区にある。これも、遠回りすることもなく、30分弱で到着した。料金は、1600万TL。チップも荷物料も必要なかった。(註4…が、この時、イスタンブル市内を走る、メトロヴァイが空港まで延長していたのである。ただし、すでに終電が終わっていたのかも知れないが。かなり遠回りしていくので、あまり利便性はないが、急がない向きには、料金の心配がいらないほど安い。)

着替える髭男とベッド シャワールーム、バスタブつき

ホテルの荷物係がでてきて我々の荷物を受け取る。おそらく予約してきた最後の客だったらしく、名前を呼ばれた。部屋<上左>は、ツインルームで割と広い。暖房も利きすぎるくらいだ。髭男が先に風呂<上右>を使ったが、出てくるお湯が見事に着色していた。こちらがシャワーを浴びたあとは、かなり眠かったものの、洗濯などもして、成田で購入した免税の酒を少し飲んで、明日に備える。


2003/12/27(Thu:第2日目)イスタンブル散歩<イスタンブル 晴れ>

イスタンブル市内観光〜Hotel Royal

あれだけ長時間乗り物に乗っていたのに、きちんと目覚ましで目が覚めてしまう。これはいいことだ。また、目が覚めたのは、そのためだけではなかったのである。今日まで一緒に宿泊する、髭男という男は、何回めかの中東の旅で、現地の人にお世話になり、ついにムスリムに改宗してしまったという経緯を持つ。従って、夜明け前の礼拝<下左>をホテルの部屋でも行っていたのだ。

部屋での礼拝を行う髭男 ビュフェスタイルの朝食

試しに、カーテンを開けると、7時くらいだというのにまだ真っ暗。外に手を出してみると、とても寒い。礼拝を終えた髭男ともども、二度寝を決め込む。ようやく本格的に起きたのは、9時過ぎくらいであった。ジャージ姿のまま、朝食のレストランに行く。このホテルではビュフェスタイルだが、朝食<上右>もつくのでなかなか便利である。巨大な給湯器のようなものに、お湯と紅茶の蛇口がある。懐かしのトルコのホテルのスタイル。腹は減っていたが、いつもの癖で、あまりたらふくは食べない。一方の髭男は、ふんだんに盛りきっている。

食後は、いよいよ外に出る。まずやらなくてはならないのが、バスチケットの確保である。まだ窓の外は寒い感じだったが、日が高くなれば暖かくなるだろうと勝手に推測して、シャツの上のフリースのトレーナーは省略することにして、ダウンジャケットを着込む。外に出ると、朝の活気はすでに終わろうとしていた。ここは、アクサライ地区で、市電(トラムヴァイ)<下左>地下鉄(メトロヴァイ)<下左中>の乗り換え地点。バスの出発するオトガル(註5)は地下鉄のエセンレルにある。地下鉄の方に歩いて行くが、前から来る人の方がまだ多い感じだ。(註5…長距離バスターミナル。トルコでは、鉄道よりもバスの方が発達しているので、こちらのお世話になることの方が多い。ほとんどが郊外にあり、そこまでまた別の交通機関で行くことになる。バス会社によっては、市内のオフィスから、サービスバス(セルビス)が出ることもある。)

トラム メトロ カード式のジェトン これだけの髭は、イスラム圏でも珍しいらしく、じろじろ見られていた エセンレル・オトガル

メトロは、1回75万TL。まだ金銭感覚がつかめていなくて、100万の札を出せばいいものを、違うものを出してしまったりする。チケット<上中>は、ジェトンと呼ばれるが、ここではカード式で改札に差し込んで、バーを自分で回転させるシステム。ジェトンはそのまま回収される。まだ両替をしていない髭男<上右中>が、ATMを見つけ、ここで早速金をおろしてみるが、うまくいかなかったようだ。メトロは始発駅なので、座ることができた。エセンレル<上右>は6つ目の駅である。オフィスのある方とは逆に郊外に向かうので、あまり混雑しないかと思ったが、途中からけっこう人が乗ってくる。メトロの座席は、プラスチックの座席だが、シート部分にはラバーが張ってある。すべて向かい合わせのボックスシートである。

