アジアとヨーロッパの間で・冬のトルコ〜イスタンブル帰国編

ガラタ橋の釣り人

サフランボル、アンカラ、コンヤ、イスタンブルに拠点を定めてからは、マルマラ海沿いの都市と移動を繰り返してきたが、帰国前日となり、イスタンブルの残りの観光スポットを回ることとした。

2003/01/05(Sun:第11日)観光てんこ盛り<イスタンブル 晴れ>

イスタンブル市内観光〜Ebru Hotel

いよいよ最終日。今夜泊まって、あとは空路、家路に向かうのみ。疲れが出たのだろうか、朝起きるのが遅くなった。あまり金を持っていないので、徒歩でカパル・チャルシュに向かう。この中に、レートのよい両替所があるらしいのと、あまり土産を買う気はないものの、内部の熱気を久しぶりに味わってみたいというのがあった。しかし、やっとの思いで到着したところ、入口のシャッターが閉ざされている。ガイドブックで調べると、日曜は休み(註1)なのである。エジプシャン・バザール(ムスル・チャルシュ)も同様とのことだ。これでは楽しみも半減といったところ。昨日と日程を変えておけばよかったかも。(註1…イスラム圏では、聖なる日が金曜日のためそちらが休日であるが、トルコではEU加盟を目指し、政教分離が建前のため西洋風に日曜日が休日である。)

通称ブルーモスク テオドシウス1世のオベリスク テオドシウス1世のオベリスクの基礎部分、ローマ時代の地層も見える 蛇のオベリスク 切石積みのオベリスク

仕方ないので、そのまま歩き続け、スルタン・アフメット地区に出た。もちろん、スルタン・アフメット・ジャミィ(ブルーモスク)<上左>が威容を誇り、写真を撮っていると、早くも話しかけてくる客引き(註2)が現れる。それほどしつこくはないが。ブルーモスクに入る前に、隣のヒッポドロームを見ておく。三本のオベリスク<上左中、上中、上右中、上右>が建ち並ぶここは、もともとは戦車競争などを行う競技場であった。一番手前にあるテオドシウス1世のオベリスクは、はるばるエジプトから持ち込まれたものである。ここには、ヒエログリフが刻まれている。その基礎部分が掘り下げられていて、ローマ時代の地層を見ることができる。次のオベリスクは、蛇のオベリスクと呼ばれ、途中から折れている。これは、ギリシアのデルフィのアポロン神殿から運ばれたもの。そして、一番奥のオベリスクは、切石積みのオベリスクと呼ばれ、コンスタンティヌス7世によって作られたものといわれている。そんな中、ツアー客の間を縫うようにやってくるのは、やはり客引き。真剣に相手になっていると、うっとうしくなるので、適当にかわす。(註2…絨毯屋であったり、土産物屋であったりする。客を斡旋することで、店からマージンをもらう。カモはほとんど日本人ではなかろうか。そのような客引きだが、日本語がぺらぺらである場合が多い。)

ブルーモスク正面 正面での記念撮影 暗い内部 アラビア文字 ドームを見上げる

その客引きの一人がブルーモスクの方に入っていった。ほとんどここを見たあとは、そちらに行くとの行動の読みである。仕方ないと思うが、自分もブルーモスクに行く。やはり大きい。ブルサのウル・ジャミィの数倍はあるだろう。正面<上左、上左中>に回って、全体を28mmレンズで俯瞰しようとしても、すべてが収まらない。さて、内部に入ろうとすると、英語で話しかけてくる、やはり客引きがいる。「イタリア人か」などと、ありもしないようなことを言って興味を引かせようとしているようである。内部<上中、上右中、上右>に入る。ここは、靴をビニール袋(註3)に入れての入場である。なお、むき出しのまま持っているのは、注意されることになる模様。(註3…使い古しのビニールであるので、手持ちの部分が弱いものもある。中が奇麗かどうかも注意が必要だ。モスクの中では、写真を撮るときなどにこれがじゃまなのだが。)

