アジアとヨーロッパの間で・冬のトルコ〜ブルサ編

ナサール・ボンジューでかたどったロカンタの入口

間違ったルートでようやくたどり着いたイズニックであったが、これに懲りずまたしても、マルマラ海を渡ろうとする筆者であった。

2003/01/04(Sat:第10日)再びマルマラ海横断<イスタンブル 晴れ ブルサ 雨/曇り>

イェニカプ港9:30-(ferry)-10:30ヤロワ港〜ヤロワ・オトガル11:10-(luks yalova seyahat otobus)-12:10ブルサ・テルミナル〜ブルサ市内観光〜ブルサ・テルミナル16:20-(luks yalova seyahat)-17:20ヤロワ・オトガル〜ヤロワ港17:30-(ferry)-18:30イェニカプ港〜Ebru Hotel

疲れてはいたが、少し早起きする。朝食を食べて、やらなくてはならないことは、両替所を見つけて、トルコリラを手に入れること。その時間により、フェリーに間に合うようであれば、ブルサ(註1)に行くことにするし、そうでなければ、イスタンブルの観光に切り替える。(註1…オスマントルコがセルジュク朝を破り初めての首都と定めたところ。近くのウル山ではスキーもでき、温泉があることでも有名。)

アクサライのトラムヴァイが通る通りを渡ったところに、両替所があり、ここで50USドルの両替。アンカラの銀行とまったく同じレートで、手数料なし。手続きがスムーズで、まだヤロワ行きのフェリーに間に合う。急いで、ケマル・アタチュルク通りを下る。イェニカプ港<下左>には何とかぎりぎりで間に合った。すでに乗船が始まっている。今度は、明るい時間帯なので、船の中を歩き回ってみる。船室は二つあり、座席ばかり。船室の間にも座席があり、こちらにも番号が振ってある。ざっと、500人くらいは乗り込めるようである。水兵スタイルの売り子<下左中>が座席を周り、昼間の時間帯なので、外も見える。船はかなりのスピード<下中>ですっ飛ばしているようだ。マルマラ海には、いくつかの島影<下右中>も見えた。

イェニカプ港、遠くがフェリー セーラー服の男とはいえ、怪しくないです さすがに高速船 島も見える ヤロワ到着

ヤロワ<上右>では、隣接したオトガル<下左>に向かい、まずはトイレ。金を払って用を済ませ、出ようとすると、料金徴収のオヤジに呼び止められる。どうやら、金を払えといっているようである。ここは、毅然と「もう払った」と日本語で言ってのけて、対応。追いかけてくるようなことはなかったのだが、後払いが原則なのかも知れない。オトガルでは、ブルサ行きは、Seyahatという会社から出ているようである。時間を教えてくれ料金はバスの中で払えとのこと。教えてもらった時間から少し遅れてバスは到着。対応してくれた係が、「ブルサ、ブルサ」と連呼していた。こちら、外国人にも気を払っていてくれるようである。

ヤロワのオトガル ブルサ行きのバス内 ブルサのテルミナル ウル山ではなさそうだが

バスチケットがないので、車内<上左中>の適当に空いたところに席を取った。助手が順番に料金を徴収する。ブルサまでは、350万TL。どうも、この路線は、値引き合戦のために、車内でディスカウント料金となっているらしい。ブルサのバスターミナルはオトガルという名称ではなく、テルミナル<上右中>というが、そこには1時間ほどで到着。まだ、市内へはかなり離れている。近くに山<上右>が見えたが、ウル山ではない模様。

テルミナルから市内へは、私営のバス<下左>が連絡している。料金が安いこともあり、セルビスはないようである。このバスもたくさん並んでいたが、ヘイケルという市の中心部への表示が見えたので、乗り込むと、運転手に斜め後ろを示され、ここの一角を区切ったブースに料金係(註2)がチケットを担当していた。50万TL。バスは出発したが、次々と乗客が乗り込んできて、ものすごい混雑である。幸い始発で、早めに乗り込んでいたために、座ることができて幸いである。その混雑のまま、市の中心部へ到着する。このバスは、そのまま次の地点に行くので、どうも循環バスらしい。(註2…車掌のスタイルを取ればいいと思うが、これだとこのあたりに人がたまってしまう。ワンマンカーではないトルコ独特というか、ブルサ独特のスタイル。)