さて、オトガルに到着。噂に聞いていたが、壮観である。自分は、このあとサフランボルという世界遺産に登録されたところに行く予定である。ガイドブックによると、イスタンブルからはほとんどのバスが、手前のカラビュックまでしか行かず、ここからミニバスに乗り換えるなどとあるので、サフランボルまで直行する会社にしたかった。と、歩いていくと、それに該当するMetro社のオフィスがあった。ものは試しと、中に入り、眺めていると、すぐ近くの爺さん(註6)「どこに行くか」と訊いてきた。「サフランボル」というと、いくつかに別れた窓口のひとつにつれていってくれる。ここで訊くと、9:30の便があり、これならばよいだろうと決める。翌日の9:30発、サフランボル行き、1700万TL。実際は、1600万なのだが、そのあとに+マークがつき、100万足されている。保険料とかそういうたぐいなのだろうか。(註6…この爺さんは特に会社の人ではなく、一般の人の模様。トルコ人は一般的に、旅行者に親切すぎる傾向があるため、放っておけないらしい。)

自分の用件は終わった。今度は、髭男の用件だ。こちらは、やはりシリア(註7)を目指し、アレッポまたは、アンタクヤ(ハタイ)行きが必要であった。こちらの会社は、Metroとは反対側のブースにありそうだ。エセンレルオトガルは、中央にメトロが走り、この駅を中心として、半円形にバス会社のブースが並ぶ。これが二つ合わさったような形をしているのだ。まず髭男は、ひとつの会社で時間などを確かめ、もう一つの会社を見に行くことにした。結局あとから調べた方の便が都合がよいらしく、そちらでカードを使って支払ったらしい。(註7…陸路で行く場合、アレッポとアンタクヤの間に国境があり、このどちらか行きを使うのが普通。)

さあ、オトガルにはもう用はない。それにそろそろ昼近い。とりあえず再びメトロでアクサライに戻ろう。ここからは、あまり決定的ではなかったが、まだ行ったことのないガラタ塔と、軍事博物館で行われるというオスマン時代の軍楽隊メヘテルの演奏を聴くということだけは決めておいた。まだ演奏には時間があり、その間ぶらぶらとしようというものである。まずは、アクサライからガラタ橋方面に出る必要があるが、ここは徒歩で。

そのルートは、通りにトラムヴァイが走っているのでごく簡単にわかる。これに沿っていけば、確実だからだ。途中グランドバザール(カパル・チャルシュ)<下左>の入り口があったが、また来るであろうと通り過ぎている。スルタン・アフメット地区も同様である。ただし、夏にも訪れている髭男は、その時によく話をしたという、絨毯屋の関係者(註8)に2回も呼び止められていた。スルタン・アフメット手前で昼のエザン<下左中>(註9)が流れ、そろそろ昼食かとも思ったが、シルケジ駅<下中>を過ぎ、エミノニュ桟橋<下右中、下右>まで来ても、まだ写真を撮ったりという次第だった。(註8…ということは、このあたりの通りでは、あわよくば旅行者を絨毯屋に連れて行こうとする男がかなり待ちかまえていると思われる。髭男が話していたのも、どちらも日本語ができる。)(註9…アラビア語でアザーン。礼拝を呼びかける朗々とした声。モスクのミナレットの上から流れる。モスクが集中するところでは、いくつものエザンが流れることになるが、そのエザンの調子もモスクによって違っている。しかし、呼びかけている言葉は同じなのだが。要するに、人によって調子が変わるということ。)