荘厳な内部 ステンドグラスが奇麗である ガイドの説明を聞く観光客 柱の水道 仕切の向こう側のスペース

スルタン・アフメット・ジャミィは、もちろん現役のモスクであるが、礼拝時間(註4)以外はほとんどが観光客ばかりという、変わったところだ。観光客は仕切のある部分しか、行動できない。仕切の向こう<上左、上左中、上中>には、美しいステンドグラスもあるというのに。モスクの柱などは、大理石作りで、水道<上右中>が設けられている。仕切の向こうのシャンデリアの元では、絨毯が幾何学模様でひとり分のスペース<上右>を作り、ここで人々は祈るのである。ただし、それは男性に限られ、女性は専用のところ<下左>で祈ることになっている。ざっと、内部をノーフラッシュ撮影し、ここをあとに。ここを出たところが、正面にアヤソフィア<下左中>を望めるロケーション。記念撮影もたくさん行われている。ここは、いずれ夜にライトアップされるので、また来ようと思っている。(註4…もちろん、礼拝時間は観光客は追い出される。)

女性専用スペース アヤソフィア 国立考古学博物館 考古学博物館の展示物 ミイラの棺

次に向かったのが、考古学博物館<上中>。入場料500万TL。ベストシーズンではないためか、地上階しか公開していなかった。入って右側の建物には、どちらかというと、彫刻<上右中>が多い。その上にも展示物があるはずだが、閉まっていた。右側の建物には、ミイラ<上右>アレキサンダー大王の棺<下左>といわれるものがある。本館を出ると、中庭<下左中>だが、ここにもさりげなく展示物があったりする。まあ、大した価値のないものなのだろうが。付属の装飾タイル博物館<下中>も正面を改修中で入れなかった。古代東方博物館<下右中、下右>は、かろうじて開いていた。

アレクサンダー大王の棺といわれるもの 中庭の展示物 改装中の装飾タイル博物館 古代東方博物館の展示物 古代東方博物館

再び、徒歩でシルケジ駅方面に向かう。適当な両替所を見つけたかったが、よくわからず、シルケジ駅の窓口に、両替の文字があったので、40US$を両替。ここが一番レートがよかった。

ケスターネと呼ばれる焼き栗の屋台 ミディエ・ドルマスの屋台 ミディエ・ドルマス サバを焼く船 ガラタ橋名物サバサンド

そのまま、エミノニュ桟橋へ。ここは様々な屋台<上左、上左中>が出ている。ミディエ・ドルマス(ムール貝にピラウを詰めたもの)<上中>の屋台があり、100万TL払って、2個食べる。ぴりっとした香辛料が利いていて美味い。おじさんが、貝を開けてレモンを搾って渡してくれる。冬場なので素材の傷みもないだろう。次に、サバを焼いている船<上右中>に近づく。こちらは、エキメッキ半分の大きさに、野菜の中に焼いたサバの開き、こちらも半分くらいの大きさを挟み、サバサンド<上右>(註5)として売っている。150万TLとやや高めか。引っかけている塩とタマネギの切ったものを好きなだけかけて食べる。はじめは侮っていたが、なかなかの美味さ。それにしても、パンと魚が合うとは。(註5…2003年現在はサバが主流だが、昔はボラのフライやアジのフライなどの時もあったらしい。)

ガラタ塔 ガラタ塔の階段 金閣湾 金閣湾とガラタ橋 ボスポラス海峡

次に、ガラタ橋を渡り、ガラタ塔<上左>へ。きつい坂道だが、今度は迷うことなく、到着した。入口を入ると、ロビーのようなものがあり、ここで入場料を払う。500万TL。エレベーターで、一気に上へ。まずは、バーがあり、その上がレストラン(註6)。ここからは階段<上左中>である。やはり上部に来ると狭い。レストランの中を横切って、 外に出られる。人がすれ違うのがやっとという広さ。ぐるっと回る。展望<上中、上右中、上右、下左、下左中、下中>は金閣湾、ボスポラス海峡、マルマラ海、それを取り巻く、トプカプ宮殿やブルーモスクも見える。海峡を挟んだアジア側もよく見える。ただ、あまり天気が良くなく、クリアな視界ではない。それにしても、大した高さではないと思うが、周りに何もないので、360度に渡って展望が楽しめるのは、入場料分の価値があるのではないだろうか。また、近くの民家<下右中>の様子もよく観察できてしまうほどである。風がないのを見計らい、手すりにカメラをのせて記念撮影<下右>もしておいた。トイレを借りたあと、下に戻って、絵はがきを4枚、100万TL。その傍らで売っていた、キリム(註7)地の小銭入れが、2USドル(註8)または、2.0ユーロ。(註6…ここでは、食事をしながらベリーダンスを楽しむことができるらしいが、やはり昼間ここからの眺望をお勧めする。)(註7…トルコ絨毯とは違い、平織り。だが、カーペットのように用いる場合もある。比較的、加工がしやすく、このような小物の土産に使われることも多い。)(註8…土産物屋では、外貨で価格表示をしてあるものも多い。絵はがきなど、1USドルで10枚などというものもある。なぜか、ユーロ建てと同額であるが、ドルで購入した方が今のところお得である。)