私営のバス 噴水のある広場 ウル・ジャミィ ウルというのは、大きいという意味で、さすがにでかい ジャミィの水場

降りると、雨が降っていた。再び傘を出す。それにしても、バスの中といい、通りといい、かなりの人並みである。とりあえず、地下街を見つけ、通りを渡り、噴水広場<上左中>を突っ切ってウル・ジャミィ<上中、上右中>に近づくが、礼拝の時間で、水場<上右>では、たくさんの人が身体を清めている。食事でもすることにしよう。ウル・ジャミィの近くにある、ロカンタで、ギュヌン・チョルバス<下左>イスケンデル・ケバブ<下左中>を食べる。前者は、まあ普通のトマトベースのスープであるが、後者は、ケバブとヨーグルト(註3)という取り合わせで、写真は見たことがあるが、味の方は想像もできない。とはいえ、ブルサの名物なので、当地で食べてみたかったものである。イスケンデル・ケバブ(註4)は、ドネルケバブから厚めにそぎ落とした肉をトマトソースで炒め、その横にヨーグルトの固まりがある。ヨーグルトといっても、クリームのような感じだ。つけて食べると、酸味と絡まり、意外な美味さがある。ここでトイレも借りて、料金は、700万TL。おきまりのように、どこから来たとも聞かれたが。(註3…ヨーグルトというものも、トルコが原産である。トルコ語ではヨールトと発音するがスペリングはまさにYogurtである。ただし、gの上には記号が付き発音しない。)(註4…イスケンデルとはトルコ語でアレクサンダーにあたるが、どうやらアレクサンダー大王とは関係なく、イスケンデルという名前の人が始めた料理らしい。)

ギュヌン・チョルバス イスケンデル・ケバブ 公園となっている城塞 廟内部の墓 廟

食事の時に、ガイドブックを出してポイントの把握はしてあった。ここから少し下っていくと、ブルサの城塞<上中>があり、ここに、オスマン・ガーズィとオルハン・ガーズィの廟があることがわかる。そこへは、階段を上がっていく。廟の位置がよくわからず、うろうろしていると、後ろから来た家族連れが妙な動きをしていた。背後のバックが少し引っ張られるような感じがした。すると、通りかかった若いスカーフをしていない女性がその家族連れに何か言っていて、その隙に、バッグを見てみると、ジッパーが開けられていた。メインの部分ではなく、ここには飴を入れてあり、被害はない模様。どうやら、ロマ(ジプシー)らしい。救ってくれた女性とロマ(註5)たちは口論をしていたが、やがてロマたちは行ってしまった。女性には、礼を言う。ここはあまり治安のいいところではなさそうだ。廟<上右中、上右>は、傍らに忘れ去られたように立ててあり、中を覗き込むと、墓があった。薄暗くて特にどうというものではない。(註5…いわゆる、ジプシーである。地中海沿岸ではほとんどのところにいると考えてよい。トルコではそれほど目立たないが、現地のファッションとはだいぶ違うのでその気になればわかるだろう。肌の色も浅黒く、インド的な色彩感覚とぴらっとした生地の服は、まさにインド人を思い浮かべる。どうも、あのあたりの民族が移動し放浪しているようであるが。ものの話では、陸続きではない南米あたりにもいるらしいが。)

ジャミィのドーム内側 とにかく祈る さすがに大きなモスクでシャンデリアもひとつではない こちらも祈りのスペース モスク内部の泉

ここから、ウル・ジャミィ<上左>に引き返し、内部の撮影。このモスクは、集団礼拝が終わっていても、たくさんの人がまだ熱心に祈り<上左中、上中、上右中>を捧げていて、どこかの国のツアーがガイド付きでその間を説明して回っていたりする。中央には、泉<上右>があり、ここで直接清めている人もいた。外の水場にも、下駄が置かれていて、たくさんの人が清めている。トルコを含めいろいろなモスクを見たが、下駄まで置いてあるのは、ここが初めてだ。

キャラバンサライの中庭 キャラバンサライの回廊部分の店舗 コザ・ハンの中庭にある手洗い場 オルハン・ガーズィ・ジャミィ モスク内部

ウル・ジャミィの隣に、昔のキャラバンサライ(註6)が二つある。少し離れたところが、コザ・ハン<上左、上左中、上中>という名前である。中は荒廃しているどころか、ショッピングアーケードとなっていた。ウル・ジャミィから噴水広場を挟みオルハン・ガーズィ・ジャミィ<上右中、上右>がある。ここでは、猫にエサをやっている人がいた。さすがに、ウル・ジャミィと比べると規模の小さなモスクだ。再び、ウル・ジャミィ方面に引き返し、モスクのすぐ隣にあるキャラバンサライのエミル・ハン<下左>を覗く。やはり、中庭には手洗い場があり、回廊部分には店舗<下左中>が入っている。ここから、噴水広場を横切り、アタチュルク通りへ。噴水広場では、世界の各都市の方向<下中>を示すものがあった。世界の中心とでもいうものだろうか。アタチュルク通り<下右中>には、たくさんのクルマが走っていたが、タクシー型のドルムシュも見かける。これは、屋根に行き先表示があるものだ。ここから、イェシル・ジャミィとイェシル・テュルベまでは少し離れている。途中には川<下右>も流れている。そちらの方面まで歩くが、ややわかりにくくなり、そのあたりにいた高校生風に英語で道を尋ねると、分かりやすい英語で答えてくれた。どうもである。(註6…隊商宿のこと。シルクロードではたくさんあり、トルコでもかなり残っている。だいたいは荒廃して昔の面影もないのだが、ブルサではうまく利用されている。)