入り口はあまり目立たない感じ ただいまお祈り中 かつてオリエント急行が到着した エミノニュで記念撮影 エミノニュ名物鯖サンドを作る船

ガラタ橋<下上段左>(註10)にさしかかり、海面に近いところを歩くと、いくつものレストランが入っていた。ここは、1999年に訪れたときには、まだ諸問題でテナントが入っていなかったのだが、それも解決したのだろうか。素材<下上段左中>を見せてもらい、結局、ここのNew Galataという魚料理のレストランに入り、いろいろと注文。前菜(メゼ)に茹でた小エビ<下上段中>小魚とタマネギのマリネ<下上段右中>イカフライ<下上段右>、メインに、ヒラメのグリル<下下段左>を選び(髭男は別の魚のグリル<下下段左中>)、ラストにエビ入りのギュベッチ<下下段中>を追加した。なぜかまだビールを飲むような心境ではなく、お勘定は5600万TL。一人あたり、2800万である。けっこう散財したような感じになったが、計算してみるとあまり大したことはない。それでも美味かったので、これはこれでよかった。それにしても、複数でレストランに行くと、見た目が豪華になってよいし、たくさんの種類を食べることができて、お得感がある。(註10…現在の橋は、二代目。初代は、火事で焼け落ちている。橋の上は、車と人が渡れるが、その下の部分は、店舗が入れるようになっている。中心部のみ、小型船が航行できるようになっている。)

ガラタ橋の釣り人、何でも漁師だそうで 名称がわからないときには便利である 茹でた小エビ 小魚とタマネギのマリネ カラマル・タワ

ヒラメのグリル よくわからない魚のグリル 魚のギュベッチ ガラタ塔 旧型のトラムの走るイスティクラール通り

タクシム広場腹が満たされたが、すでに日は傾きつつあるような感じ。ガラタ橋を渡り、新市街へ。ガラタ塔への道を少し間違え、なぜか電気製品のパーツばかりを扱うような一帯に出てしまう。イスタンブルの秋葉原か。それでも、途中から折れて、その坂を上っていくと、ガラタ塔<上下段右中>に出た。しかし、時計を見ると、すでに15時近い。メヘテルの演奏は16時なので、先を急ごう。ガラタ塔の坂を上がると、イスティクラール通り<上下段右>に出る。ここには、旧型の市電が走り、大変な人出である。これを縫うようにして歩くのも、なかなか時間がかかる。そうしてようやくタクシム広場<左>に出て、軍事博物館を目指す。途中、ヒルトンでトイレを借りた。ヒルトンの入り口には、金属探知器があったが、係は、「OK、カメラ」といって通してくれる。さすがにトイレは奇麗である。ここにやはりトイレを借りにきたと思われるトルコ人のオッサンがいたが、髭男はあとで、「あの人、トイレの水で自分の局部(註11)を洗ってました」という報告があった。(註11…ムスリムによっては、厳格な解釈をする人もいて、男性の小用でも事後に洗う人もいるらしい。それにしても、トイレで流れる水でしなくてもと思うが。)

ここまで来たら、軍事博物館はもうすぐ。ヒルトン沿いに回っていくと、隣はやはり軍事施設らしく、鉄条網に囲まれ、銃を持った兵士が警備している。博物館では、詰め所のようなところを通らされ、ここにもやはり金属探知器が。しかし、何も問いつめられることはない。せっかくイスタンブールまで来てまだ二人の写真を撮っていないので、中庭でセルフタイマーを使って記念撮影<下左>することにした。ここの中庭には、戦闘機などが展示してある。建物の入り口には、また金属探知器があり、そのあとで入場券を購入する。内部は写真撮影禁止だが、カメラ券もあり、入場料75万、カメラ券150万であった。荷物はクロークに預ける。この係が女性の軍人だが、わずかに日本語を話した。さあ、あまり時間がない。展示物は後回しで、メヘテルの演奏が先だ。時間にあわせてか、演奏目当ての団体も増えてきたようだ。それに倣って後に付いていくと、ホールに出た。すでに中は暗い。それでも満席ではないので、中央近くに陣取る。