マルマラ海 旧市街方面、わずかにブルーモスクも トプカプ宮殿方面 民家の屋上、共同アパートか 記念撮影

さらに、坂道を上がって、イスティクラール通りとぶつかる手前に、シンバル(註9)の工房や、楽器店<下左>が建ち並ぶ。その間に、ガラタ・メブラーナ博物館があった。100万TL払って、中に入ると、やはり緑の布に覆われたいくつかの墓<下左中、下中>のある建物とセマーを演じる、円形の舞台<下右中>を持つ建物があった。この周囲には、セマーで使われるらしい楽器<下右>なども展示してある。ここで日本人男性のいかにもバックパッカーがいた。(註9…世界的に有名なジルジャンというメーカーもここにある。ほとんどの職人は、アルメニア人らしい。)

この界隈は楽器店が多い 博物館内の墓 メッカを向くトルコ帽 セマーの舞台 ザズという弦楽器

ここを出ると、雨。また、傘を出す。イスティクラール通りを登っていき、途中のガラタサライ高校のあたりで左に入るとバルック・チャルシュ、魚市場<下左、下左中、下中、下右中>がある。ここでは、ミディエのフライ<下右>を食べさせてくれる。1本に3個のフライが串に刺され、150万TL。これに、不思議な味のソースを絡ませて食べる。フライだけでは、やや脂っこいか。本当は、こちらもエキメッキに挟んだサンドにして食べるのが普通らしい。

フラッシュがいらないほどの明るさ 新鮮な魚貝でいっぱい 中央のでかいのがイボガレイ 毎度あり ミディエのフライ

イスティクラール通りには、旧型のトラム<下左>が走っているが、これはかっこうの子供の遊び道具である。料金を払わず外側につかまりしがみついて乗る。また、坂を下りて、テュネル<下左中、下中>という、世界一短い地下鉄に乗り、ガラタ橋まで行く。こちらは、地下鉄というよりは、ケーブルカーの形をしている。料金50万TL。ジェトン式。やや乗り場がわかりにくいか。あっという間について、再びガラタ橋を渡り、ムスル・チャルシュ方面へ。バザール自体は休みだろうが、その周辺の店はやっているだろう。事実、かなりの人出<下右中>であるし。その中を、サーレップ(註10)売りやサッカーグッズ売り<下右>などが徘徊。(註10…蘭の根から取り出した成分を溶かした飲み物。この成分をアイスクリームに混ぜ、粘り気のあるトルコ独特のドンドルマというものも有名。ちなみに、飲み物のサーレップは冬場しか出回らない。)

旧型の市電 テュネル テュネルの車内 日曜ならではのにぎわい おそらくガラタサライの旗

ここで買いたいものは、チャイを湧かす、二段重ねのやかんである。店を当たってみたが、一番小さいもので、2〜3人分らしい。それでも相当な大きさ。2500万のところ、2200万TLまで値切ってくれ、購入。専用の箱が付いた。これを持って歩くのは、相当しんどいので、シルケジからトラムヴァイでアクサライに戻り、ホテルに荷物を置く。

日が暮れてきて、再び外出。ラーレリのジェトン売場がわかったので、ここで2枚、帰りの分も含めて購入。スルタン・アフメット地区へ。夜景<下5枚>の撮影である。やはり、ブルーモスクやアヤソフィアはライトアップされていた。これらを撮影するが、あまりうまくいかない。傍らに、アフメット1世の廟があった。こちらも、わずかにライトアップされている。