エミル・ハン エミル・ハンの回廊部分も店舗が 各都市への方角と距離 アタチュルク通り 途中にかかる川

イェシル・テュルベ<下左>というのは、文字通り、緑色のタイルで覆われた廟である。内部も、緑のタイルで覆われ、奇麗である。ここは、メフメット1世と家族の墓<下左中、下中>があるのだ。また、ミフラーブ<下右中>(註7)もあり、ただの墓ではなく宗教的な意味合いもあるのだろうか。ここには、日本人の観光客がいた。絵はがきを1枚、コインを探って、10万TL。その後は、この周りをぐるっと回り人気のないところで記念撮影<下右>(註7…メッカの方向を示すくぼみ。こちらを向いて祈る。)

イェシル・テュルベ メフメット1世と家族の墓 墓も緑で奇麗 内部のミフラーブ イェシル・テュルベ前で記念撮影

イェシル・テュルベから少し坂を下ると、イェシル・ジャミィ<下左>である。こちらも、メフメット1世によって作られたものである。祈っている人もいるが、どちらかというとムスリムにとっても、観光スポット的な意味合いが強そうであった。内部<下左、下中、下右中、下右>には、シャンデリアが輝き、いくつかのスペースがあった。こちらにも、どこかの国のツアー客がいた。時計を見ると、そろそろ15:30頃。ヤロワの高速フェリーの最終便ひとつ前が、17:30の出発なので、街まで戻ってバスを待つよりは、タクシーで行こうと思い、入口で待機していたタクシーに声をかける。

イェシル・ジャミィ 入口近くのスペース 中央シャンデリア下の飾りが面白い コーランが展示してある 緑のタイルに覆われた部屋

タクシーは、すっ飛ばしていく。やはりこの街も、テルミナルまでは遠く離れている。途中、事故車があり、ドライバーは、指を差して首をすくめた。テルミナルまでは、1200万TL。Seyahatの窓口を探し、ヤロワまでというと、ここではチケットを発行してくれて、やはり、350万TLだった。Seyahatのバスは数台止まっていたようだ。来たときとバスの車体の色が違うので、行き過ぎてしまいかけると、「ヘーイ」と声がかかり、そのバスがヤロワ経由、イスタンブル行きであった。そのバスも、きっちり、1時間程度でヤロワのオトガルに到着。フェリーの出発ぎりぎりで、駆け込みで何とかチケットを確保。

船内では、トルコのコメディハババヌ・スヌフ(註8)をやっていた。かなり有名なものだが、必ずどこかでお目にかかるくらい繰り返しの放送なんだろう。マルマラ海を渡る船でも、もちろん電波が届くので、見ることができるようだが、時々受信状態がおかしくなるらしく、砂嵐の画面になることもあった。ちなみに、内海とはいえ、マルマラ海も荒れるときは荒れるようである。まさにこの日がそんな感じ。(註8…イスタンブルの全寮制男子高校を舞台にした映画。シリーズもので全6作ある。主演のケマル・スナルは既に亡くなっている。タイトルは、騒がしいクラスという意味。)

イェニカプに着くと、またしても、雨であった。今度は雷を伴うようなもの。豪雨である。夕食はケマル・アタチュルク通りのホテル側にあるレストランにしようかと思ったが、こちら側にあるのは、バーやキャバレーのような作りのものばかりで、ホテルで少し休んだあと、通りを渡って、バーベキューの表示のあるレストランへ。ロカンタというよりは、レストランなんだろう。

イカリングフライ 魚のミックスグリル 種類が判明したのは、この巨大なアジのみ 緑のリキュール、カクテルか

ここでは、酒を飲むトルコ人を何人も見た。そういえば、久しくアルコールを口にしていない。カラマル・タワ(イカフライ)<上左>魚のミックスグリル<上左中>。ビールを2杯。このイカフライが、酒のつまみとして抜群である。やはりオリーブ油を使っているためか、からっと揚がっていて、しかも柔らかい。魚のミックスグリルは、巨大なアジ<上右中>とあとは種類のわからないもの。いずれにしても、かなり美味く、骨を残して、大部分を食べ尽くしてしまう。皿を下げに来たウェイターも嬉しそうだ。勘定を頼むと、今までで一番高い、4200万TL。魚のミックスグリルが利いたか。カードを出すと、しばらくして、「マシントラブル」の理由で、現金にしてくれとのことになる。支払うと、英語の話せる、ウェイターが、「これは、今日のお詫びに」とのことで、緑色のリキュール<上右>を運んできた。どうも、この人は、トルコ人には見えず、語尾に、Sirをつけるので、イギリス人かとも思う。

近くで、1500mlのミネラルウォーターを買って帰る。こちらは、50万TL。またしても、手持ちの金が底をついてしまう。また両替か。最後の1日になるというのに。<Next→イスタンブル帰国


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