何もこんなところで撮らなくても 登場 場内一周 中央にいるのは、大太鼓のドラマー 小太鼓のドラマーたち

威勢のいいマーチにのってメヘテルの軍楽隊<上左中、上中、上右中、上右、下5枚>が登場。ステージは円形で、左回りにぐるっと一周する。かなりの迫力がある。内部は暗いので、デジカメで撮影しようとしたが、すでに電池の消耗サインがつきそうだ。あまりに寒いので、バッテリーが弱っていると思われる。そのために一眼レフに切り替え。メヘテルの演奏は、4曲くらいだったか。おなじみ向田邦子の「阿修羅のごとく」で使われた「ジェッディン・デデン」も演奏された。驚いたのは、演奏だけではなかったことである。ヴォーカルのパートもあったのである。また、ラストの曲は、吹奏系のものを覗いて全員が声を出すのだが、指揮者が太い棒状のようなもので指し示したところだけが、声を強調されこれをぐるっと回すのだ。指揮者は1曲終わるごとに我々の方を向いて、丁寧に腰を折り、右手を胸の前に回して挨拶するのだ。これは見ておいてよかった。下手なコンサートよりも堪能できる。

演奏開始 1曲終わると丁寧な礼 2曲目 やはり礼 退場、旗持ちもいるぞ

このあとは、アタチュルク(註12)の展示物などを眺め、売店で珍しい髭のあるアタチュルクの絵はがきなどを購入する。さて、あとは帰るだけ。それにしても、寒い。晴れていたものの、気温はさっぱり上がらず、道のところどころは凍っているようなところもある。トルコにも、ユニクロか100円ショップでもあればと思っていたら、ヒルトンからタクシムに少し戻ったあたりに、セブンイレブン(註13)があった。ここで、思わず帽子を購入。フェルト製のハットだが、725万TL。髭男は、毛糸製のものを購入していた。(註12…トルコ共和国初代大統領。ムスタファ・ケマルが本名だが、トルコ国会より「トルコの父」=「アタチュルク」名前を贈られた。政教分離、アラビア文字の禁止などの新政策を次々導入し、トルコ近代化の基礎を築いた。)(註13…トルコにコンビニがあることはわかったが、おそらくアジア最西端、ヨーロッパ最東端のコンビニではなかろうか。)

すでに暗くなってきている<下左>。日の暮れ方は、日本よりもずっと早い感じである。イスティクラール通り<下左中>にさしかかるあたりですっかり暮れた。しかし、ライトアップされた、ガラタ橋あたりの風景<下中>も見てみたいので、徒歩ではるばる歩いてきた。橋の上に出てみると、ライトアップされた、トプカプ宮殿、ガラタ塔などが見える。しかし、なんといっても、ガラタ橋近くのイェニ・ジャミィ(註14)<下右中>が見事であった。(註14…トルコ語でモスクのこと。)

冬は日暮れが早い 夜のイスティクラール通り 金角湾のフェリー ライトアップされたイェニ・ジャミィ エジプシャン・バザールの量り売りロックムの店

このあとは、エジプシャン・バザール(ムスル・チャルス)<上右>を少し覗いた。ちょっと欲しいものもあったが、旅の始めにものを増やしたくない。言い寄る、客引きに、「1週間くらいしたらまた来るよ」と日本語で告げるが、相手も、「おじさんまたね」などという始末である。もちろん、相手も日本語なのである。ここからは、暗いこともあり、トラムヴァイで戻る。こちらもジェトン式だが、コインタイプである。料金は同じく、75万TL

自家製のパン チキンスープ イタリアンサラダ シシケバブ、串は抜いて提供される

一度部屋に戻り、服を着込む。髭男は疲れ果てていて、ベッドで眠りそうだ。さて、夕食にしよう。あまり遠くに行くのも疲れるので、近くですます。ホテルを出て右に行き、小さな通りを渡ったところに、Sarayというレストランがあった。ここでいいかと腰を下ろすが、予定していた前菜、ヤプラック・ドルマス(ブドウの葉の詰め物)がないと来て、少しはぐらかされた。無料のパン<上左>が焼きたてで美味い。結局、チキンスープ<上左中>イタリアンサラダ<上右中>シシケバブ<上右>、ビール2杯。これで、2700万なので、一人あたり、1350万TLとなる。<Next→サフランボル


サフランボル アンカラ コンヤ イズニック ブルサ イスタンブル帰国

TOP 冬のトルコ目次 旅行記INDEX

inserted by FC2 system