アヤソフィア スルタン・アフメット・ジャミィ モスクに近づいたところ ブルーモスク、デジカメ版 やや離れた位置からのブルーモスク

夕食は、トラム沿いのジャン・レストランというところにした。入っていくと、店員が待ちかまえていたように、案内をする。なんということもない、ショーケースの中から選ぶ、半分セルフのようなレストランである。トマテス・ドルマデス<下左>(トマトの詰め物)、パトルジャン・ドルマス<下中>(なすの詰め物)、米のピラウ<下右>、コーラ、という内容で、1250万TL。どうもイスタンブルは物価が高い。それにしても、この内容で、この値段とは。あとから入ってきた、欧米人観光客に対しては、取りなすような態度で、嫌だった。それにしても、ここはがらがらで、隣のキョフテ屋の方が、大繁盛で、さすがに客は味の違いがわかっている。

トマテス・ドルマデス パトルジャン・ドルマス 中央がピラウ

トラムで戻り、ホテル隣の菓子店で、ロックムを土産に買う。1箱640万TL。荷物を整理して、何とか、ロックムはリュックに入ったが、やかんは、手持ちにするしか仕方ないようだ。翌日は、6:00の便なので、モーニングコールを4:00に頼む。


2003/01/06〜07(Mon/Tue:12〜13日)帰国<イスタンブル 晴れ アムステルダム 晴れ 東京 晴れ>

イスタンブル・アタチュルク国際空港6:00-(KL1610)-8:45アムステルダム・スキポール国際空港17:00-(KL861)-12:00新東京国際空港

結局、モーニングコールは鳴らなかったものの、自力で起きて用意をしていて、時間になった。チェックアウトをして、外に出て、そのままタクシーを拾う。アタチュルク空港<下左>までは、深夜の海岸沿いを疾走する。しかし、運ちゃんが、国内線の方につけてしまい、そこからバックして国際線に。料金はメーター通りの1600万TL

深夜のアタチュルク空港 新しい空港免税店 アムスまでの飛行機 代わり映えのしない機内食 バス移動

トルコの空港では、すべての手荷物を検査(註11)する。そこから、航空会社のカウンターに並び、チェックインして、イミグレを通る。余った金で、チャイの葉を購入する。空港(註12)が新しくなったらしく、免税店<上左中>も光り輝いている。搭乗口の前に、再び手荷物検査。何も反応するはずはないのに、どうやらベルトのバックルが反応したらしい。空いているかなと思ったが、出発直前に駆け込んでくる人が、かなり多い。KL1610便<上中>は結局満席。朝早いので、食事<上右中>以外はひたすら眠る。スキポールに着いたが、珍しくバスの移動<上右>(註11…トルコでは検査が厳重だが、特にトルコ航空を利用する場合は、いったん預けた荷物を乗り込む前にさらに確認して積み込んでもらうという手間が加わる。搭乗口と飛行機が直結されていても、いったん下に降りるという、理不尽さである。空港が新しくなって、これは果たして改善されたのかどうか。)(註12…以前は、円形のターミナルを持つ、かなり旧式のものであった。とんでもないことに、第三国からイスタンブル経由でアンカラに飛ぶときは、イミグレを通らずアンカラで入国審査を行うが、アンカラまでの便にはイスタンブルから乗り込んだ乗客も同居ということもあった。)

時間がたくさんある。トイレで歯磨きをした。インターネットカフェ<下左>が、30分6USドル。昼食には、コーヒーとスモークサーモンサンド<下左中>8USドル払って、0.64ユーロのお釣り。時間を見ると、次の東京行き<下中>は、ディレイ。そのままここで小説を読む。

スキポール内のインターネットカフェ 高いスモークサーモンサンド 東京行き 1回目の機内食 2回目の機内食

搭乗口に行ってみると、すでに飛行機が待機していたが、なんだったんだろう。結局、2時間ほどの遅れ。今度は、こちらも満席だった。隣に大柄な人が来て、狭い思いをする。長時間の移動で、機内食<上右中、上右>は2回。合間に、やはりアイスクリームかカップ麺が出る。成田到着は、翌日の昼前。馬を搬送しているらしく、検疫のために、これまたバスでの移動。

電車で帰宅する。途中、フィルムの現像に立ち寄ったりして、かなり時間をかけて帰る。街では、正月も過ぎ去り、また翌日からは、ふだんの生活が始まる。<完結>


イスタンブル到着 サフランボル アンカラ コンヤ イズニック ブルサ

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